第11話 水野の恥と、笹夜の恥

「えっ、……勘違いですか?」

 怪訝な様子でそう聞き返す水野を、笹夜はフフフと笑いながら続ける。

「えぇ、そうよ。ねぇ早旗君、私たちが今何を見てたのか、舞湖ちゃんに説明してあげてほしいんだけど、お願いできるかしら?」

 なんとも嫌な予感がして、またしても、だが先ほどとは違う意味合いで、水野の背中がヒヤッとした。

「おけ、了解。えーとね、舞湖ちゃん。俺も妃与ちゃんも自転車通学なんだけどさ、横道よこみちから急に車が飛び出してくる、という経験を二人ともしたことがあって。それで、ここから通行人を見て、その人が横道から飛び出すタイプかどうかを予想し合ってたんだよ」

「え、じゃあその、出るとか出ないって……車のこと、です、か?」

「うん、そゆこと。えーっとだから、てことは、舞湖ちゃんが勘違いしてたってのは、」

「いえ違うんです! 何でもないんです早旗さん! 忘れてもらって大丈夫です!」

 ブワッと毛穴が開き、冷や汗が噴き出す。自らの勘違い、車を母乳と早とちりしていたことに気づいた水野の顔は、見る見るうちに赤く染まっていく。

「あら〜舞湖ちゃん、なんだか顔が赤いわよ~? お姉さんが抱きしめて落ち着かせてあげようか? あ、残念ながら、お姉さんはんだけどね?」

「もうっ! 妃与さんいじめないでくださいよ! めちゃくちゃ恥ずかしいんだから!」

 それ以上しゃべるのをやめさせるべく、水野はガバッと笹夜に飛びつき、懇願するように両腕をつかんで揺さぶった。笹夜はフフフと口元を押さえながらツボにでも入ったようで笑い声を漏らし続ける。分かってか、分からず笹夜に合わせてか、早旗が口元を緩ませながら言った。

「えっ、ん? ねぇごめん、いまいち俺追い付けてないっぽくてさ、一回整理させてほしいんだけどさ。『整理しなくていいです!』俺たちが出る出ないの話をしてた『だからしなくていいですって!』のは車についてだけど、舞湖ちゃんは出る出ないがおっ『ストップ!』ったいたいたいごめんごめん舞湖ちゃん離して離してぇ~」

 酔っ払いのような真っ赤っ々な顔色をした水野に渾身の力で腕をつねられ、早旗はたまらず悲鳴を上げた。

「もう! 二人とも杯賀さんに言いつけますからね! 私先に部屋行ってます!」

 水野は早旗の腕をバッとつねり捨てると、ズンズンと部屋に向かって早足で歩いていった。

「いって~、国語で習った『ねじきってすててんげり』って、ありゃあまさしくこのことだな」

 半分涙目で腕をさする早旗を尻目に、笹夜は水野を目で追った。ぐんぐん小さくなっていく水野の背中を見ながら、まるで親から離れる反抗期の子供みたいだと思い、笹夜は改めてクスりと笑う。あまりに反応がウブだからって、少しいじめすぎちゃったかしら。あとからお菓子でもあげとこうかな。

「お、ちょっと待って。見なよ妃与ちゃん! 見た目どころか車からしてもういかにも『歩行弱者は縮こまってろ』みたいなの見つけた!」

 泣いた早旗がもう笑い、はせずとも興味津々で指差す先に、一台の黒塗りのベンツがあった。ベンツには四十代前後だろうか、ガッチリとして浅黒い、やり手の弁護士風の男が乗っていた。髪はべっとりとつけられた整髪剤でテラテラと光っており、長めの前髪は耳元に届きそうなほど横に横に流され、頭の横にぴっちりと撫でつけられていた。笹夜の目が一気に曇る。しかし、早旗はそれに気づかずこちゃこちゃと『出る・出ない』議論を述べ連ねていた。ほら、アクセルとブレーキが細かすぎて車体が波打っちゃってるよ、と楽しそうな早旗をさえぎるように、笹夜は言った。

「そうね、正解。あの人は出るタイプよ。……」

 笹夜が最後ボソッとつぶやいた言葉を、早旗は聞き取れなかった。ほんの少しだけ眉をハの字に開きながら聞き返す。

「え、妃与ちゃんなんて?」

「いいえ、何でもないわ。ごめんなさい、私今日帰らなくちゃいけないんだったわ。早旗君、私の分まで舞湖ちゃんのフォローよろしくね? じゃあ、また明日」

 笹夜の頭がゆっくりと等速回転運動を始め、その目線がベンツから、灯台の灯りのようにグーっと回り込み、早旗の眼と一瞬合ったかと思うと、そのまま通りすぎて廊下の方を向いて止まった。

「あ、おう、わかった。なんか購買のお菓子でもあげとくわ。バイ~」

 笹夜はスッと窓際を離れると、水野と同じくらいのペースで、しかしこちらは幽霊のような静かさとしなやかさで、スーっと廊下を進んでいく。早旗はその背中にゆらゆらとだらしなく手を振りながら考えていた。

 聞き間違いだろうか? さっきの妃与ちゃん、「いっそ轢いてくれれば楽なものを」って聞こえた気がしたんだが……。



 ~*~*~*~



「おう妃与、遅かったじゃねぇか。ほら、さっさと乗りなさい。帰るぞ」

「わざわざ校門まで来なくていいと言ったはずですが」

 笹夜は足を揃えてベンツの横に直立し、機械のような無表情で運転席を見ていた。

「お? おまえ “父さん” がせっかく迎えに来てやったのに、なんだその態度は? それじゃあ美代ちゃんも悲しむんじゃないか?」

 運転席に座るガテン系の男は、やたら『美代ちゃん』という言葉を強調しながら、ギロリと笹夜をねめあげた。

「……申し訳ありませんでした。迎えに来てくださってありがとうございます」

 笹夜は一切表情を崩さずそう答えると、後部座席のドアを開け、ベンツに乗り込んだ。

「なんだ、ちゃーんと礼が言えるじゃねぇか。エライエライ。さ、行くか。今日は美代ちゃんがカレー作ってるってさ」

 男はアクセルをふかし、ベンツをぐるっとUターンさせた。笹夜は肘をついて窓から外を眺めていた。一瞬、校門に面した校舎にあるが見えた。遠くてよくは見えないが、夕日が反射して窓辺がキラキラと光っている。

(早旗君、ちゃんと舞湖ちゃんにお菓子をあげてくれたかしら。あ、そういえば『杯賀君に言いつける』って言ってたっけあの子。今頃わちゃわちゃしてるのかしら。混ざりたかったなぁ)

 ベンツはマニュアル車特有の、ガクガクとした動きで速度を上げると、学校から遠ざかって行った。

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