第4話 訪問
その後、二人は風間の家に向かった。事の真相を知りたかったからだ。風間の家の呼び鈴を押すと、母親らしい女性がインターホンで応対し、しばらくすると風間がドアから顔を覗かせた。サンダルがけでそのまま門を抜けようとする風間を母親が家の中から諌めたが、風間は「うっせえ、ババア! どこにも行きゃあしねえよ! そこの公園までだ!」と怒鳴って、雛乃と須田に先立って歩き出した。風間の家から五十メートルほどのところに小さな児童公園があり、風間はそこに入っていった。雛乃と須田も後に続いた。
風間は砂場の縁に腰掛けた。雛乃と須田は砂場の前にあるベンチに座った。
「陽介に会ったか?」開口一番に風間は聞いた。
「ううん。さっき、鳴沢ん家に行ったけど、会いたくないって」雛乃は須田を見やりながら答えた。須田もうなずいた。
「そっか……」といって風間はため息を吐いた。
「何があったの? 鳴沢があんなに怒ってるとこ初めて見たよ」と雛乃が言うと、風間は「あいつはお前の前だとおとなしくしてっからな」とにやりとした。
「何よ、それ」雛乃は下唇を突き出した。
「いっつも言ってるよ、『音羽はおっかねえ』って」風間は砂場の縁に両手をついて、下から見上げ、からかうように言った。
「ひっど」雛乃は、憤慨して腰に手をやり同意を求めて須田を見た。須田はくすりと笑っただけだった。
「まあ、俺も今回はやり過ぎた」風間はまたため息を吐いた。「あいつはさあ、母ちゃんの話するとキレちゃうんだよな」
「じゃ、何? お母さんのことで何か言われたってこと?」
「お前ら、陽介の母ちゃんキャバクラで働いてたの知ってるか? あ、言うなよ、陽介には」風間は両肘を膝に乗せ、片手の人差し指を口の前に立てた。二人は驚いて首を振った。
「ボコった山中のヤツらの親父の一人が、そのキャバクラに通ってたって言うんだよ。母ちゃんの源氏名とかもちゃんと知ってて……。それだけでもあいつめっちゃイラついてよう。机とか蹴飛ばし始めて……」
教室の机や椅子が乱雑に倒れていたのはそのせいだったのか、と雛乃は思った。
「まあ、それで山中のヤツらが結構びびって、俺は丁度いいと思ったんだよな。このまんま陽介が四人ともやっちまえば、もうアイツらもガン飛ばしてきたり、ゲーセンとかでうぜえことしてこねえだろうと思って……」
「バカじゃないの?」雛乃は思わず言った。友達がからかわれているのに面白がる風間の考え方が理解できなかった。
「うっせーな、ヤツらマジでうぜえんだよ。ここいらでシメとかねえと後々面倒くせえと思ったんだよ」
風間もムキになって答えた。
「だってよ、アイツら木刀二本も持ってきてんのに陽介がちょっと暴れただけでめっちゃびびってよう。そのうちアイツらが椅子投げたり、バリケード作ったりしやがって。だから俺が脇からそれを壊して、一本取り上げて……」
そのうちに、知らせを受けた柿本が駆けつけ、それに驚いて山中の生徒のうち、二人は逃げ出した。残った二人は、悔し紛れに鳴沢に言い放ったそうだ。
「お前の母ちゃんは誰とでもヤってたらしいな。挙げ句に男とデキて逃げたんだろ!」
鳴沢は一瞬真っ青になり、その後すぐに怒りで顔を真赤にした。そして自分の横にあった机を振り上げるように持ち上げたところで雛乃が飛び込んで来たとのことだった。
「あんた、よく『やっちまえ』とかあのとき言えたよね? ほんっとバカ。鳴沢の気持ち考えないの?」
雛乃は心底呆れて、歯に衣着せずに風間をなじった。須田は正直ハラハラしながらそれを聞いた。風間だって機嫌を損なえば、雛乃を殴ることぐらいなんでもない。
「……どうせ教室の端っこに落ちるくれえだと思ったんだよ。窓突き破るとか思わねえだろ」
風間は意外にもおとなしく答えた。
「で? 警察は来たの?」
雛乃は詰問口調だった。
「……いや、柿本が呼ぶなって頑張った。校長は呼ぶ気満々だった。全員親が呼ばれて、鳴沢も親父が呼ばれて鳴沢のこと引っ張って来た」
雛乃は鳴沢の父親の憔悴した顔を思い出した。
「鳴沢くんのお父さんが、処分が決まるまでは謹慎って言ってたけど……」
須田が初めて口を挟んだ。
「停学にするかどうか明日の放課後職員会議にかけるんだってよ。陽介が停学なら、俺もそう」
風間はさすがにしおれた様子だった。
「一蓮托生ってやつだ」
そうつぶやいた須田に、風間は「何語だ? それ?」と言った。
「でも停学なんてないでしょ? 高校じゃないんだから」
雛乃が言った。
須田が首を振った。
「中学でも『出席停止』にできるんだよ。ほかの生徒に迷惑がかかるようだったら」
さっそく夕辺のうちに調べてきたらしい。
ふいに風間が、雛乃と須田の背後に向けて怒鳴った。
「ざってーな、ババア! どこにも行かねえって言ってんだろう!」
風間の視線を追って、雛乃と須田が振り向くと、公園の入口で木の陰に隠れるようにして女性がこちらを覗いていた。風間の母親のようだった。
雛乃が風間に振り返って言った。
「あんた、よく自分の親にそんな口利けるね。こんなことしといて追い出されなかったこと感謝しなさいよ。うちなんか本気で出てけって言われるよ」
風間はぶすくれたまま立ち上がった。
「じゃーな、もう行くわ。陽介に会ったら、あいつらの言ったことは気にすんなって言っといてくれ」
風間は尻についた砂を払いながら歩き出した。
「……嘘なんでしょ」
雛乃の言葉に、風間は立ち止まった。
「……さあな。あいつ、絶対言わないし」
まだ公園の入口から心配そうに覗いている風間の母親に、雛乃と須田は風間の背中越しに頭を下げた。風間の母親もすまなさそうな顔で頭を下げた。風間は母親には目もくれずに、公園から出ていくと自宅の方へ曲がった。母親もその後について消えた。
雛乃と須田はしばらく黙ったまま、その場に立っていた。須田が「このあとどうする……」と言い始めたと同時に、雛乃が「須田くん、話があるの」と言い、須田の方に向き直った。
「はい」と須田も雛乃の方に向いた。
「私たち、別れよう」
雛乃はきっぱりと言った。
「……は?」
須田は文字通り、あんぐりと口を開けた。
「私、本当はね、鳴沢が好きなの。ごめん。今回のことですごく実感した」
雛乃は須田に頭を下げた。須田は呆然と雛乃を見るばかりだった。雛乃は、すっと頭を上げて続けた。
「だから、私、鳴沢のために何かしてあげたい。これから、クラスのみんなに声かけて署名を集めようと思うんだ。『鳴沢を出席停止にしないでください』って。明日の職員会議までに集められるだけ集めて、柿本に提出すればちょっとは考えてもらえるかもしれない。でも、これは私が鳴沢のためにしたくてすることだから、須田くんには迷惑かけたくない。後は自分でどうにかする」
須田は困惑してしばらく雛乃を見ていたが、やがて仕方なさそうに笑ってため息を吐いた。
「……そうだろうとは思ってた。でも、鳴沢は興味ないみたいだったから、俺にもワンチャンあるかと思ってダメ元で告ったんだ」
雛乃は唇を噛んだ。
「……ごめん」
「いいよ、別れよう」
須田は腕を組んだ。そして、雛乃が何か言おうとするのを遮って言った。
「でも、俺も音羽が好きだから、音羽のために何かしてやりたいと思う。だから、署名集めるの手伝うよ。これから俺んち来なよ。インターネットで探せば署名の用紙とか見つかるだろ。今日のうちに印刷して、明日の朝みんなに書いてもらおうぜ」
雛乃は黙って頷いた。少し泣きそうだった。須田はその顔を覗き込むようにした。
「そいでさ、これで俺のこと見直したら、また付き合ってよ」
雛乃はくすりと笑ったが、目は潤んでいた。
「……須田くんっていい人だね」
「ほら、これでもう十ポイントぐらい好感度上がっただろ?」
軽い調子で須田は言った。
顔を上げて笑い出した雛乃の目から涙がこぼれた。
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