第15話 シオ・8 ~天女~

1.


 あれはいくつくらいのころだったか。

 確か十一か十二くらいの時だったと思う。


 父親から「お前の夫として、考えている人がいる」と告げられた。



 貴族の家に生まれれば、親が選んだ相手と結婚することはごく当然のことだ。強烈な野心と上昇志向を持つ父親が、「卑しい成り上がり」という立場に甘んじるとは思えない。

 有力な貴族、いや、皇家の血を引く人間と結婚させ、シオの子供は皇族の地位を手に入れられるようにと考えているのだろう。

 うまくいけば皇帝の外戚となることも夢ではない。


 父親とはどうしようもなく合わない部分があり、若干の軽侮すら感じている。

 だが婿選びに関しては価値観が一致しており、父親の見識と力量にも疑いを持っていなかったので、その選択を受け入れることに異存はなかった。


 シオは、将来的には皇帝の支配下から離れたククルシュ家独自の貿易圏を作ることを目論んでいた。

 そのためには、生まれは高貴だがククルシュの家を抑えられるほどの権力は持っていない、本人は野心など持たないような人物が夫として望ましい。


 だから父親から「正式には認められていないが、皇帝の従姉妹を母親に持つ公子を引き取った。自分が後ろ盾となって、皇帝に血縁と認めさせる」と聞かされたときは、なかなかいい目のつけどころだと思ったくらいだ。

 余計な縁も背景もない、本人には何の力もない、現皇帝の従甥じゅうせい

 もし皇族だと認められれば、これ以上の婿がねはない。


「どんな相手か見てみるか」


 そう父親に言われて、シオの部屋がある星のむねの二階から離れの庭を垣間見た。




2.


 そろそろ日が落ちそうな、夕方の薄暗い時間だった。


「昼間のほうがよく見えるんじゃないの?」


 見通しづらい薄闇の中で、シオは父親に言った。

 婚約者の背景に不足を感じなかったので、それ以上、相手がどんな人間かには興味はわかなかった.

 だが何故か父親は、熱心にシオに垣間見ることを勧めてきた。

 今もシオの退屈そうな様子など気に止めず、ひどく熱を帯びた視線で庭を凝視している。


「体が弱いからな。日の光の下には、余りいられないんだ」


 シオは何となく父親のほうを見た。

 父親の言葉の内容よりも、その口調が引っかかった。

 まるでそのことが対象の希少性を増す喜ばしいことかのような、過酷な地でしか見つけられない宝石、夜にしか咲かない花について語るような、背徳的な匂いがした。


 父親の口調の中の何かが気に食わず、その気持ちを表すためにシオは言った。


「私は、そんな弱い夫は嫌だな。太陽の下に出られないなんて、剣だって使えないし、馬にだって乗れないでしょう? 船に乗ったって、船酔いするだろうし……」


 自分の言葉が気持ちを正確に表すものではないことを感じながらも、他にどう言っていいかわからず、シオは言葉を連ね続ける。


 父親の耳には、シオの言葉はまったく入っていないようだった。

 ただ食い入るように庭を見つめ、不意に「来た」と口の中で呟いた。


「見ろ。あれがお前の未来の夫だ」


 促されてシオは、気のない風に蒼い瞳を下の庭へ向ける。

 瞬間、その目が大きく見開かれる。


 まず目に入ったのは、夕暮れの薄闇の中で光を含んで煌めく長い金色の髪だった。普通の金髪よりも淡い色合いのために、光そのもののように見えた。

 黄昏の中に今にも溶けてしまいそうな、ほっそりとした優美な姿をしている。

 俯きがちな白皙の美貌が見えた瞬間、シオは大きく目を見開き、欄干を乗り越えんばかりに身を乗り出した。


(天女だ……っ)


 あれは昔、読んだおとぎ話に出てくる、男に羽衣を奪われて天に帰れなくなった天女に違いない。

 そんな子供じみた考えが頭に浮かんだ。


 余りにマジマジと見すぎたせいだろうか。

 ふと、庭にいる天女が、顔を上げて自分のほうを見た気がした。

 シオは慌てて、真っ赤になった顔を欄干で隠すためにしゃがみこむ。


「どうだ?」


 庭にいる天女の美しい姿から目を離さずに、父親は満足そうな声音で尋ねてくる。

 ごちそうを前にしたような調子だな。

 そんな考えがちらりと頭にうかんだが、すぐに胸の奥からわいた苛立ちに取って代わられた。


「父上、悪ふざけが過ぎる」

「悪ふざけ?」


 父親はシオの反応を予期していたかのように、おかしそうに繰り返した。


「未来の夫って……あの子は女の子じゃないか」

「そう見えるか」

「だって、女の子でしょう?」


 父親は笑った。


「れっきとした男だ」


 シオは驚愕で、目と口を大きく開ける。

 その表情のまま、先ほどまで見ていた庭に目をやると、そこには既に誰もいなかった。


(いない……)


 不意に、胸が穴が開いたかのような寂しさに襲われた。


「嘘ではない。何なら、今度、会って話してみるか?」


 父親の言葉に、シオは思わず振り向く。

 会いたい。

 反射的にそう言いそうになったが、父親の顔を見ていると、何となく自分の気持ちを表に出すことに躊躇いを覚えた。


 先ほど自分は、「日の光が苦手だなんて、そんな弱い夫は嫌だ」と言ったばかりではないか。

 そう思い出し、シオはことさら素っ気なく言った。


「いいよ。別に結婚前に会わなければならないわけではないし」


 少し考えてから付け加える。


「結婚する、と決まったわけでもないし。もしかしたら、もっと条件がいい相手が出てくるかもしれない」


 ことさら賢しらぶってそう言ったあと、シオは唐突に口をつぐんだ。


 父親はシオの言葉よりも、天女が消えた庭のほうがよりいっそう気にかかるようだった。

 張り付いたような視線を向けたまま、「それもそうだな」と何かを思案するように呟き、ゆっくりと笑った。


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