第四章 夕星 ~あなたの夢を見る~

第17話 夕星・8 ~昼想う~

1.


 文使いを終え、シオの下から帰ってきたミトは、夕星が部屋のきざはしまで出て出迎える姿を見て、驚いた表情になる。

 部屋の主が、自分付きの小姓を部屋の外まで出迎えるなど聞いたこともない。

 ミトの顔には、そういった内心の思いが露骨に出ていたため、夕星は自分の性急さにわずかに顔を赤らめた。


「ミト、済まない」


 部屋に入ると、夕星は目の前でかしこまっているミトに礼を言う。

 いったん口を閉ざしてから、何かを畏れるかのような小さな声で尋ねた。


「シオどのは……お元気そうだったか?」

「元気なんてものじゃありませんよ」


 ミトは、先ほどの一幕を思い出し、拗ねたような素っ気ない口調で答えた。


「いつも通り、好き勝手に色々言われました」

「好き勝手に……?」


 ふと、好奇心に誘われたかのように、夕星は顔を上げる。

 煙るような紫色の瞳を向けられて、ミトは頬を赤く染める。

 そうしてそのことを誤魔化すように、ことさら声を大きくしてまくし立てた。


「夕星さまに何事も遠慮しないように伝えているのか、私たち側付きの者は務めを果たしているのかとか、そんなお小言ばかりで。聞いていて、嫌になりますよ」


 夕星はミトの話が終わるまで、黙って耳を傾けている。

 ミトは不満を話し終えると、口を閉ざした。昼の暖かな空気が二人の間をたゆたう。


「シオどのは……」


 惑うようなそぶりの見せたあと、夕星は小さな声で呟いた。


「花は見られたか? 肩掛けは喜んでいただけただろうか」

「見たってわからないんじゃないですか。花のことも織物のことも何も知らないんですよ。夕星さまのお文の手蹟の美しさや香りの格調の高さも全然わかっていないし。知りたいことが何も書かれていない、お前たちは本当に自分の言っていることをちゃんと伝えているのか、とかいつもそんなことばかり言って。書かれていないことを読み取るのが、ものののあわれというものではないですか」


 シオに対する怒りが再燃したのか、ミトは胸の内の鬱憤を晴らすように言葉をぶちまけた。


「貴族のくせに、風流も雅も介さずに金勘定ばかりして。世間が『所詮成り上がりは成り上がり』っていう気持ちもよくわかる……」


「教養のない野蛮人め」と言わんばかりの口調でまくし立てていたミトは、しかし途中ではたと気付き、慌てて口を閉ざす。


 ミトはもう三年以上も夕星の側を離れずに苦楽を共にしているため、つい小姓をという立場を忘れた馴れた態度を取ってしまうことがある。

 夕星もミトを主従を超えた存在として大事に思っているため、そんな態度に不満を表すことはない。

 だからこそミトは、日ごろから自分で自分を律しなければならない、夕星の寛大さに甘えてはならないと思っている。だが、今のように何かあるとついタガが外れてしまう。


「申し訳ございません、夕星さま。分をわきまえず、口汚いことを申し上げました」


 ミトは顔を赤くして、その場で頭を下げた。


「……シオどのらしい」


 夕星はミトの言葉に優しく笑ったが、その顔はどこか寂しげだった。




2.

 

 ミトにねぎらいの言葉をかけ、自室で少し休むように伝える。他の側周りの者も遠ざけ、夕星は長椅子に座り、よく手入れをされている庭をぼんやりと眺めた。


 初めてシオの姿を見つけたのも、この場所に座っているときだった。

 庭を挟んで反対側にあるむねの、二階の欄干に腰かけている同い年くらいの少女を見つけた。


 欄干の上に片膝を立てて、もう片方の足を宙に投げ出している不安定な姿勢のまま、何かの作業に夢中になっている。見ていた夕星は、落ちるのではないかとハラハラしたが、本人はまったく気にしていないようだった。

 よく見ると欄干から垂れ下がっている縄梯子を巻き上げて、補強しているようだ。


 夕星の座っている場所が、死角になっており、作業に夢中になっていることもあり、シオはまったく夕星の存在に気付かないようだった。

 作業が終わると、縄梯子を色々な角度で引っ張って強度を確認し、それが十分満足のいくものだったのか、下に下ろすと素早い身のこなしで庭にスルスルと降りていく。


 その姿を見ていると、胸が高鳴るのを感じた。

 ひょっとして庭の垣根を乗り越えて、こちらへやって来るのではないか。

 そんな思いが心にわき、その想像が強固な鎖となって自分の心を捕らえるのを感じた。


 あの少女は、自分に会いに来るために、縄梯子を作り、欄干を乗り越えて庭へ降りようとしているのではないだろうか。

 そう思うと、心身の緊張が恐ろしく高まり動悸が激しくなった。


 少女がここに来たら、どうしよう。

 初めに何と言おう。

 自分のことをどんな風に話せばいいだろう。


 そんな思いで頭がいっぱいになり、息が詰まって倒れそうな心地がした。



 だが、もちろん。

 少女は、夕星の下へは来なかった。

 恐らくは裏門から抜け出して、どこかへ遊びに行ったのだろう。


 夕星は次第に暗くなっていく、辺りの風景をぼんやりと眺めていた。

 ここで待っていれば、外から戻って来た少女の姿を見ることが出来るのではないか。

 そう思って夜が更けても、長椅子に座って待ち続けていたが、少女の姿を見つけることは出来なかった。

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