第3話 なるべく早急に穏便に出て行ってほしい。
正直。王太子からは、
『お前は今後とも、平民の発情聖女として我が国を魔物の脅威から守ってくれ。以上』
なんて言われていたから、私が国を出ることに反発されたらどうしようと思っていた。
けれど意外や意外、そのまますんなりと出ることが認められた。
むしろ大臣からは手紙で長々とした長文で、
「むしろ国からなるべく早急に穏便に出ていってほしい」
という旨まで書き添えられてしまっていた。
私の異能の代償についてタレコミしたことですっかり王太子の信用を得た、あいつーーカウント・ストレリツィ卿がもっと有る事無い事を王太子や側近に吹き込み続け、王宮では、
「発情聖女は国外追放して然るべき!!」
という流れになってしまっているらしい。最悪である。
ーーけれど。
正直、ストレリツィ卿が暴露していてもしていなくても、いずれ私は国内に居づらくなっていたと今では思う。
体に性的なものを催させるまでの強力な異能。
隠し通せるわけがないし、ストレリツィ卿がいなくても他の「けしからん!」と思った人が文句を言い出すことは当然あっただろう。
それに。
王侯貴族は一応、満場一致で私と王太子との婚約を承認してくれていたけれど。
元平民の聖女が王太子妃になるなんて本音としては避けたかったと思う。
誰も文句が言えない速度で王太子が私を婚約者に指名したから、とりあえず呑まれるままに承認してしまいました、ってところだっただろうし。
もしかしたら婚約後に何らかの手を使って殺されてたかもしれないわ。おー怖。
そもそも、王太子に婚約破棄された女が未だに国内で聖女を続けているというのも。国としてあまりよろしくないと思われても当然で。
ーーとにかく、いろんな理由で私は、国を出たほうが丸く収まるのだ。
ちなみに、私が前線基地を離れることが決まったことに併せて、国は前線基地と歓楽街の一斉浄化作戦、という名目の歓楽街潰しを行ったらしい。
すでにあの歓楽街の人たちは家財道具を持って早々に各地へ散り散りとなっていたので、誰も酷い目に遭わなかったと赤髪の彼から聞いてほっとした。
あの居心地の良い街にもう戻れないのは悲しいけれど、みんな無事に逃げることができたのならよかった。生きていれば、いつかまた会えるかもしれない。
「う……」
ちょっと泣けてきた。
目をゴシゴシと拭っていると、隣で赤髪の彼が私を見て心配そうに眉を下げる。
「聖女さん、大丈夫?」
「ん。平気」
私たちは帝国行きの乗合い馬車に乗っていた。
国の西端から東端まで横断する定期馬車なので、私たち以外の人々は少しずつ入れ替わっていた。
たまたま今は、私たち二人だけが馬車に座っている。馬車の中を強く風が吹き抜けていくので、涙に濡れた頬もすぐに乾いてくれてありがたい。
「……帝国、かあ」
馬車から景色を見ながら、私は膝を抱えてため息をつく。
村は今小麦を植える真っ盛りで、あちこちの畑で娘たちが並んで苗を植えている姿が見える。
雲はちぎったパンのように丸く真っ白で、のどかで優しい景色が、どんどん遠ざかっていく。
王太子のことは辛かったけど、私はこの国が好きだったんだ。
もうこの景色は、一生見られないのだと思うとどこか寂しい。
「やっぱり、故郷を離れるのは寂しいよね」
隣で彼が気遣わしげな声をかけてくれる。
私は「ありがと」と笑みを返した。
「いいんだ。私の故郷の村は魔物で壊滅しちゃってるし、第二の故郷だった前線基地や歓楽街はもう、浄化作戦で様変わりしちゃっただろうし。元々故郷なんてないから、気にしないで」
私は笑って返す。
聖女なのに気遣われる側になるなんて、みっともない。
「きっと色々あって、まだ気持ちが追いついてないだけ。すぐに戻るわ」
「……無理しないでね。急ぎじゃないし、長旅なんだから体調管理第一で」
「腐っても聖女だから問題ないわよ。何かあればパーッと治せばいいんだし」
「ほらー。そうやって無理するし無理できちゃうのが、ハイスペックな人の悪いところ」
彼は唇を尖らせて私のおでこをぴんとつつく。
何だかおかしくて、私たちはお互いに笑い合った。
旅の途中で聞いた彼の名前はリチャード。
年齢は23歳。
特技は実戦の剣技で、苦手なことは儀礼的な剣技。水泳が趣味で地元では素潜りをしてウニを捕まえて、食べるのが好きだったとか。
赤毛で金色の瞳で甘いマスクで、ぱっと見は育ちのいい大型犬(わんこ)……もとい、王子様という感じなのに、意外なほどにやんちゃだ。いや、国外のSSS魔物の森で無双していた時点で、すでにわかっていたことだけど。
「僕のことは色々話したけど、聖女さんは、どんな人なの?」
「え、私?」
「そう。次は聖女さんの番だよ」
そう言われても困ってしまう。
前線基地でさえ私は本名を名乗らず、「聖女さん」で過ごしてきたからだ。
今更本名を明かすのは、なんだかプライベートな部分を曝け出すような恥ずかしさがある。
「うーん……」
「話したくない?」
「嫌とか、そう言うのでは、無いんだけど……」
躊躇う私の目元で笑んで、彼は馬車の前方を見た。
「聖女さん、もうすぐ国境でしょ? 国境を越えるときは流石に帝国軍人に本名も生年月日も、生まれた土地も明かさなければならなくなる」
「まあ、そりゃそうだけど」
彼は悪戯な顔をして、私の耳元に少し顔を近づける。
「聖女さんと面識も何も無い、赤の他人の方が先に聖女さんの個人情報を知っちゃうって、僕嫌なんだけど」
「う」
リチャードは歯を見せて笑って、唇に指を立てる。
「ねえ、こっそり教えてよ。お願い」
私は根負けして、溜息と共に小さく、本当に久しぶりに、私の名前を口にした。
「モニカ」
「モニカ?」
金色の瞳を見開いて、彼は嬉しそうに名前を復唱する。恥ずかしい。
「モニカ・レグルス。年は19。恵雨月の、3つ目の精霊日生まれ。親はただの靴職人と農家の娘よ。二人とももう死んじゃったけど」
「なるほどね。ねえ、モニカさんって呼んでいい?」
「貴方の方が年上だし、別に呼び捨てでもなんでもいいわよ」
「モニカちゃん」
「やめて」
「ふふふ、そうかあ、モニカさんかあ」
彼は私の個人情報を噛み締めるように頷く。
「さあ、次は貴方よ、リチャード」
「へ? 教えたじゃん、リチャードって」
「その先よ。リチャードだけならこの世に400万人くらいいるでしょーが」
「ええとね……」
その時馬車が国境の門へと到着する。馬車の揺れにぐらりと座席から落ちそうになる私を、リチャードは逞しい腕で抱き留めてくれた。
「ありがとう」
「へへ、どーも」
リチャードは人懐こく歯を見せて笑う。
そのとき、外で甲冑姿の軍人がビシ!と金属音を立てて整列するのが見えた。
「お帰りなさいませ、皇弟リチャード殿下!!!!!!」
「え」
私は思わず彼ーーリチャードの顔をみる。彼はばつが悪そうに、頬を掻いて笑っていた。
「兄貴夫婦って」
「うん、皇帝夫妻」
「待って。ねえ、待って」
リチャード・イル・ベルクトリアス皇弟殿下。
それが、彼の本当の名前だった。
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