第三章 授業風景

第9話 スケッチ・マッチ

支持体しじたいというのは紙やキャンバス、石などのことで、描画材というのは筆やチョーク、ペンなどのことです。エジプトでは昔、パピルスという支持体が……」

 美術の先生が黒板にわかりやすくまとめた内容を、水野はそのままノートにとった。上夜内高校の芸術科目は選択制だ。入学した生徒は事前に『書道・美術・音楽』のどれか一つをアンケート回答しており、希望の科目を二年間『芸術選択』として履修する。水野が選んだのは『美術』。なんのことはない。字か、絵か、歌か、の三つを天秤にかけて最も興味があり、かつ多少の心得こころえがあるものを選んだだけのことだった。

辰砂しんしゃが赤、藍銅鉱らんどうこうつまりアズライトやラピスラズリは青の原料として使われていました。にかわというのり状の展色材てんしょくざいと混ぜて、壁画に用いられた例が有名ですね」

 水野の周りには三クラス分の美術選択生、合わせて二十人程が水野と同様に身を硬くして、初めての美術の授業の話を聞いていた。

「膠と顔料を混ぜる授業は来週やります。今日は、木炭を使ったクロッキーをします。皆まだ入学して日が浅いし、仲良くなる意味も兼ねて、近くにいる人を二人分、十分間をワンセットで描いてもらおうと思います」

 水野は配られたスケッチブックの新しいページを開き、細長くて無骨ぶこつな木炭にティッシュを巻いた。

「まずは左側にいる人がモデルをやって、右側にいる人が十分でスケッチしてください」

「私、七組のひいらぎ 小夏こなつです、よろしく」

 隣から急に掛けられた声にビクッとしつつ、水野は横を向いて自己紹介した。

「よろしくお願いします。私は水野舞湖です。八組です」

「可愛い名前だね。まいちゃんって呼んでいい?」

「うん、大丈夫」

「ありがとう!」

 柊は水野にニコッと微笑み、モデルさながらにポーズを取った。先生が全体を見渡しつつ、「始め」と号令を掛ける。

「じゃあ、描くから動かないでね」

「うん、分かった」



 ——二十分後



「そこまで! お疲れ様。三回目は自由に動き回って相手を探してもらおうと思います。私は次の授業の準備をしたいので、ちょっとだけ準備室の方に行きます。その間に移動しておいてください。じゃあお願いします」

 先生はそう指示を出して、裏の準備室に姿を消した。生徒たちはわらわらとペアを探して移動を始めた。水野は先ほど書き上げた柊のスケッチをしげしげと眺めた。

(人のスケッチもやってみるもんだな。初めてにしては上々じゃない?)

「まいちゃんありがとうね」

「ううん、こなっちゃんもありがとう」

 柊と同じように礼を言って水野が席を立とうとすると、目の前で柊に、同じクラスらしい生徒が後ろから抱きついた。

「こなっちゃん、どうだった? 私全然時間足りなくてさ、上半身だけで終わっちゃったよ」

「わっ、すーちゃんびっくりするじゃん。あ、この子はまいちゃんだよ」

 急に振られた水野は、少しワタワタしつつ、『すーちゃん』と呼ばれた女子に挨拶した。

「『舞湖』でまいちゃんね、よろしく。私は河野かわの鈴子すずこ。すーちゃんでいいよ」

「うん、よろしくすーちゃん。あ、もしよければ次のスケッチ、すーちゃんで描いてもいいかな?」

 水野はそのまま柊、河野の二人と、先生が戻ってくるまで雑談を続けた。クラスの木藤に続き、二番目に出来た友達、とでも言おうか。水野は移動教室、別クラス合同という場で、友人を作れたことに安堵しつつ、すーちゃんをスケッチするべく木炭を握った。



 ~幕間~


 ——ある二人のチャット履歴


『てことは、将来結婚できたとしても、子どもは欲しくない派なのね?』[21:52]

『そうなりますね。私の遺伝子を残したくないですし、私なんかに育てられる子どもが不憫です。相手によるところもあるかもしれませんが。』[22:28]

『なるほど、そういう考え方もあるのか。俺は逆に自分の遺伝子を残したい、自分の遺伝子が変容していくサマを見たいってのがあるんだが、すこし期待しすぎなのかもなぁ。』[22:49]

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