第5話 「杯賀お前、結構、脚速いんだな」「もう一回、走ってやろうか?」「……?」

「むしろ俺たちが一番身近に考えなければいけない問題だと、俺は思うんだ。俺たちが日ごろ生きるにあたって、善く生きるには、幸せに生きるには、どうしたら人間関係が円滑に行くのか、どういう心構えで生きたら傷つくことが少ないのか、どうしたら他人から嫌なことを言われても気にせずに生きていけるのか、どう生きたら自分らしい生き方になるのか、etc,etc……。それらをギュギュっと詰め込んで据えたテーマが『善い人間とは?』って議題なのさ」

「あー、なるほど。そう言われると、なんとなく私にも関係あるのかなぁって思えてきました」

 杯賀は特に誰に言うでもなく、ボソッと「君だけじゃなくて、全人類さ」と独りごちて姿勢を崩し、リラックスした体勢になるよう座り直した。

「皆さんこそクラスマッチには参加しないんですか?」

 水野が聞くと、杯賀、槙田、樹波は目を合わせあって苦笑いをした。樹波が水野の方を見て言う。

「私は持病があって、そもそも激しい運動が出来なくてね。杯賀さんと槙田さんはそんな私の暇つぶしに付き合ってくれてるんだよ」

 そう言われて水野が樹波を上から下までザッと見ると、確かに病弱であることが頷けるような色白さで、女子のような華奢な体つきをしていることがうかがえた。

「えっ、あ、そうなんですね。じゃあ一応杯賀さんと槙田さんはズル休みではなくちゃんと理由があったと」

「ズル休みとはひどい言われようですね」

 槙田はハハハと苦笑した。

「僕も杯賀さんも、クラスマッチはやるだけ無駄だと思っててね、それで毎度 “ズル休み” してたら、我らがジャンヌダルクの多田先生が、問題にならないようにこうして大義名分をくださったんだよ」

「はぁ……。クラスマッチってやるだけ無駄なんですか?」

 少し言いにくそうに、言葉を出し渋る様子の槙田に代わり、杯賀が話を継ぐ。

「まぁ何と言うか、クラスマッチのコンセプト自体はもちろん有意義なんだが、いかんせんプレイヤーがそのコンセプトとは別に余計な悩み事を増やしていて、結果的にそれがクラスマッチのコンセプトをないがしろにしてしまっている、という事かな」

 杯賀の概要説明に、水野はただ「はぁ」と相槌を打つしかなかった。その様子を見て、杯賀は「OK、簡潔に行こう」と、水野の方に向かって少し身を乗り出した。

「これは俺と槙田で昔、話し合ったことなんだが……クラスマッチのコンセプトは大まかに分けて、二つある。一つは、普段勉強漬けの生徒の為、運動による気分転換。もう一つは、定期的な小規模運動大会を通じて、各クラス及び各生徒の交流を深めさせること。理想としては非常にいいコンセプトだと思うが、実際の現場をかんがみるに、クラスマッチによって生徒全員が気分転換をして各々と交流を深め合っている、という大人の認識は

 杯賀は熱が入ってきたのか組んでいた足を戻し、前のめりになって説明を続けた。

「そうは言っても、完全に間違っているわけではない。例えば負けかけているチームが逆転勝利をすれば、当然そのチームは強力な一体感を得ることが出来るだろう。これは、気分転換にもなるし仲間内で親睦が深まるいい例だ。しかし、そういったケースはごく一部であって、大抵クラスマッチで幅を利かすのは運動部の特定のメンツだ。クラスマッチは運動を主な内容としているがゆえに、各個人の運動能力がそのまま戦力として求められる。そこでは、運動部と運動部じゃない者、運動が得意な者と運動が不得意な者の間に、明確な優劣が付けられるんだ。運動が出来る者はクラスマッチで存分に活躍し、運動が苦手な者はいかに皆の足を引っ張らないようにするか気を揉む。この時点で、クラスマッチのコンセプト①は破綻する。自分は運動が苦手だから、出来ないからと、クラスマッチで気分転換が出来ない上に余計な気を揉んでしまうやつは、必ず一定数以上、存在する」

 水野は、なんとなく胸が締め付けられる感じがして、グッと両手を握りこんだ。

「次にコンセプト②だが、ここで問題になるのは『運動部の特定のメンツ』と『運動が出来る者』の二者だ。特に運動部の特定のメンツはたちが悪い。基本的にクラスマッチは、メンバーが定期的に入れ替わって、全員が選択した競技を絶対にプレーするようなルールが設定されている。しかし、勝負に一部のやつらは、。俺は一度やられたことがあるが、ルールで交代の時間になった際に、俺にゼッケンを渡さず『杯賀まだ疲れてるだろ? 休んでていいよ、もう一回俺行ってくるから』と言って、周りもそれにウンウンと同意し、おかげで俺はその試合に出させてもらえなかった、ということがある。俺が体育祭の短距離走でそいつを抜かしてやった話は……別にするとして、今言ったような『運動が不得意そうなやつを試合に出させない行動・仲間外し行動』は、各クラスで結構見られる。槙田もその瞬間を何度か見たことがあるそうだ」

 槙田は大きくコクリと頷いた。

「さぁ、もう言わなくてもわかると思うが、これでコンセプト②は破綻する。特に運動が不得意な側は強く思うのだろうが、。さて、これで先生たちが設定していたクラスマッチのコンセプトは、現場の状況とすり合わせを行うと、二つとも音を立てて瓦解してしまったわけだ。そんなクラスマッチ、果たして?」

 気がつけば水野は、爪の跡がつくくらい両手をグッと握りこんでしまっていた。杯賀の意見は非常に共感できたし、まったくもってその通りだと水野は思った。

 だが同時に、何かを見過ごしているような、何かを言い過ぎてしまっているような、そんな違和感も感じるのだった。

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