第5話 夕星・3 ~囚われ人~
1.
館の主である行政官のイヴゲニは、普段は夕星の身支度が整い、酒膳の準備も整った夜更けにやってくる。
しかしこの日は常にないことに、夕星が湯浴みをしている湯殿に突然現れ、戯れというには性急で荒々しすぎる扱い方をした。
色事と同じくらい酒食に目がないこの男には珍しく、湯殿から上がったあとも夕星の体を離さず、執拗にその体を貪った。
夕星の心が体から遊離しようとするのを目ざとく見咎め、体を激しく責めたてる。引き出した快楽の鎖で夕星の心を縛り上げ、何度も引きずり戻す。
現在の状況を思い出せるような卑猥な言葉を耳元で囁き、夕星にも言わせた。
それでも夕星が逃れようとすると、体を責め立てながら、不意にその頬を張った。
大柄で屈強な体をもつイヴゲニにとっては、だいぶ加減した力だった。
それでも初めて顔を叩かれたことへの衝撃と抗いから、夕星は張られた頬に手を当てて顔を背ける。
イヴゲニは、背けられた夕星の顔を巨大な手の中に捕らえ、強引に自分のほうへ向けさせた。
「ククルシュの女公爵を知っているか。領地や徴税権を担保に貴族に金を貸し、貸し倒れさせて奪い取ることを常套手段にしている商人の一族の小娘だ。爵位まで金で買い、今じゃ王族の中にまで、あの小娘に、首根っこを押さえつけられている人間がいる」
「ククルシュ……」
普段は人形のように虚ろな夕星の美貌にわずかに差した赤みを、イヴゲニは見逃さなかった。
「やっぱり……知っているのか」
イヴゲニは、夕星の白く細い手首を荒々しく捻じあげた。夕星の朱唇から、微かな悲鳴が漏れる。
「お前の存在は外に漏らさないように、厳重に閉じ込めてきた。噂になれば、色好みの変態貴族どもに無理難題をふっかけられて、巻き上げられないとも限らないからな。……あの小娘は、俺のところに来る前からお前を知っていた、ということか」
イヴゲニはもう一度、先程よりも力を込めて夕星の頬を打った。
寝床に倒れ伏した細い裸身を、乱暴に起き上がらせる。
「いつ知り合った? あの僧院にいた時か? ……いや、ククルシュの娘は、お前と同い年くらいだ。まさか十二、三のころから、男と乳繰り合うために礼拝に行くわけがないだろうからな」
イヴゲニは闇の中で、一瞬下品な笑いを漏らす。しかしすぐに、俯いている夕星の姿を凝視した。
「なぜ、あの女はお前のことを知っている?」
強い力で肩を掴まれて、夕星は息を詰まらせる。
苦しげに呼吸をしながら、言葉を紡いだ。
「その御方が……何と……」
夕星の言葉に、イヴゲニは嘲笑で唇を歪めた。黒い瞳には、怒りが浮かんでいる。
「気になるか? お前の次の主人のことが……。今度は誰に向かって尻尾を振ればいいのか」
「次の……主人?」
イヴゲニの顔は、今や抑えきれない怒りで真っ赤に染まっていた。
「お前はさる尊いかたの落とし胤で、そのことを公に認めさせると言っていた。そうなったときに、お前を囲ったままでいれば、立場が危うくなる、手放さないなら、誘拐の罪と不敬罪で告発する、と」
何も答えない夕星の顔を、イヴゲニは怒りで黒ずんだ顔で睨んだ。
「お前の差し金か?」
「私は……何も……」
消え入りそうな声で呟いた夕星を見て、イヴゲニは半ば安心したように半ば嘲るように笑った。
「なるほど。では、あの女がお前を利用しようとしているだけ、ということか」
いかにも商人上がりの考えそうなことだ、とイヴゲニは吠えるように笑った。
それから多少安心したように、余裕のある残忍さをもって、夕星の白い裸身を引き寄せる。
「どう脅されようが、お前を手放すつもりはない。お前は俺のものだ、一生な」
夕星の体をまさぐりながら、イヴゲニがそう囁く。
粗雑な愛撫を体に受けながら、迫ってくる油を塗っているかのようにぬめった厚い唇から顔を背ける。
その無力な抗いが男を余計に興奮させ嗜虐的な喜びで心を高ぶらせるとわかっても、そうせずにはいられなかった。
案の定、イヴゲニは欲望で目を血走らせ、夕星の嫌悪と怯えを楽しむかのように顔を近づけてきた。
夕星は目を閉じる。
それ以外に、目の前の現実から逃れる方法はない。
この六年、ずっとそうだった。
目を閉じると、しなやかな体と蒼い瞳を持つ娘の姿が浮かび上がる。
(……オどの……)
荒々しく自分を扱うこの手が、欲情を湛えた残忍なこの瞳が、自分を組み敷き飲み込もうとするこの体が、あの黒い狼の娘のものであればいいのに。
もしそうであったら、むしろその牙で噛み裂かれ、臓物を引きずり出されて犯されることを望むだろう……。
男の体の下に押さえ込まれ、舌で体をなぶられ、その感触に肌を粟立たせた瞬間。
不意に部屋の扉が騒々しく開いた。
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