第12話 追撃と救いの手

「……って感じだったんですよ杯賀さん! 妃与さんも早旗さんも酷くないですか?」

 段々と傾いて眩しくなってきた夕日を手で遮りながら、杯賀はブラインドを閉めた。部屋に差し込んでいた夕日が遮られ、今日部屋に居た杯賀、早旗、水野、相良の四人の色温度がグッと下がった。おかげで杯賀の眼には、水野の顔が一層不機嫌そうな色合いに映るのだった。

「ふむ、まぁメンツが悪かったな。早旗も笹夜も弱い者いじ……りが好きだからな。水野の早とちりは事実なわけだし、俺からも言っとくから今回は許してやっておあげ」

「えぇ~、もー、じゃあきつく叱っておいてくださいね、いじりすぎはパワハラです、って!」

 杯賀が言い淀んだ言葉に若干引っ掛かりを覚えながらも、水野は『パリポリチップ のりしお』の袋からむんずとチップスをつかみだし、パリポリとむさぼった。

「だとさ、早旗。いじめたい気持ちもわかるが、水野は入学してまだ日も浅いんだし、もう少し手加減してやりなよ」

(今この人完全に「いじめたい」って言っちゃったよね? はい、アウト。お母さんお元気ですか?私は入学早々先輩たちにいじ“め”られてるみたいです)

 更にムスッとした感情とチップスで頬を膨らませる水野に向かって、早旗は申し訳なさそうに謝る。

「ごめんね? 舞湖ちゃん。俺も妃与ちゃんも悪かったけど、ここ以外でこの話を広めるとかは絶対しないから、そこは安心してもらってさ……ささ、こちらのサイダーもお召し上がりくだされ」

 早旗は腰を低くして、うやうやしく紙コップのサイダーを水野に勧めた。水野はゴミでも見るかのような目つきで早旗を見下ろしながら、パシッとサイダーを奪い取ると、クックックッゴクン、とチップスもろとも胃袋に流し込んだ。部屋の隅で二人の一連のやり取りをジーッと見ていた相良が水野に声をかけた。

「どう? 炭酸強すぎない?」

「えっ? 別に……四ツ矢サイダーよりは強いかなって思いましたけど、強すぎるとかは特になかったです。少しだけエグみ? みたいなのはある気がしましたけど……相良先輩これ苦手とかですか?」

「いや、そのサイダー、僕が今試作してる炭酸ドリンク装置で作ったやつで、色々成分調整中なんだよね。毒味ありがと。強すぎないなら一旦これで……」

 後はやっぱ塩素臭消す仕組み考えないとな~、と相良はぶつぶつ呟きながら手元にあった木製の枠組みの、歯車や塩ビパイプやらが複雑に組み込まれた立方体の箱をコチャコチャといじり始めた。ギギギと音がしそうな、のような動作で水野は早旗の方をかえりみた。早旗は屈託のない笑顔でニカっと水野に笑って見せた。

「早旗さん聞きました? 今相良先輩、『毒味』って言いましたよね」

「舞湖ちゃん今日はほんとごめんね? 『話逸らさないでください』妃与ちゃんにも杯賀ちゃんと一緒に『あの、早旗さん?』きつく言っとくからさ、機嫌直して『おいクズ詐欺ゴミカス先輩』ちょっと待とう流石に口が悪くてお兄さん驚きが隠せないよ。あっ、ちょっマジでごめん俺が悪かった、セーブするから落ちつ……ヒッ」

 今にも殴らんと水野がプルプルと震わせながら頭上に掲げた腕に、いつの間にか近くに来ていた杯賀がポスっと手を置いた。

「まぁそう荒ぶるな水野。このサイダーは元はと言えば俺が相良に頼んで作ってもらってるものだ。俺も既に何度も『毒味』したが、今のところ特に異常はないから安心しろ」

 ウー、と番犬のようにうなって、ほんの少しだけ涙目でこちらを見上げる水野を見て、杯賀はフッと笑みを浮かべた。

「今日はストッパーの槙田が居なかったのが災いしたな。これあげるから少し機嫌を直してもらえないか?」

 そう言って杯賀はポケットから何かを取り出すと、うっすらと筋の浮いた水野の拳をサッと開き、包むようにしてそれを握らせた。

「なんですかこれ?」

 バッと手を引っ込めた水野は何を警戒してか、半信半疑の目つきで早旗と杯賀を交互に見やって手許に目を落とす。水野がゆっくり手を開くと、杯賀と相良は少し得意げに目配せをし合った。

 それはワッペンだった。ワッペンは消しゴムくらいのサイズの楕円形で、表には何かのロゴらしきものがデザインされていた。裏には缶バッチのように安全ピンがついていて、好きなところに留められるようになっている。

「ロゴデザインはまだ検討中で、今後水野にも協力してほしいんだけど、それは『報われない者たち』の会員証みたいなものだ」

「おー、会員証ですか!」

 水野はワッペンをしげしげと眺めた。ロゴのマークは透明なクリアパーツや手芸用のパーツで細かく装飾されており、かなり作りこまれていることが伺える。

「さぁ、会員証が君の手に渡ったということは、君は『報われない者たち』に属しているという物理的な確証を得たわけだ。素晴らしいことだと思わないかい? 会員証はまだそれしか作ってないから、唯物論ゆいぶつろん的に考えれば、君が『報われない者たち』の会員であるということは今この場にいる誰よりも『確からしい』ということになる」

「えぇ、まあ確かにそうですね。いまのところ私は先輩方からいじられまくってその名の通り『報われない』可哀そうな後輩だったわけですが、会員証を手にすることによって図らずも『報われし』者になろうとしているって感じですもんね。幸せ過ぎて涙が出そうです」

「少なくとも、機嫌を多少上向かせるには十分だろう?」

 杯賀が水野渾身の皮肉をひらりとかわしたところでガラガラッと部屋のドアが開いた。

「こんにちはみんな~。あら、今日は珍しい組み合わせ……槙田君が居ないのね、水野さん大変だったんじゃない?」

「多田先生~!」

 駆け寄ってきた水野をよしよしとねぎらい、多田は室内の男三人に順番に目線を送る。三人はそれぞれぎこちなく姿勢を正しながら、各々明後日の方角を向いた。

「もー、後輩が入ってきて嬉しいのは分かるけど、あんたたち陰キャなんだから距離感気をつけなさいね?」

「陰キャとはなんだ出るかもなくせに」「陰キャと距離感の問題は別の話であってそこの相関は~」「俺は陰キャじゃない、からくりが好きなだけだ!」等々口々に返される反論の嵐を押さえ、多田は言う。

「ごめんごめん、あなたたちとの仲だから言ったけど、生徒に向かって陰キャは良くなかったわ。でもジョークとプライバシーは紙一重ってことよ。いじる前に、もうちょっと純粋に水野さんと仲良くなってあげなさい」

 三人はバツが悪そうに上をむいたり、うつむいたりして、皆一様に「はーい、わかりました先生」という旨の言葉をぼそぼそとつぶやいた。

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