第4話 聞き耳ッス

「はい。まず、身体障害者というのは、基本的に自分で何かを完遂することが出来ません。体に不自由があるからこそ、他人の助けが要所要所で必要になってくるわけです。そこで、障害者の方々には、常日頃つねひごろから自分の生活を支えてくれる人に感謝の念が芽生えるはずなんです。そして、自分が助けてもらっている分、自分も誰かを助けたいと思ったり、何かを出来ない辛さをわかっている、痛みを持っている分、人一倍他人に優しくなれたりすると思うんです。それが僕の思う『完全性』です」

(うーん、『完全性』はよくわかんないけど、障害者の人たちは確かに優しい? イメージあるなぁ。えーと、要は槙田さんは、障害者の人たちみたいな優しさを持つことが完全性である、と考えてるわけで、それってつまり……どういうことだ?)

 杯賀は足を組んで槙田の話を聞いていたが、指先でトントンとこめかみを叩いた。

「……なるほど、自分に欠け目があるからこそ、利他的な目線を常に保ち続けられるというわけか。でもそれは何と言うか……“完全性”という言葉は当たらないんじゃないか? 完全さや不完全さとはまた別の尺度の話な気がする。結局は“善い人間”に収束するからそこまで気にすることでもないのかもしれないが……それこそ思いやりや優しさといった尺度とか? でも槙田の言うように、そういった思いやりを持った人間こそが真に人間らしい、人間としてあるべき姿だ、という文脈は確かに俺も共感できるな」

(『真に人間らしい』って、普段は人間らしくないってことですか杯賀さん? でも私たちはハナっから『人間』っていう生き物じゃなかったでしたっけ……?)

 次々に湧き出る水野の疑問をよそに、杯賀と槙田、樹波と呼ばれる生徒の会話は進む。

「それはさ、人間は自らに欠け目がないと、ないしはそうして常に他人の力を借りるような状況にならなければ、他人への感謝を覚えることが出来ないという事かい?」

「そうですね、樹波さんの言う通りです」

 にわかに、小さく〈ピーポーピーポー〉という救急車のサイレンが外から聞こえ、段々と近づいてきた。

「てことは、少し話題は変わるけど、槙田さんの思想では人間は性悪説なわけね?」

「うーん、そこまで考えたことは無いですけど、確かに言われてみたらそうなると思います」

 〈ピーポーピーポーピーポー〉

(性悪説。聞いたことはあるけど、良く知らないなぁ。人間は生まれつき悪い人であるってやつだっけ? ……ピーポーうるさいなー、誰か怪我でもしたのかな?)

 救急車のサイレンは更に大きくなり、近くにでも停まっているのか、水野は気合を入れて耳を澄まさなければ、三人の会話が聞こえなくなってしまっていた。

「なるほど、じゃあそこで聞き耳を立ててる悪い悪いおにゃのこの根性も叩き直してあげないとよねぇ?」

 樹波の言葉に、槙田はキョトンとして聞き返した。

「は? おにゃのこ? 何の話ですか?」

(は? おにゃのこ? あ、女の子! え、私!?)

 槙田の困惑した声と水野の心の声がハモった。水野がバッと上階を見上げると、樹波が手すりから身を乗り出し、目を見開いて水野の方を覗き込んでいた。

 〈ピーポーピーポーピー……〉

 救急車のサイレンは、ドップラー効果で段々と低く、そして小さくなりつつ消えていった。



 ~*~*~*~



「わっ、や、そのっ、私は怪しい者ではなくてですね!」

「ん~? 怪しい人ほど自分のこと『怪しくない』って言うもんじゃなぁい?」

 樹波は薄ら笑いを浮かべながら、ジロジロと水野をめ回すように見た。手すりの陰からひょこっと、杯賀が顔をのぞかせる。

「なんだ、水野じゃないか。そんなとこ座ってないで、こっちにおいで。」

 水野はソソソっと階段を上り、三人のところまで行った。そこは屋上につながる階段の頂点部分の踊り場で、五人くらいが座れるレジャーシートほどの開けた空間になっていた。壊れているのかストックなのか、十個近い机と椅子が壁際に寄せられて置かれている。杯賀と槙田と樹波はそこから椅子を引っ張り出してきて、それぞれ向かい合う形で座って話していたようだった。

 槙田が新しい椅子を取ってきて、ちょうど四人がそれぞれ四角形の頂点に来るような位置に、水野の椅子を置いた。水野は小声で「ありがとうございます」と言って、ちょこんと椅子に座った。

「槙田のことはこないだ部屋に居たからわかるよね。こいつは樹波諒一きなみ りょういち。俺らと同じ、『報われない者たち』の一人で、一応二年生だ」

「君が水野さんね〜。杯賀さんと槙田さんから色々聞いてるよ。よろしくね~」

 樹波はフリフリと手を振って水野に笑いかけた。樹波はちょうど柱の影になっている場所に座っていて表情が読みづらく、水野は透明感のような不気味さのような、なんとも言えない印象を受けた。

「ところで水野さん、クラスマッチはどうしたの? 休憩?」

 水野はすこし顔をこわばらせながら、ももの上に置いた手の甲をポリポリと掻いて答えた。

「いえ、その……私バレーボールだったんですけど、その、私が出る試合は終わったので、気分転換に校舎を散歩したくなりまして」

(我ながらヒドい言い訳だ。そもそものクラスマッチが、普段勉強してばかりの生徒の気分転換に行われるものなのに、更にそれの“気分転換”とは)

「本来クラスマッチが日ごろの気分転換のはずなのにそれの気分転換って、あれだな、『転職が天職です』みたいだな」

 意図してか偶然か、見事に水野の思考をなぞらえて含み笑いをした杯賀だったが、水野だけがややウケしている場の空気を察してか、スッと話題を切り替えた。

「多少はぬす……聞き耳で聞いてたとは思うが、俺たちは今、『善い人間とはどういう人間か?』ということについて話してたんだ」

「はい、なんとなーくそんな感じだろうなとは思ってましたけど、よくそんな……スケールの大きい話が出来ますね、すごいです。私半分もついていけてないと思います」

 槙田がフーーン、と大きく鼻息を吐いた。杯賀はうーん、と少し考えてから水野に言った。

「俺らは、そんなにすごいことを話してたわけではなくてね?」

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