第15話 発情聖女と、罵って。

 確かに婚約破棄されるまで王妃様になりかけていた私だけど、回り回ってまさかこうなるとは想定外だ。

 聖女っぽいひらひらした正装はますます豪奢でひらひらとして、このまま空に飛んでしまいそうなデザインになっちゃったし。


「うーん……一年前まで、私は前線基地で血飛沫浴びてたはずなんだけどなあ……」


 玉座の上、まだ慣れない冠をあれこれといじっていると、隣でリチャードがにこにこと笑っている。

 ああ、本当に慣れない。


「ねえ、リチャード。一応聞くけど」

「なに?」

「……リチャードは私の貞操を疑わないわよね?」


 彼は一瞬きょとんと目を瞠ると、眩しそうな顔をして微笑んでみせる。


「純潔だろうが何だろうが、僕はモニカさんが好きだから関係ないよ」

「そう」

「でもモニカさんのことなら、ちゃんとなんでも知ってるよ」

「……そう」

「前線基地に貴方が配属された時から、ずっと僕はあなたを見てたから」

「え?」


 人の良さそうなファイアオパールの瞳が細く眇められる。

 まるで炎に炙られたようにーー私の背中に一瞬、震えが走る。


 もしかして。

 この人の良さそうな、年上の皇弟殿下は。もしかして。


 皇弟殿下としての身分を隠して国外で傭兵として過ごし。

 隣国コッフェ王国の聖女がいる前線基地に潜入し、一般騎士団員として馴染んで。

 聖女の後ろ盾が消えたタイミングを見計らって、帝国に連れて行って国の問題を解決させて。

 コッフェ王国が弱体化したところで併合。

 コッフェの国民は聖女(わたし)を連れて、魔物の被害から助けに来てくれた皇弟殿下を好意的に受け入れる。

 そして、コッフェ王国領の統治者として収まり、私をーー聖女を妃とする…


 どこからどこまでが、彼の計算なのだろう。

 親代わりのように皇帝陛下を見守っていた宮廷医師は言っていた。

『皇帝陛下本質的に支配者に向いていない方なので』

 彼が本質的に向いていると思っていたのは?

 ーー皇帝陛下の治世を安定させているのは、もしかして……ううん、確実に。



「………ねえ。どこからどこまでが、あなたの計画通りなの?」

「計画なんて何にもしてないよ。ただ僕は、モニカさんが好きだっただけ」

「好きだっただけ、って……」


 彼はふっと目を細め、玉座から私の手に触れる。

 指先で私の手の甲を撫でながら、彼は思い出を辿るように口にする。


「モニカさんが14歳で前線基地に来たときのこと、まだ覚えてるよ」

「え……」

「モニカさん、前線基地で自分の到着を待たずに逝った騎士団の亡骸を一人ひとり洗い清めて、傷跡を全て治して弔ってあげていたよね。その姿を見た時から、ずっと、ずっと好きだった」

「そんなこと、まだ覚えてたの?」

「忘れない」


 私の手を包む、彼の手に力が篭る。まるでもう逃さないと、手と強い眼差しで私を繋ぎ止める。


「臭いにえづきながら、壮絶な光景に泣きながら、間に合わなかったモニカさんに八つ当たりで罵倒する騎士団員の言葉を浴びながら、あなたが言い訳一つせず聖女として仕事をしているのを見た時。その時から、僕はずっとモニカさんを尊敬してた。だから、呼び捨てなんてできないんだよ」


 彼は眩しいものを見るように目を細める。


「王太子と婚約すると聞いた時は、淋しかったけどホッとしていたんだ。モニカさんが王妃となる国ならば、きっと国民はみんな幸せになれるだろうって。……でもまあ、見る目ない王太子のバカのおかげでラッキーなんだけど」


 付け足して彼はいつもの表情に戻り、ぺろりと舌を出す。

 そして甘い瞳をして、リチャードは手を私の頬へと伸ばした。

 頬をふに、とつままれると、まるで胸の奥をつままれたみたいにギュッとなる。


「モニカさん、好きだよ」

「……ありがとう」

「けれどあっさり妃にもなってくれるとは思わなかったよ」

「そりゃあ。その。殿下にプロポーズされたら断れないよ」


 玉座の上の私たちの様子を、パーティで浮かれ騒いだ国民の皆さんがにやにやと見ている。

 話している内容は聞こえないだろうけど、触れられているのは見られている。ああ、恥ずかしい。


「でもいいの?私で」


 尋ねる私に、彼は首を傾げてみせる。


「どういうこと? 救国の聖女様が新支配者の妃だから、政治的にも僕に都合がよくて助かるんだけど」

「それはよかったわ。……でも、私はその。……リチャードのことが好きだからさ、その、えっと」

「何? 聞こえない」

「好きだから! ……その。性的な意味でさ」

「まあ」


 私の言葉に彼は驚いたように目を瞠り、大袈裟に口元に手で覆い隠す。


「モニカさん、大胆」

「でっ、でも!!! あなたはそういう感情、ないんでしょ? だから申し訳なくて」


 彼は真顔で私をじっと見つめる。その表情の意図するものが読めなくて、私は不安になる。


「……リチャード?」

「……この間から思ってたけどさ。なんでモニカさんはずっと、そう思ってるの?」

「え?」


 私は当然のことだと思い込んでいたので質問されて 逆に困惑する。


「だ、だってどんだけ聖女の異能を使っても、リチャード乱れないし」

「好きな女の子の前ではカッコつけてたいじゃん」

「え?」

「はは、モニカさんは本当に可愛いね」


 言いながら、おもむろにリチャードは立ち上がった。


 翻る支配者の濃紺のマントに、朱より紅い燃えるヴァーミリオンブロンド。

 私を見下ろして、そして近づいてくる瞳はファイアオパールの輝きで。


 リチャードは微笑みを浮かべ、当然のように私の頬に手を添え、熱烈なキスをしてきた。


「ーーーーーーーー!!!!!!!」


 貞操の固い聖女には刺激的すぎる、とんでもない口付け。


「ふう」


 唇を離して、彼はぺろりと濡れた唇を舐める。

 その目の獰猛な輝きに、私は騙された!!! と、心で叫ぶ。


 パーティのギャラリーが大歓声をあげ、ジョッキを掲げて皇弟殿下と妃のキスを祝福してくる。

 頭が真っ白になる。

 身体中の血がぐつぐつと滾って、体の中をめちゃくちゃに暴れてるみたいだ。


 なにこれ、なに、これ。


「僕はしっかり紳士の皮を被り続けられてたってことだね。頑張って耐えてたんだよ?」

「な…な………」

「好きだよ、モニカさん♡」


 彼は立ち上がり、私をひょいと抱え上げる。


「お! 殿下が聖女様を抱え上げたぞ!」

「ヒュー!」

「おっしあわせにー!」


 みんなが囃し立てる。

 私は顔が熱くなる。

 恥ずかしいけれど離してほしくない。


 軽々と抱き抱えられてパーティ会場から悠々と奥の休憩室に連れて行かれるのが、夢のような気持ちだ。


「ねえ、モニカさんすごくドキドキしてない?」

「……言わないで」

「そういう顔も全部、これからは僕が独り占めするから」

「っ……!!!」


 こんなのもう、だめだ。聖女としてありえない。

 ああもう、だめ。誰か早く、私を発情聖女と罵倒して!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

婚約破棄だ、発情聖女。 まえばる蒔乃 @sankawan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ