第二編 テーゼ

第一章 『ある女の子』の話

第10話 出る?出ない?

 春特有の朝晩の冷え込みが段々と薄れ、昼間に照りつける日差しに段々と汗ばみを覚え始める季節。

「あっ、あれは妃与さんと……早旗さん? だっけ?」

 木曜日の放課後。

 水野はに行く途中、何やら話し込んでいる様子の笹夜と早旗を、階段の下に見つけた。

「……が………ゃん……」

「…やい……出な……ろ!」

(ちょっと聞き耳してみようかなぁ~)

 水野はこっそり二人の背後に近づくと、近くにあった背の高い箒入れの陰に身を隠し、息を押し殺した。この辺りは家庭科教室や美術室といった移動教室ばかりで、放課後にはほとんど人気がなく、静かだ。聞き耳にはうってつけの静まり具合と言えるだろう。水野は少しわくわくしながら耳をそばだてた。

「じゃあさ妃与ちゃん、あの人は出ると思う?」

「うーん、出るんじゃない? 大きいし」

「そうだな。俺の経験上でも、大きいのは大体出るからな」

( ん? 大きい? 何の話だろう……)

 水野はもっとしっかり聞き取ろうと息をひそめ、一層ピタッと箒入れに張り付く。

「あ、あのお姉さまはどう? まだ動きが硬いしビシっと胸張って歩いてるあたり……就活生か新卒ってところかしらね?」

「あー、あのOLっぽい人ね。あの人は~、出ないんじゃない?」

「えー嘘でしょ? あの張りつめ具合はむしろビュッと飛び出るタイプだと思ったんだけど?」

「いやいや、ああいう神経質そうなのは逆に出ないっしょ〜」と早旗は面白そうにカラカラと笑った。

(ん? ビュッと出る? なにが? ん? え、ちょっと待って?)

 二人は窓から階下を覗き込み、どうやら学校脇の道路を行き交う通行人について、何かを話しているようだった。

「あ、あの人はどうかしら? あのミニバンの運転手」

「ハッハ〜ンあのサイズ! 子どもも十分大きいし、目つきからして気が強そうだし、十分出る素質はある!でも安z……」

 水野が首を伸ばして二人の隙間から何とか外に目を凝らすと、ミニバンに乗った三十代前半くらいの巨乳の女性が、道路で信号待ちをしていた。その助手席には、五歳くらいの男の子が乗っている。

(待って待ってまさか……そんな嘘、『大きい』『ビュッと出る』からの、この女の人ばっかの人選と話の流れは……おおおおおっぱい!? 母乳の話!?)

「お、妃与ちゃん見ろよあれ! あれは大きさがあまり関係しないタイプだ! 普段は出ませんって顔してこっちがナメてかかるとすーぐ飛び出るぞ?」

「あー、あの初心者マーク付けてる車の女学生っぽい人ね? ふふふ、正解かどうかはともかく、早旗君見分けるの得意なのね?」

「なーに、伊達に高校三年間過ごしてきたわけじゃないのサ。経験積んでたら最近なんとなくわかってきたよ」

「なんの経験積んでるのよ!」

 笹夜と早旗は顔を見合わせて笑い合った。

(うっわ最低! 早旗さんおっぱい出させる経験積んでるなんて、ド変態だ)

 水野はドキッとして、思わず両の二の腕をつかんだ。自分はもしかしたらヤバい集団に入ってしまったのかもしれない。放課後の窓辺で通行人を見下ろしながら、おっぱいが出るか出ないかの議論なんて……何と言うかこう、不毛だ! 不毛すぎる!

「あ、早旗君、あのひょろひょろの男の人はどうかしら?」

「あの黒いリュックの人か。あーいう気の弱そうなのは、いかにこっちが主導権を握るかにかかってくると思うよ?」

「なるほど、こっちのテクニックというか出方次第ってことね?」

「そ、そゆこと。相手の動きをよく見ながら、臨機応変にこっちの動きを変えていくのが一番よ」

 早旗さんそっち系もいけるのかぁ!? あー、早旗さんと妃与さんへのイメージと信頼がどんどん崩れていくぅ。……早旗さんも妃与さんもこの手の話に強そうなのは分かるけど、おっぱいを出させるテクニックだなんてエグイ話もしちゃうんですか? それは真っ昼間からする話ではなくないですか? しかも学校の! 誰が聞いてるかもわからないこんな場所で! お二人とも正気ですか!? 疲れてるんですかっ!?

 水野の心の紛糾をよそに、二人の議論は続く。

「おっ! あれ多田先生じゃん!」

「あらほんと」

 えー顧問の先生にまで手を出してしまうんですかお二方。流石に……

「教師って職業柄あんまり出ないイメージあるけど、早旗君どう思う?」

 流石に、それは……

「と見せかけて多田先生は意外と出るタイプなんじゃない? あの先生割とせっかちだし、プライベートとかだと案外」

 ガタッバタバタッキュキュッ!

「流石にそういう話、良くないんじゃないですかね!」

「……へ?」

「あっ……」

 気づけば水野は突っかからんばかりの勢いで、二人の背後に仁王立ちしていた。早旗は豆鉄砲を食らったような顔をしている。笹夜も突然話しかけられたことに少し驚いた様子で、頬を上気させる水野を見ていた。二人の視線を浴びて、水野の背中がヒヤッと冷たくなる。

「いや、すみませんその……お二人が今話してた内容ってその、全体的に女性ばっかで、ていうか、女性差別的な、感じでよくないんじゃないですかね?」

 急に怖気づいた水野は、思わず直接的に『おっぱい』と言及することを避けた。十五歳の水野には、まだ『おっぱい』という単語は甘酸っぱく、おいそれと知り合ったばかりの先輩の前で言える単語ではなかった。

「うーん、でもたまたま女の人ばっか通ってたからなぁ。まあ舞湖ちゃんがそう言うなら……お、あのトラックの運ちゃんはどう? 男の人だよ?」

「確かに、振り返ると女の人が多かったかしら……データの偏りは良くないものね。あの運転手さん、なかなか優しそうな顔してるわね。でも、そういう人に限って出r」

「きゃーー違うんです違うんですぅ! 男女比とかじゃなくて、ですねその、出……るとか出ないとかの話になるのが、良くないと思うんです!」

「「んン?」」

 二人はきょとんとした顔で水野を見やる。

「だから! ぉぉおおっぱいって! 人それぞれだから! あんまり出るとかでないとかどうこういうのは良くないと思うんです!」

 そう言い切って水野はハァハァと荒く息をついた。

 早旗は相変わらずキョトンとした顔で、笹夜を振り返った。笹夜は、あ~はいはい、と何かを理解した様子でニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「なるほど〜? そういうことね。舞湖ちゃんあなた、それはきっと勘違いしてるわぁ」

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