第8話 守ってくれる、不思議な人。
そして早々に翌日、私は馬車で南方領域へと発った。
馬車にはなぜか、皇弟リチャード殿下がにっこり笑顔で同乗していた。
「風が気持ちいいねえ。雨が降らないといいね」
「……いや、そういう問題ではなくて……」
清潔な軍服と甲冑を纏っていること以外は、態度も表情も、以前から私を守ってくれていた赤毛の人の良さそうな騎士団員の頃そのままだ。
あなた一応、偉い人たちみんな黙らせることができるような皇弟殿下でしょう。ねえ。
私はリチャードを見やる。
宮殿で見るときは流石に皇弟らしい立ち振る舞いと、相応の装いに、そうそうたる従者を従えて佇んでいるものだから明快に『皇弟リチャード殿下』の気品が溢れているのだけど。
こうして平民の騎士っぽい装いになってセットしてない赤毛を風に靡かせて、窓外の景色を眺めている彼も、気品や上品さって隠せないものなんだと感じる。
「なんでリチャードが来るの?」
「だって聖女の力がうっかり暴走して、他の人が発情したら大変だから。モニカさんを守る男は必要でしょ?」
「治療したりしない限りは発情させないわよ」
「でも、モニカさんは困ってる人がいたらすぐに助けちゃうじゃない」
「まあ……そりゃあ、聖女だから」
「ね? だから僕みたいなボディーガードが必要なの」
「他の騎士に任せればいいじゃない。女性騎士もいるし」
「絶対だめ。女の人だって信用置けない。普段ストイックなモニカさんが、うっとりと扇情的な眼差しで見てきたら、メスのゾウでも発情期になるよ。危ない危ない。だから僕じゃなきゃだめ」
「何よその例え。でも確かにメスのゾウに乗り掛かられたら死ぬわ」
「モニカさんは安心して僕に守られててね」
リチャードはにっこりと笑う。
確かに皇弟殿下が守っている聖女ならば、性欲に駆られて襲われることもないだろうけど。
ありがたいけど困惑してしまう。
「ところで」
「ん?」
「モニカさん、新品の修道服着ないの?」
「現場に行く時に絹のドレス着るわけないじゃない。それにこの着慣れた作業着の方が落ち着くしね」
「ピンクの髪綺麗だから、もっと普段から見せてればいいのに。いや、見せてたら危ないな……」
「……にやにやしないでよ。恥ずかしいから…」
私は頭に被ったウィンプルを整え直し、視線の気恥ずかしさに耐える。
その愛嬌の良さと人懐こさはどう見てもリチャード・イル・ベルクトリアス皇弟殿下なる高貴な人とは思えない可愛らしいもので、私はその身分と態度のギャップに困惑しきりだ。
そもそもそんな皇弟殿下たる人が、私ごときに「モニカさん」ってさん付けはやっぱりダメでしょ。ねえ。
「絶対モニカさんって僕は言い続けるからね」
「心の声読んだの? あなた」
「顔に書いてあるからさ」
彼はにこりと笑う。
「前から思っていたけれど、どうして『モニカさん』なの? あなたの方が年上だし皇弟殿下だし、呼び捨ての方が落ち着くのだけど」
SSS魔物の森で一緒だった頃は『聖女さん』と呼ばれていた。その名残といえば名残なんだけど、私は彼にモニカさん、と呼ばれるとなんだかくすぐったく感じてしまうのだ。
私の問いかけに、リチャードは含み笑いを浮かべ、綺麗な双眸で私を捉えた。
「……僕はモニカさんを尊敬してるから。人の期待を背負う者として」
「そんな大層なこと、したことないけど」
「うん。モニカさんがそうやって、強さや背負ってるものを鼻にかけないのも好き。尊敬してる」
「あ……ありがとう、うん……」
噛み締めるように褒められると、綺麗な眼差しを正面から見られなくなってしまう。
会話が途切れた馬車の中、私が恥ずかしくて外を眺めているうちにリチャードは、うたた寝を始めていた。
「疲れているわよね、あなたも……」
馬車に揺られる彼の寝顔を見ながら思う。激務で疲れているのは皇帝夫妻だけではない。リチャードも忙しいのだ。
それなのに、皇弟殿下としての公務の合間を縫って必ず私を守ってくれる。
「……私のためにありがとう」
眠る無防備な顔を眺めながら、私は改めて落ち着いて、リチャードのことを考えた。
「不思議な人よね」
彼の名前を知ったのは最近の話ではあるけれど、前線基地での関係は長い。
魔物を前に彼を守ったことも、守られたことも、傷ついた彼を回復させたこともある。
汗と血と泥にまみれていた日々。
ーー今思えば、ひどく懐かしく、全部が嘘のようだ。
「そういえば、この人は私を襲うことはなかったわね」
どれだけ過去の記憶を手繰り寄せても、私はリチャードの乱れた姿を見たことがなかった。
前線基地は死地だ。
死地ならそれ即ち誰も彼もが、私の聖女としての異能を浴びて回復して、そして発情した有様を晒したということになる。
王太子が罵倒した「肉欲の宴」なんてものは前線基地のなかには本当になかった。
少なくとも私に襲いかかる人はいなかった。
みんな私のことを命の恩人と言って、みんな必死に聖女との一線を守ろうとしてくれていた。それは真実だ。
しかし。
どんなに理性を保とうとしても、媚薬を飲まされたような状態になればそれなりに頭が真っ白になり、本能的に私を襲おうとしてきた人は結構いる。
それでも貞操を守ることができたのは、やはり一緒に戦った皆の理性のおかげだ。
皆力を合わせて、チームを組んで私を襲わないように仲間の体を拘束してくれたり、お互いに理性を保って抑え合うことで私のことを守ってくれていた。
本当にいい人たちだったのだ。
性欲で昂るのは仕方ない。
しかしそれを抑え合う仲間がいる。素敵な場だった。
それでも、リチャードが乱れたところを私は見たことがない。
どんな時も彼は私を守って、いつもにこにことした人懐こい態度を一貫して貫いていた。
リチャードはつくづく不思議な人だ。
「そういう欲求がない人もいるらしいしね、世の中には」
馬車に揺られながら私は最終的に「彼は性欲がそもそもゼロなんだ」と納得に至っていた。
だってそうでもなければおかしい。
私は多分、普通の人よりも多くの人々の「性」にまつわる欲望を見つめてきた。
異性が性的に好きな人、同性が好きな人、どっちだってなんでもいい人。
麺職人に縛られて、放置プレイされながら麺打ちされなければ欲望が満たされない人。
色んな人がいるのだから、性欲が元々0な人だっていてもおかしくないのだ。
「リチャードがそういう人で助かったなあ…」
リチャードは強いし愛想もいいし、家柄も太い。
聖女の後ろ盾としてこの上なくありがたい存在だ。後ろ盾という意味じゃなくても、彼はいい人だ。
きっと彼が皇弟じゃなくても、こんな綺麗な美男子じゃなくても、きっと私は彼のことを同じように信頼していた。
正直、皇弟なんかじゃなかったら、
「私と一緒にずっとバディを組んで仕事して暮らさない?」って持ちかけたかったレベルだ。
性欲0なら、いつかどこかで恋をして私から離れるってこともないし。
ずっと私とバディとして平行線なのも、淋しいけど。
「ん……?」
待って。私、今何か変なこと考えてなかった?
「わ、私も疲れてるのね」
無理矢理そう結論づけて、馬車の揺れに任せて私も居眠りすることにした。
ーーー
そして。
南方領域の結界作成は無事に成功した。
同時並行で行っていた学者調査により、私が予想していた「南方領域の問題、御神木伐採原因説」は見事に実証された。
御神木があった場所をさらに掘り返してみたところ、魔石ーー魔物の死体に術を施して埋葬すると生じる石ーーが大量に発掘されたのだ。
まさかこんなところに魔石があるなんて、と村は大騒ぎらしい。
「魔石で得た資金で、南方領域の農地改革を行うことになったよ」
後日、農林水産大臣とリチャードが、にっこにこで私に教えてくれた。よかった。
そんな彼らの後ろに、たくさんの大臣が並んでいる。
「さて、聖女さま!!!! 次の問題解決が待ってますよ!!!!」
「ひ、ひえー」
一つ功績を作ってしまった私の元には、連日各地各所から魔物にまつわる相談が舞い込むようになった。
まあ、忙しいのは良いことだ。
リチャードも一緒にいてくれるし。
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