先生! 締切ヤバいです!!(後編)
──同日、晴──
「そういえば、新米。
「えっ、あ、はい!?」
酒の回った
「お前、俺という存在が好きだとか抜かしたが、作品に関してはどう思う」
「どう……ですか」
俺は鞄の中から、先生が今まで手掛けた単行本を取り出す。先生の担当編集になってから、予備用に数冊購入しいつも持ち歩いているのだ。
独特の世界観と物悲しさが残る読み切りをまとめた短編集、「薄幸少女とスターゲイザー」。
少女誌で全四話の連載を行い、 未だに根強いファンが残るファンタジー恋愛もの、「ポプラの詩」。
少年誌での連載を前に、王道かつダークな世界観を披露した短編集「
そして今連載中、持ち前の「せつなさ」を描きキャラクター面、展開の早いストーリー双方で話題を呼ぶ「レヴィ・クロウ」が二巻まで出ている。
「どれも何度も読み返しました。素敵だと思います」
「どこが」
間髪入れない問い。先生は机に肘を付きつつ、こちらを指差し繰り返す。
「どこが?」
酒の入った顔でありながら、目の力は変わらない。むすっと口をへの字に締めて雨宮先生は繰り返す。
「どこ……いや、俺はーその、あんまり漫画に詳しくなくて……」
「それでも編集かよ」
「いやぁ、情けないことに……ですが」
ぱらぱらと、軽く目を通す。前々から思っていたこと、気になっていたことはある。
「先生は初期の頃から、キャラクターの感情表現が豊かだと思います」
「薄幸少女とスターゲイザー」に収録されている四篇、それはどれも死にたい主人公と死ねない人外が出会う話だ。表題作が先生の漫画家デビュー作となる。
死にたい、という主人公の感情。コマ割り、背景、描写切り取り方、全てが折り合わさりページを開くだけで「せつなさ」がぶつかってくると感じた。
報われない、悲しい、寂しい、苦しい、助けて、そう訴えるような力を秘めていた。
「確かにそれは今の作品でも評価されている要素です。せつなさ、悲しさ、そういう描写は、今まで読んだどんな作品よりも心に残ってます。でも……」
恋愛作品、「ポプラの詩」。
少年漫画、「撃鉄を鳴らせ!」。
そして今、「レヴィ・クロウ」。
「それ以外。前を向く、とか戦う! とか……『恋』とかの描写に、せつなさほどの力が、無いように感じます」
そう口にした瞬間、雨宮先生の手が止まった。
「仲間を失って悲しむシーン、離れ離れになって泣くシーンは、先生の表現が出ていると思うんです。でも仲間の敵討ちに向かうところや、死にたがっていたヒロインを救って前を向かせる場面、こっちだと恋人に会いたいと主人公が立ち上がる場面……これらは、弱い」
確かに台詞回しや表現はいい。でも、明らかに違う。血が通ってないというか、どこか達観したような目線。
「俺はそもそも、編集を目指すまであんまり漫画を読む方じゃなかったんです。有名な作品をとりあえず追っかけるかなーくらいで。それでも先生の作品、その『せつなさ』には衝撃を受けました。ページを巡る度涙が出そうになって、胸が詰まって、ガンガン殴られる気持ちになれました」
だからこそ評価を受けている。それでもやはり、他のシーンではなにかが足りない。
「今の連載も、メインのアクションやバトル、キャラクターデザイン等は凄くいいと思います。まあ全然わかんないので、偉そうに言っても説得力無いですけど。でも俺はそこに、『熱』が欲しい」
例えば──死にたがっていたヒロインが前を向くシーン。ここに、差し込む光のような、血の通った感情が欲しい。
「そう……思い、ます」
長々と喋ってしまったが、不快に思われただろうか。偉そうに何を言う、と思われただろうか。酒が入ってついつい喋りすぎてしまった。ただでさえ俺は雨宮先生によく思われてないのに! これ以上引かれたら──
ぱちぱちと、拍手の音。雨宮先生と
「え?」
「やっぱり飛鳥、お前は見る目がある!」
瑠璃川先輩は、ばちんっと音がしそうなウィンクを投げかける。雨宮先生はむすっとした顔をしつつも拍手をやめない。
「そうなんだよコイツ、そのへんの明るい感情表現がほんっと昔から弱くてな! 今まで色んな作品を読ませたりしたが、全く駄目。少年漫画に引っ張って来たのも、失敗だったんじゃないかと思うくらいな」
「俺は元々短編を描いてる方が好きだったんだ」
「それじゃ今ほど食っていけてないぞ。まぁ、明るい感情も下手じゃないし上手いほうだが、とにかくパワーが足りない! 何より……雨宮は、恋愛描写が弱すぎる!」
瑠璃川先輩の発言に、雨宮先生はそっぽを向いた。
「こいつは実体験と周りの環境から感情表現を磨いている。こいつは根が暗いから、そういう明るい描写が苦手なんだよ」
「うるせぇ瑠璃川。黙れ」
思い切り肘鉄。それが効いた様子もなく、瑠璃川は酒を注ぎ雨宮先生に渡す。
「飛鳥、お前は漫画に対して無知だ。毒されていないからこそ、純粋な読者としての目線に立てる。だから俺は雨宮にお前をあてがった」
不機嫌そうにがんがん酒を飲む雨宮先生。機嫌よく瑠璃川先輩は笑った。
「雨宮と、雨宮の作品はとんでもないポテンシャルを秘めている。二十年来の付き合いで、俺にはわかる。これは間違いない。だからこそ、もうひと押しが欲しい。それを磨くのは、お前だ飛鳥」
俺が、先生を磨く?
「お前も将来、必ずいい編集になる。未来を秘めた者同士、支え合っていい漫画を作れ」
瑠璃川先生はそこで息を付き、雨宮先生の肩を叩いた。
「飛鳥、お前が雨宮を変えろ! 前向きで、明るい感情を描けるようにしてやれ!」
「〜〜〜〜はいッ! 俺が先生に恋を教えてみせます!!」
「うるっせぇめんどくせぇことにすんな!!」
俺が、先生に恋を──考えただけで、たまらない!! 先輩の襟を締め上げる先生だけれど、酒がすっかり回ったせいか力が入っていない。その光景を見、俺も酒を煽った。
小一時間後。すっかり潰れた雨宮先生を抱えて、瑠璃川先輩は立ち上がった。食器やグラスの片付けは俺が引き受ける。瑠璃川先輩の背中で気持ちよさそうに寝る顔をしっかり拝見し、俺は流しに立つ。
綺麗な流しだ。あまり使った痕跡がない。……先生、何食ってるんだろう。
「いやーやっと寝たな、あいつ」
先輩も相当に酒を飲んでいたか、全然堪えた様子がない。俺も酒は強いほうだが、それでも頭はぼーっとしている。
「あいつはあんまり寝れないんだ。連載が始まってからは特にな」
先輩はまだ残っていた食器を下げる。
「不眠症とかですか?」
「うーん、まあそんな感じだ。締切に追われて徹夜が続くと、ぶっ倒れるまで寝れないんだよ。ひとりだとな」
それから、つまみを買ってきた袋からいくつかの惣菜と冷凍食品を取り出し、勝手に冷蔵庫へ入れた。てっきり自分用の買い物かと思ったが、先生のためだったのか。
「編集としては仕事外だが……友人として、先輩としてはあいつを心配してるからな。俺も」
そう笑いながら、戸棚のコーヒーを確かめ自宅のように作業をする。
「やっぱり瑠璃川先輩は流石ですね。俺なんて、酒が入ってないと話してもくれないですよ」
「ははっ、二十年来の付き合いをナメるなよ。……さて」
洗い物が終わり、時間を確かめる。二十三時、今から帰れば妹達は起きているか。戸締まりはどうするのだろう。
「飛鳥」
「え、あ、はい!?」
急に呼ばれて顔を上げると、いきなり何かを投げられた。反射的にキャッチする。手を開けば、銀色の鍵。
「え、瑠璃川先輩?? これ……」
「この家の、合鍵」
へぇ……合鍵……って、ええ!?
「ほっとくとあいつ、下手したら死ぬからな。このひと月なんの連絡が無くても原稿が上がってたのは、相当無茶してる。今までは仕事終わりに俺が家に行って、身の回りの世話しつつ催促してたんだよ」
小さな銀の鍵。これがあれば、雨宮先生の元に。
「もう雨宮の担当編集はお前なんだ。確かにこれは編集としては仕事外かもしれないが……作家を支え、作品を生ませるという点では、間違ってないだろう」
「……はい!」
「んじゃ、雨宮のこと頼むぞー。明日起きるまでは見張ってやってくれ」
そう言いながら玄関に向かう先輩。って待て!!
「え!? 俺、今夜ここで!?」
「雨宮の奴、多分明日の朝起きれないからな。寝させるために飲ませるんだが、次の日が大変なんだ。んで、さっき連絡が来たんだが……俺のかわいい恋人がブチギレてる」
見せられるスマートフォン。そこのメッセージを見て思わずゾッとした。瑠璃川先輩も流石に渋い顔である。
「……というわけで、今すぐ帰らなくちゃならなくなった。ので、飛鳥。頼む」
「いやいや俺、一晩先生とひとつ屋根の下とか! 正気を保てる気がしません!!」
「うーん、間違いを起こしそうになったら俺の顔を思い浮かべろ。それで抑えろ」
「確かにおさまりますけど……」
「んじゃ! おやすみ!」
そそくさと退散した先輩。その背中に手を伸ばすが空を切るだけ。鍵を握りしめ、ひとり残された俺は途方に暮れた。
翌朝。リビングに出てきた雨宮先生は、ぽかんと口を開いて硬直していた。
「おはよう……ございます」
俺は出来上がった茶粥を机に起き、挨拶。
「インスタントですけど、しじみの味噌汁、飲みます?」
「なんでここにいる」
開口一番、それだった。二日酔いもあるのか相当不機嫌そうな顔をしている。
「瑠璃川先輩から、世話を頼まれました。あのっ、誓って! 神と先輩に誓って! 何もしてません! 先生の部屋には近づいてないし、リビングから移動もしてません! 先生には指一本、触れてません!!」
俺を疑っているんじゃないか、必死に無実を証明する。先生は訝しむ目を向けながらも席についた。
「……胃に優しい、お粥です」
「……おう」
気まずい沈黙。何も言わず黙々と食べる先生。その様子を、入社試験のときぐらい緊張しながら見守った。
「……お味は、どうでしょうか」
「……美味い」
一気に椅子から崩れ落ちるような気持ちだった。本当に、良かった。
「先生の好物を、教えて下さい。また、作ります」
「……昨日のこと、本気なのか」
質問には答えてくれない。昨日の、こと。
「……俺に、恋を教える、とか」
「あ……」
瑠璃川先輩からの頼み、だ。
「俺は恋なんて、信じねぇ。俺には恋なんて、できねぇんだ。ゲイのいい歳した男には、分不相応な願いだよ」
自ら殻にこもる貝、針を出して触れなくするハリネズミ。ああきっと、先生は恋を恐れているんだ。
「先生」
俺は、真正面から先生を見る。短く切られた黒髪、くまに縁取られた目。俺の大好きな、雨宮先生。
「何度でもいいますが、俺の気持ちは本物です。貴方を支えて、愛して、愛されて──恋が、したい」
その気持ちに、嘘はない。それでもきっと、頑なな先生は、信用してはくれないだろう。
「勝負をしましょう、先生」
俺の提案に、先生はわかりやすく疑問の声を上げる。それを受け止め、俺は続きを口にする。
「俺が、全力で先生をオトします。先生が俺を好きになれば俺の勝ちです。そのまま、付き合ってください」
「おい、待て」
一世一代、大勝負だ。雨宮先生は手を出し止める。頭を抱え、俯いたまま呟いた。
「それだと、不平等だ。期限も罰もなく、そんな勝負は受けれねぇ」
それもそうだ。どんな条件でもどんと来い、そう構える。先生は少し考え、顔を上げた。
「一年だ。一年、その前に、お前が俺に触ればお前の負けだ。負けたらすぐに、担当編集を瑠璃川に戻してもらう。そして、二度と俺に近づくな。そんで、一年経っても決着がつかなけりゃ……俺の勝ち、だ」
生唾を飲み込む。期限は一年。オトせば結婚、触れば絶縁。なるほど、いい緊張感だ。
「男に二言はない、ですからね」
「お前こそ、触ってから不可抗力はナシだぞ」
「勝負がつくまでは、俺達は『友達』って、ことで」
俺の申し出に、先生は目を丸くした。友達、と小さく口の中で呟いてから、取り繕うように厳しい顔を浮かべる。
「誰が友達だ! お前なんてせいぜい、不審者だ!!」
「ちょ! いくらなんでも酷すぎませんか!?」
必ず、この一年で先生のことをオトしてみせる。この頑なな先生に恋を教えて──幸せにして見せる。
「あ、流石に服越しは許してくれますか?」
「手袋つけて触るとかはナシだぞ」
「わかってますよ。あと先生の方から無理矢理触ってくるのはナシにしてくださいね?」
「誰が触るか」
六月某日、気持ちのいい朝。天候は、晴れ。
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