第20話 夕星・11 ~夫婦・2~
夕星はぼんやりと目を開けて、自分の下腹部に流れている、夜のように深い黒い髪を見つめる。
視界の中で黒い頭がぎこちなく動き、乱れた夕星の夜着を直し始める。
はだけた胸の前を丁寧に合わせると、厚手のかけ布で覆い、寝台からゆっくりと下りた。
それからガックリと肩を落とす。
そのままの姿勢で寝床の横にある椅子に座り直すと、シオは叫びながら乱暴に自分の頭をかき回した。
「……したい……。とってもっ! ……したいぃっ! ……けれどもっ!」
半身を起き上がらせた夕星のほうにチラリと視線を向け、慌てたように視線を逸らす。
「そ、そんな目で見ないで下さいっ。また、おかしな気持ちになってしまう」
シオは自分の額に手を当てながら、独り言のように呟く。
「……まったく、私ったら。夕星さまは、お体の調子が悪いのに」
それから、なおも自分に向けられる夕星の紫色の瞳を見ないようにしながら言った。
「夕星さまは、ご自分の魅力がわかっていなさすぎます。そんな目で見たら、また……襲っちゃいますよ」
「シオどの……」
子供を叱る母親のような表情をするシオを見つめながら、夕星は囁いた。
「……抱いて欲しい」
切なげな響きを帯びる声を耳にして、シオは夕星を凝視してゴクリと唾を飲み込む。
だがすぐに、自分の中にある邪念を振り払うようにブルブルと首を振った。
「駄目っ。駄目です。また、熱が上がりますから」
そう言ってシオは、夕星の上気した顔を軽く睨んだ。
それから取ってつけたように、「そうだ」と声をあげる。
「だいぶ汗をかいていましたから、体を拭いてお召し物を代えたほうがいいですね」
夜目でもはっきりとわかるほど、夕星は顔を赤くした。
シオは慌てたように言う。
「ち、違いますっ。そういう意味じゃありませんっ。本当に純粋に、お体を拭いて着替えをしていただくだけです。も、もうっ、いいですよ。宿直の小姓を呼んできますから」
シオは、今にも外に飛び出していきそうな勢いで立ち上がる。そのまま御帳台の外に出ようとしたが、何かに引っ張られるように上体のバランスを崩した。
反射的に振り向くと、夕星がシオの長衣の裾を手でとらえていた。
夕星は俯いたまま呟く。
「シオどのに……手伝って欲しい」
「は、はいっ。もちろんっ」
シオは、寝台の近くの衣装棚から新しい夜着を出す。
戻ってきた時には、夕星の白い裸身が、薄闇の中に浮かび上がっていた。
シオは水にひたした布を手に取ると、恭しいとさえ思える手つきで夕星を丁寧に拭っていく。まるで自分にとっての神聖なものに触れるかのような、畏れと敬愛のこもった厳粛な表情で夕星の体を清めた。
「長いあいだ、留守にして申し訳なかったです」
シオは、夕星が新しい夜着をまとうのに手を貸しながら言う。
「公家相続の審議で少しゴタゴタしていて。これを機会に、ククルシュから公爵位を取り上げたいという奴らがけっこういるんですよね。まったく、女だから何だって言うんだ」
最後のほうは独り言のようにぶつぶつとぼやく。
着替えをする夕星の手が止まった。
「夕星さま?」
シオが怪訝そうな顔をすると、夕星は微笑んだ。
「審議は無事に終わったのか?」
「あっ、はい」
シオは花が開いたように、顔に笑みを浮かべる。
「意外とあっさりカタがついたんですよね。陛下が急に『まあいいだろう。ククルシュには、力を尽くしてもらいたい』って言って下さって。今までは審議を提案した連中に押され気味だったのに。こちらの働きかけが効いた、ってわけでもなさそうなんで不思議ですけど……。まったくどっちでもいいことなら、最初から審議を開くなんて言わなきゃいいのに。勝手なもんですよ」
ほんといい迷惑だ。そうぼやいたが、その声の底には安堵がにじんでいた。
「夕星さまにもご心配をおかけしました。もう大丈夫です。ククルシュ公家は、当分安泰ですから」
「そうか」
夕星は呟いた。
「良かった」
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