先生! 締切ヤバいです!!(中編)



 雨が降っている。ネオン街の蛍光色が足元を照らした。

 とにかく、寒かった。

 ふらつく足で進む。自分はなぜここにいるんだろうと考える。行くアテもなく、目指す夢もなく、ただ彷徨う。


 ──おい。


 呼ぶ声が、自分に向けられていると気がつくのに、時間がかかった。振り返る。傘をさした人影だった。濡れたスニーカーと、ジーンズに覆われた細い足が目に入る。


 ──風邪、引くだろ。


 差し出されたもう一本の傘。自分に向けられた優しさと、声。

 そのぬくもりが、胸に染みて────




 ──六月某日、晴──



「おいコラおにぃ! 起きろ馬鹿ァ!!」


 部屋の扉を突き破る勢いで開かれ、ベッドから飛び起きる。勢い余って転がり落ちた。


「朝からうっせえよ千明ちあき!!」

「お兄が遅いからアタシが起こしてあげてるんですぅー。千鶴ちづるお姉ちゃんが朝ご飯作ってくれてるから! 今日はお兄の当番だってのに……。全く、社会人ならちゃんとしろっての!」

「夕飯は俺が作るから、それでいいだろ」


 口年増に育った妹に頭を抱えつつ、俺は床から起き上がる。梅雨で長雨が続いていたが、今日は珍しく晴れている。そろそろ梅雨明けだろうか。

 社会人、そうだ、俺は──


 運命の人の、担当編集になったんだ。








「よーぅ、おはよう飛鳥あすか

「おはよーございます……瑠璃川るりかわ先輩」


 朝一番、社内のトイレで手を洗っている最中に、瑠璃川先輩と遭遇した。

 瑠璃川先輩は学生時代からの知り合いであり、俺が編集という職についたきっかけでもある。歳は三年以上離れているが、高校時代から深く関わりを持つ兄のような人。

 頼りになり、親身に話を聞いてくれる、最高の先輩だ。……おまけに、俺と雨宮あまみや先生を引き合わせてくれたキューピットである。


「元気がないな、どうした? 雨宮とうまく行ってないのか?」


 溌剌はつらつとした笑顔で思いっきり心を抉られる。


「……まさか、本当に?」

「うまく行くどころか! 避けられてますよぉ!!」


 思わず先輩のたくましい肩に縋り付いた。


「担当編集になってからひと月! 打ち合わせは電話かメール! 喫茶店やファミレスへ呼び出しても拒否! 仕事のやり取りはしますけどプライベートに踏み入れれば拒絶! もう心が持ちませんッ!!」

「うーん、仕事はきちんとしてる以上漫画家としては間違っちゃいないんだよなー」


 一年前に出会い、名前も知らないのに求め続けた運命の人、雨宮先生。運命の巡り合わせでようやく出会えたというのに──俺達の距離は、近づきやしなかった。


「やっぱり最初に許可も取らず手に触っちゃったのが駄目だったんでしょうか……」

「はは、それ以上の理由もある気がするがなー」


 仕事のやり取りはする。しかし、それ以上……趣味や、プライベートのこと。体調面での気遣いでさえ、拒絶された。初手でがっつくんじゃなかった。

 なにより、雨宮先生があの夜のことを覚えていないのが、ショックだった。


 うなだれる俺を見、瑠璃川先輩は首をひねる。それからひらめいた、と言って手を叩いた。


「明日は休みか……。よし飛鳥、今夜空いてるか?」

「え、あ、はい。まあ……」


 俺は二人の妹と同居している。千鶴と千明。二人は高校を卒業し、何を思ったか俺と同じ大学に入学した。当時現役大学生だった俺の家に転がり込み、「一緒に住めば安く住む!」と強引に入り込んできて今に至る。

 家事は当番制。今朝の係をサボった俺は、夕飯係を引き受けることで見逃してもらった。瑠璃川先輩の誘いに、深く考えず返事をしてしまったが、よくよく考えればまずいな。今からでも断れるだろうか。


「お前バス通勤だったな? 雨宮の家で飲もう」

「行きます!!」


 俺の頭から妹達のことが吹き飛んだ。


「でも、断られませんかね?」

「大丈夫だ。お前が来るって言わなければイケる」


 それはそれで複雑だ……。瑠璃川先輩はスマートフォンをいじり、メッセージを送る。割とすぐに返信が来た。瑠璃川先輩は笑顔で画面を見せてくる。「飲みに行っていいか」の問いに「チーズ」の一言。


「許可が降りたな。今夜は飲むぞー」


 瑠璃川先輩のノリの軽さ、そして、雨宮先生からの信頼の厚さに少しだけ──複雑な気持ちを、抱いた。


 それはそれとして! ひと月ぶりに生の雨宮先生に会える!! その喜びで思わずガッツポーズをした。


「清掃入ります」


 清掃員の人が入口に立っていた。思いっきり浮かれてガッツポーズを取っていた瞬間を目撃され、恥ずかしくなる。

 そそくさと逃げ出す直前、清掃員さんと瑠璃川先輩が意味深に目を合わせるのを目撃したが、そんなのはすぐ頭から吹っ飛んだ。




 ……と、その後きっちり妹達に今回の件を伝える。明日から週末まで、すべての家事を代わることを条件にお許しをいただけた。








「帰れ」

「釣れないことを言うな雨宮。ほら、飛鳥が選んでくれたんだぞこのチーズ」


 雨宮先生の住むマンション、その玄関。扉を開けて開口一番、雨宮先生はそう言って扉を閉めようとした。その隙間に足を差し込み、瑠璃川先輩は無理矢理開く。俺の顔を見るなり険しい顔を浮かべて睨みつけてくる。実家に来ていた野良猫を触ろうとしたときに似ているなぁと、そんなことを考えた。


「なんでこいつがいるんだ!」

「おいおいお前の担当編集だぞ」

「仕事はしてる! 帰れ!!」


 猛烈な、拒絶。


「雨宮、先生!」


 閉められようとする扉に手をかける。瑠璃川先輩の足と俺の手に遮られ、閉まるのは止まる。


「俺はただ、先生と話がしたくて、来ました。なにもしません! 誓って!!」


 触らないし、いかがわしいことはしない! そう訴えれば、先生は歯軋りをし、舌打ちをした。


「デケェ声を出すな! クソ……早く入れ!」


 再度の舌打ちをしながらも、部屋に入ることを許可してくれた。瑠璃川先輩が親指を立てる。俺は先輩に感謝しつつ、雨宮先生の家に上がった。







「週刊連載なんて、人間のすることじゃぁねぇと思うんだ常々よぉ。隔週ですらこんだけしんどいんだ。毎週毎週……考えただけで気が狂う!」

「はは、同意だ! こっちだって楽じゃぁない」

「だが月刊誌になりゃあ、その分ページ数が増える。しんどさは変わらない! クソ! 読み切りを描いて飯が食えていた時代は良かった……」


 飲み出してから小一時間、雨宮先生はすっかり出来上がり、瑠璃川先輩と漫画談義に花を咲かせていた。


「やっぱり時代は電子媒体だと思う。無料で読める分食い付きやすい。その分離れやすいが……本誌連載より気が楽だ」

「隔週連載や月二連載、なんてことも気軽にできるしな」

「休みも取りやすいし話題にもなりやすい」


 先生は飲むのは好きなようだが、そこまで強くないらしい。黒のVネックから覗く鎖骨から意識をそらすため、俺は酒を飲むペースを上げた。


「お前は連載始めるときから渋ってたもんなぁ」

「当たり前だ。誰が望んで地獄に足突っ込むかよ」

「はは、雨宮。全連載作家と連載を夢見る作家に謝罪しろ」


 親しげに話す二人、その姿にもやもやしたものを抱く。その時、酒の回った頭に天啓が降りた。


 ──それに俺の好みは金髪筋肉もりもりなナイスガイだ。


 はっとする。瑠璃川先輩は、筋肉のついた高身長。イギリスの血が流れているという日本人離れした顔立ち、金髪。……まさか!


「お二人は、過去に何か関係があったんですか?」


 俺の問いに、雨宮先生は眉を寄せ瑠璃川先輩は吹き出した。長年の付き合いでわかるが、瑠璃川先輩は酒に強い。シラフでそれだけ吹き出している。そんなに面白いことを言ったか??


「俺と雨宮? ないない! 冗談でもやめてくれ!」

「コイツはただの腐れ縁だ」


 腐れ縁。はっ! 雨宮先生が会話してくれた!!


「小学生の頃からの腐れ縁で、未だに交流があるだけだ」

「小中高と一緒だった上に、家も近かったしな」

「え、ということは先生も俺の先輩に当たるじゃないですか!」


 瑠璃川先輩は俺が通っていた高校の卒業生だった。雨宮先生もそこの卒業生? これはやはり運命を感じざるを得ない。


「ふーん、何部?」

「弓道部ですっ! そこで、瑠璃川先輩とも出会ったので……」


 OBとして瑠璃川先輩が弓を引きに来たのがきっかけで、俺は先輩と話すようになったのだ。雨宮先生は赤らんだ顔でぼんやり遠くを見つめた。


「……ふぅん」

「あー、部活の話は、よすか」


 瑠璃川先輩が口ごもり、話題をそらす。雨宮先生も頷き酒を飲んだ。はぐらかされた? 先生は何部だったのだろう。


「ま、瑠璃川との関係だが……いいな? 死んでも俺と瑠璃川が何かあるとか思うんじゃねえぞ。


 今度は俺が吹き出す番だった。え? なんて? 彼氏? ……ということは!?


「言ってなかったか、飛鳥。俺はバイセクシュアルだ。高校時代からの恋人がいる」


 初耳ですが!? 道理で俺が雨宮先生を好きと言っても笑って流してくれるわけだ……。


「コイツの恋人は嫉妬深くてな。俺の先輩でもあるんだが……。小学生の頃から腐れ縁で、お互い絶対『互いは無い』って言い切ってるから許されてる」

「そこがかわいいんだがなー! 懐いた黒猫みたいで」

「恐ろしいヒョウの間違いだろ」


 そう話す二人の様子は、気心のしれた友人そのもの。俺は二人の間に何も無いことを確認でき、胸を撫で下ろした。


「それはそれてして、雨宮先生を前にして何も思わないって先輩ヤバくないですか?」

「ははっ、流れるように恐ろしいことを言うなよー飛鳥ー」


 瑠璃川先輩は丸めた新聞紙で俺の頭を思いっきり引っ叩いた。


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