第19話 夕星・10 ~夫婦~
シオは細かい汗に濡れた夕星の額に、壊れ物にでも触れるかのように手を当てる。
「汗が出たから、少し熱が引いたようですね」
そう言ってシオは黙り込み、あちらこちらに視線を動かす。それからまるでわざとのように、興味がなさそうな素っ気ない口調で言った。
「まったく、夕星さまは。一体、何だって昼間、外をずっとうろつき回ったりなさったんです? ご自分の体のことは、ご自分が一番よくご存じでしょうに」
シオは椅子から立ち上がると、枕元の台に置かれた
「あなたは体に熱がこもりやすい、って医者が言っていましたよね。体が弱くて、過剰な熱を発散したり冷ましたり出来ないから、日中の暑い時間は日なたに余りいては駄目だって」
「済まない……」
夕星は寝台の中で身を縮め、沈んだ声で呟く。
シオは水を張った手洗に腕をぶつけ、慌てたように台を押さえた。
「その……ま、まあ、私はいいんですけどっ。結婚してだいぶ経ちましたし、お世話をすることにも慣れましたから。夕星さまも、たまには日の光を浴びたいでしょうし」
「……結……婚?」
熱からくる気だるさを感じながら、夕星はぼんやりとした口調で繰り返した。
シオは絞った布で、丁寧な手つき夕星の額の汗をぬぐう。
冷えた水のひんやりとした感触が伝わってきて、体の熱や
「私とシオどのは……夫婦、なのか?」
「寝惚けていらっしゃるんですか?」
シオは呆れたように言ってから、指を折り始める。
「十二の時に夕星さまのお側に上がって、もう、四年……? 五年になりますね。留守が多いから、忘れてしまったんですか?」
ひどくぶっきらぼうな言葉の中に、僅かに不安を覗かせて、シオは夕星の顔を見つめる。
ほの明るい常夜灯がひとつ灯るだけの空間の中に浮かび上がるその姿は、ひどく幻想的で美しく見えた。
夕星は、その姿から目を離せないまま言った。
「……夢のようだ……」
夕星は横たわったまま手を差し伸べ、シオの存在を確かめるかのように細い指先で触れた。
「私のような者と結婚するのは……きっと、シオどのは嫌だろうと思っていた……」
シオはギョッとしたように表情を強張らせ、自分の体に伸ばされた夕星の指を捕らえる。
「どうしたのですか? 急に……」
夕星はシオに指を捕らえられたまま、切れ切れとした声で囁いた。
「聞いたのだ。シオどのは、結婚するのは剣が使え、馬や船に乗れる男がいい、と。日の光の下にはいられないような、ひ弱な男は嫌だと」
「そんなの……夕星さまにお会いする前の話じゃないですか」
呆れたように一蹴したシオは、夕星の表情が心細げに沈んだままなことを見て、唇を曲げて脇を向いた。
「もういいじゃないですか。今は縁があって、夫婦になったのですから」
それに、とシオは、いかにもこれは付け足しに過ぎないと言わんばかりの早口で続ける。
「何もかも同じじゃつまらないですよ。私が外に出ているあいだ、夕星さまは屋敷にいらっしゃる。夕星さまは花を見ると、その花の名前や薫りやいつ咲きごろで、どんな意味があるかを知っている。私は花を見れば、この花の種の買いつけをどれくらいして、咲いたときはどこにいくらで売るか、どうやって運送するか、儲けはいくらかを考える。それでいいじゃないですか。夫婦って、どこでもそういうものらしいですよ」
シオは相変わらず横を向いたままだったが、夕星の指を握る手に僅かに力がこもった。
夕星はシオの手の温かみを感じながら、扉を細く開けて、外の世界の様子を伺うかのような、小さな声で言った。
「……もう少し丈夫になったら、シオどのの側に、いつもいられると思う。どこに行く時も」
夕星は、薄闇の中に浮かび上がるシオの姿を見つめた。しっかりと見つめているはずなのに、熱のせいなのか、その姿がひどく不明瞭にぼやけて見える。
目を離すと消えてしまうのではないか。
そんな怖さがあった。
「ここであなたを一人で待っていると、もしかしたら……あなたは帰って来ないのではないか、私のことを忘れて、どこか遠くへ行ってしまったのではないか、二度とあなたに会えないのではないか。そんな考えが浮かんでくる……」
シオはしばらく黙っていたが、不意に夕星の手を強く握った。
思わず声を上げそうなくらい、強い力だった。
それから寝台に横になっている夕星の顔を覗き込んだ。
「私はここにいます。夕星さまのおそばに。夕星さまにお仕えしてお守りするために、私はいるのですから」
「シオど……」
名前を呼ぼうとした夕星の唇を、シオは覆い被さるようにして塞いだ。
夕星の唇を貪るように味わい、応えるように開かれた口に舌を潜り込ませ、丹念に愛撫する。
最初は労るように優しいのに、徐々に夕星の奥深くを貫き、体の中にある全てのものを喰らい尽くそうとするかのような、残忍とも思うような激しさを帯びていく。
我慢できなくなったように衣服をはだけさせられ、裸の胸を撫でられながら、欲情にギラつく蒼い瞳で射し貫かれる。
その瞳で見つめられると、シオがどれほど自分を強く求めているか、はっきりとわかる。
夕星は、シオの中の獣が解き放たれ、自分の全てを食らいつくそうと咆哮を上げる瞬間が好きだった。
餓えに満ちた性急な荒々しい愛撫も、愛されているのか憎まれているのかわからない、バラバラにされそうな激しい口づけも、体への攻めも好きだった。
強い眼差しで貫かれると恍惚とした歓喜に体が満たされ、手や舌がなぶるように触れるたびに甘い陶酔で全身が震えた。
この蒼い瞳の黒い獣に、体を引き裂かれ、臓物を引きずり出され、自分のすべてを喰われたい、体の一番奥深くに眠る自分の魂まで噛み砕かれたい、そんな強烈な感情が膨れ上がり、体内で爆発しそうになる。
夕星の視線にこらえきれなくなったように、シオは夕星の唇を貪りながら、夜着の裾を割り、そこに自分の足を入れ、絡ませた。
唇から顎へ、喉を唇で吸い、胸をいじりながら、腹をたどり、もっと下へと進もうとする。
夕星は、シオの唇が移動するたびに切なげな、甘やかな声を出して体を動かし、白い背中を反らした。
快感が津波のように体の奥から沸き起こり、繰り返し体を突き上げ、高みに運ぼうとする。
その波に飲まれながら、夕星は何度もシオの名前を呼び、それに応えるようなシオの動きによって、快楽をさらに高まらせた。
もっと……もっと乱れさせて……。
そう苦しい息の下で訴える。
あなたという存在で、私を壊して欲しい。私が別の何かに壊される前に。
もっと深く……もっと……シオ。
我を忘れて喘ぎながら、自分の体をなぶるシオの頭に手を伸ばした瞬間。
不意にシオが動きを止めた。
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