完全記憶の魔法使い～元社畜の救世譚

７．法門

　貴族の養子になったその日おれが目撃したことを話そう。

　それは衝撃的な光景だった。

　腹の底から嫌な気分が立ち上るようだった。

　わかりやすく言うよ。

　反吐が出る、そんな気分になった。

　父となるヒースクリフ、ベルグリッド伯爵から屋敷での注意事項（ベスやバカ息子たちを刺激しないこと。近寄らないこと。目を合わせないこと―――いや、猛獣か！）などを聞かされた後、執事に部屋に案内される途中だった。

　窓から中庭を眺めている少年がいた。

　１０歳ぐらいで、ガリガリの身体。

　メガネをかけている。

　ニタニタといやらしい笑みを浮かべていた。

　その先には庭で働く少女。メイドがいた。

　おれは何をしているのか分からなかったが、執事が焦り、叫んだ。

「ヴィオラ、逃げなさい！！！」

　呼ばれた少女はこちらに気が付いた。

　だが何のことかわからず首を傾げた。

　同時に、スカートの裾が燃え始めた。

「え？ えぇ！？ きゃああ！！」

「おやめください、フューレ様！！」

「うひひ～‥‥‥あ、お前！」

　執事ではなくおれと眼が合った。

　フューレ・ギブソニア。

　１０歳にして魔法による放火の常習犯。

　魔法を覚えたその日からその犯行は始まり、思い通りに行かない時や退屈すると必ず誰かをターゲットにする。

　父親のヒースクリフがその度に外出を制限し、厳しく叱りつけ、監視の者を側に置いたが、母親ベスが擁護するためすぐに自由になっていた。

　フューレは手をおれに向けた。

　ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべている。

「フューレ様！！！」

　執事が何かを投げた。

　フューレの足元に炸裂し、粉が舞った。

（なんだ？）

　この時はまだ知らなかったが、魔石を砕いたもので、魔力の流れを妨害できる。チャフのようなものだ。以降『魔力妨害塵』と知る。

「ああ～くそくそくそ！！！ お前じゃまするな！！」

「ロイド様、お逃げ下さい！！！」

　さすが慣れたもので、当然魔法対策はしていたわけだ。

　だが、逃げるより先にやるべきことがある。

　チャフで魔法を妨害されても、一度着火した火は消えない。

　おれはメイドのヴィオラと呼ばれた少女に向けて魔法を放った。

『成水』で大気中の水蒸気を水に変え、『水流』で操作。

　十数リットルの水による放水を浴びせ、鎮火。

「大丈夫ですかー！！」

「は、はい！！」

　彼女は息を切らせながら、こちらを見上げた。

　幸い軽いやけどで済んだようだ。

　あと少し遅れていたら、全身に火が回り、取返しのつかないことになっていただろう。

「何事だ！？」

　騒ぎを聞きつけたヒースクリフがやって来て、すぐに事態を察しフューレを引っぱたき、屋敷の地下室に連行した。

「ロイド様、メイドをお救いいただき、お礼申し上げます」

「いえ。あの‥‥‥よくあるんですか。こういうこと？」

「恥ずかしながら」

　そう言って執事は手袋を外した。

　ひどいやけどの痕があった。

　執事の苦労を察した。

　なぜここまで放置するのか？

　親であるヒースクリフとベスは何をしているのだ？

　悪いことをしたらなぜそれが悪いのか、きちんと説明して、その上で罰を与えて反省を促すのが教育だし、親の仕事だ。

　なぜここまで放置するのか？

　原因はベスにあった。

　それをすぐにわかった。

「大したけがでもないのに大げさよ！ あんな地下室に閉じ込めてフューレが風邪でも引いたらどうするのよ！！」

「大体あなたがそんな下賤のガキを突然入れるから、子供たちが不安になるのよ！！」

「子供がしたことじゃないの！！ こんなことで大騒ぎして、大人げないわよ！！」

「そもそもフューレがやったという証拠でもあるの！？ あるなら見せなさいよ！！！」

　おれはここに貴族の闇を見た。

　ギブソニア家はヒースクリフが重要な官職である宮廷魔導士に所属していることで、その権威を保ち、ベルグリッド市街と、周囲の小さな街を立派に治めてきた。

　しかし、それは最近のこと。

　ギブソニア家先代当主の死後、ドラコ一族の間で激しい跡目争いが起こり、内乱状態に陥った。

　王家が介入し、争いが治まると唯一生き残ったドラコ一族の遠縁であるヒースクリフが当主として迎え入れられることとなった。

　ヒースクリフには結婚相手を選ぶ権利など無かった。

　王国の中心地にあたるベルグリッドへの進出を目論んでいたボスコーン家は、その政治力で根回しをし、ベス・セイロン・ボスコーンをヒースクリフの妻にした。

　そうでなければ誰がこんな奴を家族にしようと思うか。

　おれは経験的に知っていた。

　この手の輩は冷静な話し合いができない。

「そうだわ！！ きっとそのガキがやったのよ！ フューレのせいにするために！ きっとそうだわ！！ このことはお父様に報告します！！ そうなればそのガキを養子にしたあなたの責任問題になるわ！！」

「もういい。フューレは明日には出す。だから騒ぎを大きくするんじゃない」

「何を言ってるのよ！！ 無実なんだから今すぐ出して！！」

　こういうことがこの屋敷では繰り返されていた。

　猛獣より質が悪かった。

　厄介な人物とは距離を置くに限る。

　刺激しないように、多少理不尽なことを言われても逆らわないようにしよう。

　これからの貴族生活を守るには仕方ない。

　そう思いかけた。

（違う！ そうじゃない！！ これじゃ前と同じだ！！）

　目標は魔法を習得して安泰の魔法職に就くこと。そうすればいつかあの女神に再会できるかもしれない。

　社畜だった時みたいに、仕事だけで生きるのではなく趣味や生きがいを見つけて‥‥‥

　だが、そのために、前と同じ失敗をしては意味が無い。

　このままうやむやにして彼女はどうなるのか？

　不意に火を付けられたメイド。

　彼女はこの後どうなる？

　これまでどれだけこんなことがあった？

　フューレがお咎めなしで野放しになったら、彼女がどんな気持ちになるか。

　わからないおれではなかった。

　おれはわけもわからず服に火を付けられたメイドの少女を想い、あの人と重ねた。

『――喜多村さんに声を上げて欲しかったです』

「ママ～、怖かったよ～！！」

「ああ～かわいそうに！！」

　結局ベスが使用人に命令してフューレを解放させた。ヒースクリフは誰がダーゲットにされるか分からないため、刺激しないことにしたらしい。

「きゃああ！！」

「冷たいっ！！」

　異常な母子に数十リットルの放水が浴びせかけられた。

　濡れネズミとなった二人は倒れ込み、ガタガタと身を震わせた。

「何！！ 何するのよ！！！」

　凄まじい形相で犯人を捜すベス。

　魔法と言えば宮廷魔導士であるヒースクリフ。

　だが、その驚き様で自分の夫では無いと察したベスは、おれに視線を移した。

「お、おおお前かぁ！！！こ、こ、こんなことしてたたた、だですす、済むと思うな、ななよ！！！」

　おれは首を傾げた。

「さっき言ってましたよね？ 『こんなことで大騒ぎするのは大人気ない』『証拠があるなら見せてみろ』」

「なぁっ！！」

「ぼくが犯人だなんて証拠があるんですか？ そうだ。きっとそこにいるフューレがぼくに濡れ衣を着せて屋敷から追い出すために自作自演したんだ。だとしたら、責任問題ですよね？」

　ベスはただ額に青筋を浮かべた。

　ここでおれを否定すれば、フューレを解放した言い訳が成り立たなくなる。

　それぐらいの頭はあるようだ。

　フューレは単純だった。

　自分に濡れ衣が着せられて激怒した。

「『我が意に応えし炎よ』！！」

　おれと違い詠唱を必要とするフューレは、ヒースクリフの目の前で魔法を放った。

「ロイド、そう言うつもりなら自分で対処して見せなさい」

「はい」

　フューレはおれの服に火を付けた。

　だが、着いた火はすぐに消えた。

　基礎級魔法『燃焼』で火を操作し鎮火したのだ。

　発動した魔法を奪う。

　これは圧倒的力量差の証だ。

　おれとフューレ。

　その魔法力はここに証明された。

「この～！！！」

「正当防衛です。対抗します」

「ああ」

　再び放水の餌食になったフューレは情けなく廊下の端まで流されていった。

「いや～っ！！！！ フューレ！！！」

　フューレは地下に逆戻り。

「今回は言い訳できんぞ、ベス。フューレは地下で反省させる！！」

　そしてベスはしっかりとおれをターゲットにした。

　恨めしそうに何度も振り返ってはおれを睨みながらビショビショの濡れお化けのように廊下の先へと消えていった。

「初日からやってくれるな」

「あ、すいません！ 濡れた廊下の水は片付けます」

　おれは『成水』で絨毯に染み込んだ水を回収して『蒸発』で水蒸気に変えた。

「そう言うことではないよ。私はさっきなんと言った？」

「『刺激しない、近づかない、目を合わせない』です」

「しっかり聞いていたな。その上で全部破った」

「はい‥‥‥」

　リスクを侵した。

　おれはこれまでの話が全てご破算になることを覚悟した。

　ヒースクリフは深く息を吐いた。

　落胆した様子ではない。

「ありがとう。ヴィオラのためだろう。彼女が今後もここで働けるように」

　驚いた。

　もっと別の考え方もできる。

　本当にフューレを陥れて、自分が家督を継げるように画策したとか。

　ただフューレに腹が立って、反撃したとか。

「君がこんなことをする理由は他にないからね」

　馬車の中で魔法談義に花を咲かせたお兄さん。

　あの時の親切な、話しやすいヒースクリフは正真正銘、彼の本質だった。

　あの短い間に、彼もおれがどんな人間か把握し、おれに理性があると信用してくれたのだ。

　おれはここで、父ヒースクリフが好きになった。

「だが、理解しているはずだ。当然、今後君の生活は私が言ったものより厳しくなる」

「覚悟はしました」

　不思議と後悔はなかった。

　おれはあの女に殺されてもおかしくない。

　それでも、自分は正しい一歩を踏み出せた。

　そう確信していた。

「すいません！！ 先ほどは助けていただいたようで！！ ありがとうございました！ あっ、私はメイドのヴィオラです！」

　メイドのヴィオラにお礼を言われた。

　彼女の笑顔を見ていてふと思い出した。

　彼女のことを。

　倉木さんを。

　おれはようやく真に理解した。

　しきりに彼女の言葉が頭に過る、真の理由を。

　おれは彼女――倉木さんを見捨てていたのだ。新卒で、仕事ができて美人で、気になっていた。なのに自分が弱いことを言い訳にして、助けを求めていた彼女を見捨て、その彼女が振るい出した勇気に便乗した。

　おれはそのことに気が付いていなかった。

　最後に飲み会をしたとき、言われたあの言葉。

『告発するなら喜多村さんにして欲しかったです』

　ずっと、おれが一番苦しんでいたからという意味だと思っていた。

　でも違った。

　あれは彼女の最大限の恨み節。本音だった。

　失望されていたのだ。

　その後取り繕った彼女の顔や後の言葉を鵜呑みにして、その心の底からの恨み節を受け止めることすらしなかった。

　荒木がクビになったことに一緒になって喜んでいたおれの姿はさぞ不快だっただろう。

　彼女は今どうしているだろう？

　おれが殺されたことを、気にしているだろうか。

　目の前で笑うヴィオラを見ながら後悔が押し寄せ、そんなことを考えた。

　おれは喜多村修平という弱い男の罪を背負い、ロイドとして生きていく。

　自分が苦しいことを理由に行動するのではなく、他人を助けられるようになろう。

　苦しむ人を見て見ぬ振りをするような弱い人間になるのはやめよう。

　強くなろう。

　彼女の笑顔を見ながらおれはそう決めた。

■ちょこっとメモ

水【基礎級魔法】

　『成水』大気中の水蒸気から水を生む。魔力が込められると水は重く、表面張力が強くなる。

　『水流』水の流れを操る。水の重さと表面張力を操作することで平面でも水が進む。

　『蒸発』水を気化させる。水が水蒸気になる際に熱を奪うため温度を下げる効果がある。

　【対人級魔法】

　『放水』『成水』×『水流』により水圧を一方向に集中させて放つ。

火【基礎級魔法】

　『発火』火を発生させる。布や木材など火種になる対象に魔力を高圧力で集中し着火させる。

　『燃焼』火の規模を操作する。空気の取り込み量を操り火の拡大、縮小を制御する。