第2部 先生! 締切明日です!!

先生! 締切明日です!!(前編)



 ──七月某日、雨──



 窓を叩く雨音で目を覚ます。机に突っ伏した体制で寝てしまっていたらしい。大きく伸び、体の節々が音をたてる。なんとか原稿は仕上がった。つけっぱなしだったパソコンを切り、水を飲む。眼鏡を外し、あくびをひとつ。

 体が重だるい。冷房の真下で寝落ちしたからだろうか。寝室に移動してひと眠りしよう。そう思って立ち上がり、仕事部屋の戸を開いた矢先──


 軽快なチャイム。動きが止まった。続けてチャイム。無視して寝ようと部屋を出る。そうだ、今日は休日だ!!


「おはようございます雨宮あまみやセンセ────ッ!!」


 玄関の戸が開く音。猛ダッシュで駆け寄り扉を閉めようとするが、奴の方が早かった。隙間に足をねじ込まれ開かれる。


「釣れないじゃありませんか雨宮先生。貴方の運命の人が来たんですよ?」

「お前はただの不審者だ。いい加減合鍵を返して出ていけ」


 脱色したあとの残る髪をヘアバンドで上げ、ラフな格好をした新米編集──飛鳥あすかは部屋に入ってきた。勢い余って俺に触れる直前、ぴたっと手が止まり引っ込む。クソ、いっそ触っていればよかったのに。


「まぁた徹夜明けですか? 寝る前に朝ご飯食べてってください」

「生憎昨晩はきちんと寝た。机に突っ伏して朝までぐっすりだ」

「それは気絶って言うんですよ! ちゃんとベッドで寝てください!」


 口うるさい奴め。結局促されリビングに。


「冷房つけます?」

「いや、そこまで暑くないからいい」

「そうですか? じゃあ窓開けときますね」


 飛鳥はパーカーの袖をまくり台所に立つ。腕を伝う汗、そんなに暑いだろうか。今朝はまだ涼しい方だと思うが。


「ほぼ毎日毎日人の家に来やがって……」

「平日はちゃんと出社して自分の仕事してタイミング見計らって出てるので安心してくださいよ。今日は祝日だから一日いられますよ〜。まぁ! 本音を言えば四六時中先生の元にいたいんですがね!!」

「……死ね」


 こいつとの「勝負」が始まってから早くもひと月。

 飛鳥を好きになれば俺の負け。飛鳥が俺に触れれば俺の勝ち。期限は一年。今の所飛鳥はけして俺に触らないし、俺はコイツのことを嫌っている。あった覚えもないのにいきなり好きだなんだと連呼してくるノンケを好きになれるかってんだ。……ん?


「……どうしました?」

「いや、なんでも」


 そういえば、コイツと出会って早三ヶ月経つが、なんでコイツは俺に惚れてるんだ? 疑問に思ったことはあれど、質問したことはなかった。料理をするその背中を見る。

 学生時代はさぞかし遊んでいたんだろう。髪の脱色跡はその名残か。塞がりかけたピアス穴、そこそこ鍛えた体。


「……顔自体は悪くねえんだからなぁ」

「え!? 今俺の顔のこと褒めました!?」


 物凄い勢いで食いついてきた。クソ、聞こえてやがったか。


「つまりつまり、それは俺に好意を持ってくれたと……!?」

「アホか! 勘違いもはなはだしい!! ただ、なんでお前みたいな奴がこんなアラサー男を追っかけ回してんのかが気になるだけだ」


 飛鳥は卵焼きを皿にのせ、驚いた顔をした。


「好きだから、ですが」

「照れもせずそういうことを言うな気色悪い。そうじゃなくて、何があったらそんなふうになるのかってことだ」


 呆れてため息しか出ない。こういう真っ直ぐさが、俺には毒だ。眩しすぎて目に悪い。

 飛鳥は首をひねりつつ味噌汁を完成させ、器についで卓についた。白米と卵焼き、焼いた干物に味噌汁。

 手を合わせ口に運ぶ。味は美味いのが腹立たしい。そんな俺の様子を見、飛鳥はうーんと唸っていた。


「……本当に先生は覚えてないんですね? 俺と出会った日のこと」

「全く記憶にない。一年前ってなら……今の連載を始める前、か」


 読み切りをいくつか描き、二冊目の短編集が出た頃。


「その頃は原稿が行き詰まるたびに街をぶらついて男漁りしてたからな」

「なんであんなところにいたんだろうと思ってたら! 男漁りってなんですか先生!!」


 すごい勢いで食いついてきた。


「知っての通り徹夜が続くと俺は自力じゃ寝れん。ストレス発散と性欲発散のために、筋肉ムチムチイケメンに意識ぶっ飛ぶくらい抱かれて──」

「わー!! わーッ!! わぁぁぁぁッ!!」


 デカイ声で騒ぐ。うるせえな! 静かに飯も食えねえじゃねえか。


「不純ですよ先生! そんな一晩、体だけの相手だなんて……」

「それで充分だ」


 俺みたいな奴は、恋なんてできやしないのだから。無言で味噌汁をすする。飛鳥はひとしきり唸ったあと、低い声でぼそぼそ言った。


「……先生と会ったときのことを話すと、自ずと自分の黒歴史を掘ることになって嫌なんですよねぇ」

「……お前の黒歴史?」


 興味ある。このキラキラしたヤリチン陽キャ野郎がか? ……まあ偏見だが。


「ありますよそりゃ。だって俺、大学出てから一年フリーターしてましたもん」

「ほう」


 一年近くぶらついて、今の編集職についたのか。瑠璃川の野郎は顔が利くからな。


「……大学四年生までは、順調でしたよ。でもまあ、就活に失敗しちゃいましてね」


 ヘアバンドを外し頭をかいた。顔は笑っているが、当時は大変だったのだろう。


「何もかも中途半端だったんで。大学に進んでも、なんにもしてこなかった。なんとかなるって思ってたんですね。そしたら、周りはどんどん決まっていくのに、俺はなんにも。焦って失敗して、その繰り返し」


 その焦りは、俺は経験したことがない。俺は高校を卒業して短大へ進んだ。在学中から漫画を描き投稿をし、短編集を出してそれが当たった。卒業してもどうにかなると思っていたから。


「んで卒業。見事にフリーターです。バイトで食い繋いで、間で面接受けて。落ち続けて。次第に何に対しても投げ槍になっちゃって。……妹達がいるから家にも居づらい、それで、夜の街でバイトを始めたんです」


 何もかも順調そうに見える男でも、そう上手くは行かないらしい。


「でもそこでも、クビになっちゃいまして。それで完全にひねて、雨の中飛び出したんですよ。ありがちですよね。そしてそこで──」


 飛鳥は、俺を見つめた。


「雨宮先生に、出会った。持っていたっていう予備の傘を、くれたんです。もちろん俺は、貴方が漫画家なんて知らなくて、それを突っぱねようとしました」


 ……記憶にない。おそらく上手く男を引っ掛けれなくて、酒を飲んだ帰りだったのだろう。雨の日、夜の街。


「手を振り払った直後、背中を思いっきり殴られました。勢い余って水溜りに突っ込んで、何事かと振り返ったら、先生は無理矢理俺に傘を握らせたんです」


 待て、俺殴ったのか? 初対面でいきなり傘を押し付けて、断られたら殴る──瑠璃川が、男漁りに夜の街へ出るのを止めていた理由が、ようやくわかった。……すまん、瑠璃川。


「なんでそれが好きだなんだに繋がるんだ……」

「俺だって何事かと思いましたよ。もっかい振り払って、俺なんてほっとけ! 生きる価値もねえクズなんだ! って……。いやー思い返しただけで恥ずかしい……。でも、そこで先生は俺に傘を握らせて言ったんです。──『人の親切も受け入れる度量が無い奴は確かにクズだな』って」


 俺!! もしそのときに立ち会えるなら、思いっきり殴りつけている。なんてことを言ってるんだ!


「『俺だって同じクズだ。でもこうして生きてる』」


 飛鳥は、そう続けた。羞恥のあまり項垂れた顔を、上げる。


「『親切は、今までの人生で貯めてきたものが帰ってきてるだけ。だから甘えればいい。甘えて甘えて、いつかまた恩返しをすればいい』って」


 ──そんなことを、俺が言ったのか? 思わず手から箸が滑り落ちる。

 飛鳥は笑って、さらに続ける。


「そう言って、先生は俺に無理矢理傘を渡して帰っちゃったんですよ。でもその時の言葉に、ホント救われて……。それから、バイトの最中に瑠璃川先輩とあって、編集を勧めてくれて、今こうして先生と再会、できたんです」


 飛鳥は鞄の中に手を突っ込み、一本の折り畳み傘を取り出した。少し古びたその黒い傘は、一年ほど前から無くしたと思っていたものだった。


「ホントは、出会ったときから返そうと思ってたんです。でも、覚えてないって言われて……タイミングを、逃してました。でもようやく、返せる」


 机の上に置かれた傘を取る。コイツはずっと、これを持ち歩いていたのか? たった一本の傘と、馬鹿みたいな言葉、それだけで、俺の事をあれだけ好きだと?


「親切はいつか返す……そのいつかは、今です」


 飛鳥は机の上に落ちた箸を取り、差し出してきた。


「だからこそ俺は、貴方に恋を教えて、恩返しがしたい。先生、俺は貴方が好きです」


 たったそれだけで、一年前、三流ドラマみたいなそんな出会いで──そんなの、まるで、



 運命フィクションみたいじゃねえか。



 突然、そんな空気を切り裂き鳴り響く着信メロディ。飛鳥の胸ポケットから響いたそれに、二人揃って飛び上がる。


「うわっ、ちょ、妹です! すいません!!」

「……早く出てやれ」

「はい、えっと……はいもしもし! なんだよ!!」


 危なかった。本当に、危なかった。……は??

 リビングを出る飛鳥の背中を見送り、俺は自問自答する。何が、危なかった? 俺はまさか、あんなノンケ上がりのことを意識してるのか? 無い無い、無い、はずだ。急いで冷めた飯をかき込む。


「──はぁ? おい、待ておい! なんで俺が……あぁ!? 今は先生の家で……ちょ、コラ! おい千鶴ちづる!!」


 身内の前では強く出るのか。そんな声のあと、げっそりした顔で飛鳥は帰ってきた。


「……どうした」

「すいません……妹達からです」


 本気で落ち込んでいる顔。


「……何があったんだ」

「……来月、実家の付近でお祭りがありまして」


 祭り、そうか、夏だ。


「その手伝いと帰省に、送って行けって、妹達から連絡が」

「……そうか」


 飛鳥の実家は県内だったか。俺と同じ高校だと言っていたし。俺の実家付近では祭りなどなかったから、少し羨ましい。


「……先生、お祭り興味ないですか?」

「あるにはある。夏祭りってのは、いい資料だ」


 読み切りや、少女誌での連載ではあるに越したことが無い。飛鳥は身を乗り出し懇願してきた。


「頼みます、先生。一緒に来てください」

「は?」

「お願いします! 三日程度で帰ってこれるんで! 資料撮影だと思って!! お願いします!!」

「嫌に決まってんだろなんで俺が……!」

「このままじゃ妹達に殺されるんです! 俺を助けると思って!!」


 聞けばコイツの家庭は女性陣が強いらしい。父親は高校の頃に他界、祖父は幼い頃に他界。仲の良い祖母と母が今は家を守っているとか。そして今回も同居している妹達に、実家まで車を出すよう頼まれた、と。


「妹達先生の作品のファンで……前々から合わせろって言われてるんですよ……。ただでさえ実家じゃ男ひとりで肩身が狭いのに! なおのこと居場所がないんです!!」


 必死の懇願に、心の天秤が揺れる。祭りの資料は欲しい。神社、出店、浴衣や花火。世界観作りや背景に役立つ。そして伝えられた日付は休載の週。


「いきなり男を連れて帰ったら、家族も驚くだろ」

、友達ってことで」


 友達。その言葉は、便利だ。よく、言い訳に使われた。


「でも、今度帰るときは。先生のことを、恋人として、紹介します」


 その言葉に思わず顔を上げる。はにかんだような顔が癪に障り、俺は丸めた新聞紙で奴の頭を引っ叩く。


「勝った気になるな!!」

「いったぁ!!」


 本当に! ムカつく野郎だ!!


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