先生! 締切明日です!!(後編)
──八月某日、晴──
「おう、
「はーい」
俺と
──どうにかして先生に合わせて。じゃなきゃお
そんな妹達からの脅迫を受け、俺は雨宮先生を連れて実家に帰省した。もう妹達は雨宮先生を見るなりきゃあきゃあ騒いでサインを貰って、そりゃあ大騒ぎに。行きの車でも二人のテンションは馬鹿みたいに高かった。
それで家に帰れば母さんと婆ちゃんからの質問攻撃。昨年、フリーター時代は実家との連絡を断っていたためその時のこと、今の生活のこと、根掘り葉掘り聞かれ倒した。
電話の段階で、担当作家の先生も来るとは話していたが……実際雨宮先生のことを聞いて、随分と驚いたそうだ。
──「レヴィ・クロウ」! 娘達からオススメされて私も読んでます! あの、よろしければサイン、お願いします!
──え、ええと……。
──母さん! 先生困ってるから!!
大変だった。本当に、大変だった。昼過ぎに到着し、俺達が解放されたのは夕方だった。
それから日が暮れるまで資料となる野山を歩き写真を撮り、また質問攻めに会いながら夕飯を囲み、同じ部屋で寝た。
よく正気を保てたと思う。風呂上がりのラフな格好、濡れた髪、上気した肌。よく、よく耐えた。我ながら褒め称えたいレベルに。
そんな悶々とした夜を過ごし、朝っぱらから祭りの手伝いと近所への挨拶を済ませ、それから資料撮影に。そんなこんなで丸一日以上が経過し──
「もう少し、もう少し寄れ。そう」
「こうですか?」
「よし、オッケーだ」
今回の目標でもあった夏祭りの資料集めに、ようやく取り掛かっている。
祭りといえど、規模はそこまで大きくない。神社の参道や境内やに出店が並び、
「それがいいんだ。良き田舎のお祭りって感じでより身近に感じる」
「そんなもんなんですかねぇ」
先生は撮れた写真を確認しつつ、スマートフォンをしまった。人の少ない本堂付近へ移動し、階段にしゃがむ。祭囃子と太鼓の音が、少し離れたところから聞こえてきて一息ついた。
先生が今現在連載している「レヴィ・クロウ」は、現代日本を舞台にした異能力バトルものだ。なのでこういった資料は本当に必要なのだという。
「夏祭りの中でバトルするのはどうだ。単行本一冊ぶんくらい」
「いいですね。でも、もう少し待ちましょう」
「あ?」
そして俺はその資料のため、わざわざ浴衣に着替えて祭りに来ていた。どうせなら先生も浴衣を着ればいいのに、先生は思いっきり普段着である。……浴衣から鎖骨や足首を覗くチャンスだったのに。
「ウェブ媒体はどうしても、お客がつきやすく離れやすいですから。ひとつの展開、ひとつのバトルをあんまり長々引っ張ると読者は離れちゃう気がしますね。無料で見れるぶん、読者は淡白になりがちだと思います」
ただでさえ先生は隔週連載だ。一週空いてようやく話が読めたと思ったのに、話が全然進まなかったら読者はストレスを覚えるだろう。
「だからこそ、序盤は多くの人の目に触れる機会が必要です。今現在はスピーディーな展開を保ちつつ、もう少し行きましょう。単行本が進めば、長編に入っても固定のファンが付きますから」
あくまで俺個人の意見です、と締めくくれば、先生は凄い複雑そうな顔でこっちを見てきた。
「え!? あ、すいません!!」
「いや……間違ってないのが腹立つんだよな……」
先生は舌打ちをすると、そっぽを向いて本堂の写真を撮った。
「……この祭り全体が見舞わせるような場所はないか?」
「ああ、あります! 穴場!」
その手を取るわけにはいかないので、俺は先生に浴衣の袖をひらつかせた。
「は?」
「手、触ったら負けちゃうので。ここ掴んでください」
人が多いですから。そう言うと先生はわなわなと手を震わせた。
「俺はガキか! そんなものなくて大丈夫だ!」
「えぇー!! 迷子にならないでくださいよ!?」
「殺すぞ!!」
人混みをかき分け進む俺に舌打ちしながら、先生は後を追いかけてきた。
この神社は海沿いにある。海を背負ったような山の麓。そのため一望するには山を登ればいい。
「おい、ここ、大丈夫なのか」
「大丈夫ですよ。俺んちの持ち土地なんで」
「はぁ!?」
俺の家は、この付近ではそこそこ名のしれた地主だ。有り余った土地を田畑に貸し出している。飛鳥家、そのためわざわざ祭りの手伝いをやらされた。
「ほぼ庭みたいなもんです。まあ、家のことは今は置いときましょう」
「……お前なんで編集なんてやってるんだ」
「運命ですよ。セーンセ」
返事は舌打ち。釣れないなぁ。
ほんとに、不思議だとは思う。就職先が決まらなかった時点で、実家に戻れば解決だった。農家を手伝えば充分食っていける。それなのに何故俺は、戻らなかったのだろう。
雨宮先生に出会うため、だったりして。……いやまぁ、ただ単に意地を張っただけだ。
「ここからあの高校、遠かっただろ」
「遠かったですねー。でも、あんまり知り合いのいる高校には通いたくなかったんで」
地元の同級生の中でも、数えるほどしか同じ高校へは進まなかった。
「一応年齢的に考えたら、俺の在学中にも先生まだいましたよね? 一年のとき三年にいたはずなんですけど、気づかなかったな……」
「わざわざ縁もない奴の名前を覚えてる奴なんぞいるかよ」
先生は舌打ちをし、山道を歩く。さり気なく袖を揺らすが、思いっきり振り払われた。
「先生の実家は、どのへんですか? 県内ですよね?」
深く考えずに問う。それに先生は何も答えなかった。……なにか、まずいことを聞いてしまっただろうか。そういえば以前も部活のことを聞き、瑠璃川先輩に流された。
先生はあまり、自分のことを話したがらない。話したことといえば、ゲイであること、そして金髪で筋肉質な人がタイプなことくらい。
「あっ、着きましたよ!」
重い空気を振り払うように、明るい声を出した。開けた高台、そこに先生を導く。眼下には祭りの明かり、そして月に照らされる海。風が吹き、汗ばんだ体を冷やしてくれた。
「おお」
「ここからなら一望できますよ〜」
何度も何度もシャッターを押す先生。俺は少し離れたベンチで、それを見守った。草履でここまで歩くのはしんどい。ベンチに座り、一息つき、先生の背を眺める。こちらに背を向けたまま、シャッターを押す先生。
「──俺の実家は、高校の側だった」
ぽつり、と先生は口を開いた。
「本当の父親は知らない。母親は俺ができて、男に捨てられた。それから再婚したらしいが、俺のことはずっと邪魔だと思っていた」
こちらは向かない。スマートフォンを構えたまま、まるで独り言のように呟く。
「居心地が悪くて、ずっと家から出たかった。それでも、なんとか高校まで進むことはできた」
なんでいきなり、そんなことを。
「高校で、幼馴染だった瑠璃川に誘われて弓道部に入った。アルバイトをしながら、自分で道具代や大会への電車賃を稼いだ。でも二年の冬、両親が離婚した。俺は父親の元へなんて行けるわけもなく、母親の元へ残った」
家は母親のものだったらしく、引っ越す必要等はなかったらしい。
弓道部。つまり、俺と同じ。瑠璃川先輩がOBとして引きに来た際に俺は友人になった。雨宮先生も、同じ弓道部だったんだ。
「母親は精神を病んだ。俺に当たり散らし、酒をかっ喰らい、散々迷惑をかけやがった。部活なんてしてる場合じゃなくなって、三年に上がる前に辞めた。バイトを増やして金を貯めつつ、母親の世話に明け暮れた」
だから、瑠璃川先輩は部活の話をしたとき、言葉を濁したんだ。
「でも夏頃、母親は死んだ。酒を買いに行こうと家を出て、信号無視して跳ねられた。即死だったよ。そんで、俺の手元には遺産が残った。大した量じゃなかったけれど、この国にはありがたいことに交通遺児を支える仕組みがある。児、なんていう歳じゃあなかったが。とにかく、その費用で短大へ進むことができた。それからバイトの傍ら漫画を描いて投稿して、今に至る」
それだけの話を終え、先生はまだこちらを向かない。スマートフォンをおろし、ただぼんやり風景を眺めている。
「ゲイだって自覚してからが、苦しかったな。母親にバレれば、もう包丁だ。何より、母親から毎日毎日言われ続けた言葉が離れなくて、何も言えなかった」
「言葉……?」
「ああ。……『お前のせいだ』、『お前のせいで私は不幸になった』、『お前が誰かと幸せになる権利なんてない』」
先生。何故今それを、俺に話すんですか。
「抱かれてぇと思ってるから、ゲイなんだろうが……実際、誰も好きになったことがない。そう言う性愛者なのかもしれねえ。まあ、わからねえことだけど」
気づけば、抱きしめていた。触ったら、即行アウト。手は真正面に付きだすだけ。
「……おい」
「触ってません」
「いや、これ」
「触ってません」
そう、触ってない。俺に伝わるのは、浴衣越しの体温。服越しならセーフ、そう約束した。
「なんだよ、急に」
「すいません。でも、突然──抱きしめたく、なったんです」
話す先生の姿が、今にも消え入りそうで。こうやって抱きとめないと、飛んでいきそうで。
「……どうして、話してくれたんですか」
「……先月、お前は話してくれた、から」
先月、出会いの話をしたときか。先生は抵抗という抵抗もせず、だが目をそらしつつ、言った。
「お前の黒歴史を聞いたから、俺も、返そうと思った。されっぱなしは、性に合わない」
「……そうですか」
俺のクソ恥ずかしい過去とは、重みが違う。そりゃあ、前向きな感情なんて描けないはずだ。ずっと呪いをかけられて、重い鎖を繋がれて、どれだけ、どれだけ苦しかったのだろう。
助けたい、と思うのは自己満足だ。勝手なエゴだ。だからこそ俺は────
「先生は、幸せになっていいんです!!」
気づけば、叫んでいた。山の中、どんなに声を上げても気づかれない。先生は俺が突然声を上げたことに驚いていた。
「先生のお母さんが不幸になったのは、先生のせいじゃない! 先生は、何も悪くない!」
俺は「助ける」ことはできない。「助けてあげよう」なんて思うことは、しない。その独りよがりの考えは、一番その人を傷つける。
だから俺はこういうことしかできない。
「俺が……っ、貴方を、幸せにしたい」
ああ、独りよがりだ。自己満足だ。でも、それでいい。
「あ、すか」
先生が振り向く。この真っ赤な顔を、見られるのがすこし照れくさ──
「あー! お兄やっぱりここにいたぁ!!」
背後から響く声。物凄い勢いで肘鉄を食らわされ、俺は先生から飛び退いた。背後には妹の
「ななななな、なんだよ……」
「いや、花火始まるから移動してきたんだって。あっ! 雨宮先生も来てたんですね!! 写真撮れました!?」
千明は駆け寄りぐいぐい問い詰める。雨宮先生はぎこちなく手を動かし、柵を握りしめた。
「あ、ああ」
「でもさっきはひとりだった気が……」
「あー! ほら! 始まるぞ!! ほら!!」
察しのいい千明の視線を無理矢理先生から反らさせる。タイミングよく花火が始まり、空に大輪の花を咲かせた。
赤、緑、黄、眩しい光が空を彩る。ふと、引っ張られる感覚。横に視線をやる。雨宮先生が、袖を引いていた。
「綺麗だな」
ぽつり、と呟く横顔。花火の明かりに照らされて、その顔は赤く。
「……はい」
きっと、俺の顔も赤く染まっているんだろう。これはきっと、花火のせいだ。
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