先生! 締切越えました!!(後編)
── 十二月某日 晴──
「あー、うん。そう、だからさ、月末そっち帰るから。うん、先生も。え? いいでしょ? ちょっと、話したいこともあるし。……
編集社内のトイレ。俺はスマートフォンを仕舞い、ため息をついた。
頭をかこうとして、髪を切ったことを思い出す。そうだこの間、酔った白瀬さんに「邪魔くせえ」とハサミを持って追い回されたのをきっかけに、一気に短くしたのだった。……危うくこの歳でおかっぱ頭にされるところだった。
振り返ると、清掃員のお兄さんが帽子のつばを摘んで居心地悪そうにしている。
「あ! すいません!!」
「……いえ」
掃除の邪魔をしてしまった。急いでトイレから逃げ出そうと彼の横を通ったとき、小さな声が聞こえてきた。
「──おめでとう」
「え?」
聞き間違いかと思って顔を向ける。清掃員さんの首からぶら下がる銀のチェーン。そこには、どこかで見たことある指輪が通されていた。
「あー、先生、大丈夫ですか?」
「なんとか……」
年末。
「これでなんとか……無事、行けますね」
「おう」
俺と白瀬さんがおおおお、お付き合いを始めてからひと月が経過した。正直、あれからの日々は目まぐるしすぎて記憶が曖昧だ。白瀬さんは単行本作業と締切に追われ瀕死。俺の方も年末の多忙さに死にかけである。
「明日の朝、迎えに来ますね」
「わかった。家族からのリクエストは?」
「すみません先生、本当……」
俺達は明日から、実家に帰る。お付き合いを始めた報告をしに行くために。
「妹達はもう先帰ってるんで。車の中じゃ二人っきりですよ!」
「……ふん」
──翌日、晴──
窓から見えるのはだだっ広い田畑。たまに池。朝に出発したから、昼前には到着するだろう。隣には白瀬さん。白瀬さんは緊張しているのか、なんの面白みもないのに外を見ている。
「緊張してます?」
「まあ、そりゃあ……前とは、わけが違うし」
白瀬さんは俺の告白を受け入れて、前を向いてくれた。でもまだ、拒絶された恐怖は残っている。俺はハンドルから片手を離し、白瀬さんの手に重ねる。
「大丈夫です。もしなにか言われたら、貴方を連れてすぐマンションに帰っちゃいますから!」
「思い切りが良すぎるだろ……ていうか、ちゃんとハンドル持て!!」
照れ隠しも素敵だ。
「本当に、大丈夫ですから。何があっても、俺は貴方の味方です。白瀬さん以外に、味方はしません」
「……
「白瀬さんを助けます。迷う間もありませんよ」
「思い切りが良すぎるだろ」
実際迷うことなんてない。
「だって見捨てたところで、瑠璃川先輩の場合は助けてくれる人、いるでしょ?」
「……そうだな」
あの人の「結婚式」も、もうすぐだ。俺達がくっつくまでに、本当に迷惑をかけた。だからしっかりお返しをしたい。
「親切をしとくと、次は俺達に帰ってくるかもしれませんしね!」
「アイツらに祝われるのは複雑だな……」
そんなこんなをしていたら、実家が見えてきた。もうそろそろだ。
「お帰りぃ
「こ、こちらこそ……」
玄関を開けた途端の出迎え。母さんと白瀬さんは深々とお互い頭を下げ合う。そこそこのところで切り上げようとすると、妹達が走ってきた。
「雨音先生!! いらっしゃいませぇ〜!!」
「早く奥へ来てくださいよ! そんなところに立ってないで!!」
きゃぴきゃぴと騒ぎながら先生を引っ張っていこうとする。
「おいこら! 先生困ってるだろ!!」
「うるっさいお
「編集様だ馬鹿野郎!!」
妹を小突きながら、白瀬さんに手を伸ばす。
「すいません、ホント言うこと聞かない奴らで……」
白瀬さんは笑いながら俺の手を掴んだ。板張りの廊下を歩く。
「ところで千晴。アンタ、話たいことがあるって一体なんだい」
「ああ、うん」
もう、変にタイミングを見計らう方が面倒になる。俺は引っ張る白瀬さんの手を、目線の高さまで持ち上げた。
「俺達、付き合い始めたんだ」
その場にいる人達、俺を除く全員が、大きく目を見開いて驚いた。
「いやー、先生。お疲れ様です」
「ほんっとうにお前は、考え無しだな!」
夜。白い息を吐きながら俺と白瀬さんは縁台に座っていた。酒の入った体には、この寒さが丁度いい。
「あんなタイミングで、言う奴があるか……」
「でもでも飯食いながらーとか、別室に呼び出してーとかの方が、変に意識してガチガチになりません?」
「それはそうだが……もうちょい、情緒とかそういうの……」
以外に先生はロマンチストだ。そこが好き。
「結局! 全部上手く行ったからオッケーじゃないですか」
「まあ、そうだけど……」
あの後、すぐさま家族会議となった。いつでも先生を連れて逃げられるように構えて、卓についたのだ。
「あのときの母さんと婆ちゃん、マジで殺されるかと思いましたよ」
「……ああ」
てっきり怒鳴られ、避難されると思った。白瀬さんの心を守るためにも、逃げ出そうとした矢先に動いたのは。
「お前の妹さん達には、頭が上がらないな」
「本当、今度家事ひと月くらい代わってやんねえと……」
千鶴と千明、二人の妹だった。二人は母さん達の前に立つと、必死に俺達を肯定してくれたのだ。
──私達はお兄が苦しんでた時期一緒にいたから、知ってるんだよ。
──そうだよ。一年前、お兄を元気づけてくれたのは先生なんだよ。
「それにしても、お前が人のことベラベラ喋ってるとは思わなかったがな!」
思いっきり頭を叩かれた。
「ご、誤解です! 俺は一年前────」
ぼろぼろ時代。同居している妹達に弱っている姿を見られたくなくて、しょっちゅう家を空けていた。
そんな中で先生に出会い、俺が久しぶりに家に帰ると妹達は泣いていた。もう帰ってこないんじゃないか。どっかで死んだんじゃないか。滅茶苦茶に怒られて殴られた。
その時に俺は話したのだ。一目惚れして、恋に落ちた。その人に救われた。二人に謝り、それから前を向いた。
「隠してるつもりだったんですがね……」
「顔に出やすいからな、お前」
その時の人が白瀬さんだと言ったことはない。しかし先生と出会ったあの日──妹達にその話をしたときから、バレていたらしい。
──本当に、嬉しそうだったんだよ。本当に、幸せそうだったんだよ。
──お願いお母さん、お婆ちゃん。私達は絶対、お兄の味方につくからね!
「でも……本当に、認めてもらえて、よかった」
結局、そんな奮闘は必要なかった。母さんは開口一番言ったのだ。
──心変わりはないんでしょうね?
頷けば、それで終わった。白瀬さんに頭を下げ、「ご迷惑をおかけします」。以上。
「婆ちゃんも『千晴が幸せならいいよ』って、ホントいい家族ですよ」
「絶対、恩返ししないとな」
空を見上げる。夜空が澄んで、よく星が見えた。俺は無知なので、どれとどれを繋いだら何座だとかはわからない。その時、縁台についた手に手が触れた。白瀬さんが、手を重ねている。
横目に覗くと、頬が赤く染まっていた。夕飯の際に飲まされた酒のせいじゃない。そう、信じたい。
「白瀬さん」
「なんだ、千晴」
白瀬さんはこちらを向いた。
「俺は
「は、いきなり何」
「職業は編集者。趣味は高校の頃から続けてる弓道。好物は海老の寿司、苦手な物はピーマンです」
「いや、だから」
「好きな人は、白瀬さん」
顔を真っ赤にしてる先生が、とても愛おしい。
「知りたいし、知って欲しいんです。お互いに、お互いのことを」
先生の頬に触れる。もう、
「だから、教えて欲しいんです。先生のこと」
風が吹く。緊張のあまり、寒さなんて感じない。先生は唇を震わせると、小さく呟く。
「俺は……
「はい」
「漫画家で、趣味は……寝ること。好物は焼いた干物で、苦手な物は、モツ煮」
「……わかりました」
「好きな人、は……千晴」
「はい!」
これから、もっともっと知っていきたい。もっともっと、知って欲しい。
「白瀬さん!」
「なんだ、千晴」
「運命の恋、信じますか?」
ぼろぼろの最底辺で俺達は出会った。差し伸べられた手を掴むこともできなかった俺は、いつしか手を伸ばせる人間になった。
たった一度の出会いが、たった一言の会話が。俺の人生を変えたんだ。あの日、ドン底で消えそうだった俺に、傘をさしてくれた。
親切は巡る。誰かに差し伸べた手は、巡り巡って帰ってくる。俺達はその手に支えられて、ここにいる。
だから次は、俺達が手を差し伸べる番だ。
「信じるよ。お前が、側にいてくれるなら」
支えてくれたたくさんの人に、たくさんの恩返しをしよう。
「満足しないでくださいよ。恋はまだ、これからです!」
運命の恋、はじめました。
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