先生!締切ヤバいです!!〜運命の恋はじめました〜

夏野YOU霊

第1部 先生! 締切ヤバいです!!

先生! 締切ヤバいです!!(前編)


 ──五月某日、雨──



 運命というのは非常にタチの悪いものである。そして出会いというのは、そのクソッタレな運命によってもたらされる唐突な巡り合わせだ。


「と、言うわけで雨宮あまみや! 今日からこいつがお前の担当編集だぞー」


 などと、腐れ縁の編集者瑠璃川るりかわは言った。隣に立つカッターシャツを着た男の肩を叩く。


飛鳥あすか、こいつがあの『レヴィ・クロウ』の作者、雨音あまおとしずくこと、雨宮だ。まー色々面倒な奴だが、頑張って原稿巻き上げてくれ」

「おい、待て、瑠璃川」


 何を好き勝手言っている。新しい編集? 俺はそんなの聞いちゃいない。寝不足な漫画家の自宅に朝っぱらから押しかけて、新手の嫌がらせか? 肩からずり落ちた上着を掴んで引き上げる。瑠璃川は肩をすくめながら言った。


「言ってただろ先週。お前酒飲んでたから忘れてるだけだろ」

「いいや知らねえ。お前が酔って言った気になってるだけだろ。そもそも酒を飲みながらそんな話するな」


 駄目だ埒があかない。ドアに持たれるようにして頭を抑えた。隣に立つ新人編集とやらの胸板が見える。こいつも、瑠璃川の無茶苦茶には苦労しているのだろう。


「……悪いな新米サン。というかとりあえず中に──」

「────さい」

「あ?」


 顔を上げる。脱色した跡が残る、伸びっぱなしでとっ散らかったような髪。その隙間から覗く、やけに爛々とした瞳。奴は俺を見据え、俺の手を掴んだ。急に触れられたことに驚く。その驚きも冷めぬうち、奴は息を吸い、声を上げた。


「好きです!! 結婚してくださいッ!!」


 マンションの廊下に声がこだまする。ドアに掴まる俺も、その男の横にいた瑠璃川も、きっと隣人も、マンションの前を歩くサラリーマンでさえも。きっと硬直しただろう。降り注ぐ雨の音すらも、きっと止んだ。世界はきっとその瞬間、時の流れを止めたのだ。


「……は?」


 俺は素っ頓狂な疑問符を吐き出した。








「俺は飛鳥あすかと言います! 今年瑠璃川先輩との縁でこの社に入りました!」


 脱色した跡が残る長めの髪を揺らしながら、元気よく名乗りを上げた新米編集は頭を下げる。俺は何も答えず、ただ乾いた口内を潤すため水をあおった。


「いやーまさかこんなに面白いやつだったとは……まあ、仲良くやれよ。雨宮」

「いいわけあるか!!」


 今にも噴き出しそうになっている瑠璃川の背中を引っ叩く。たくましい体が恨めしい。


「おい新米」

「飛鳥って呼んでください雨宮先生!」


 誰が呼ぶか。キラキラした目を向けられ、眩しさに気圧けおされる。歯噛みしながらも真っ向から噛み付いた。


「俺の作品が好きだからって、近づいて何かを得ようって魂胆こんたんか?」

「いえ、先生という存在が好きなんです。読ませていただいた作品も素敵ですが」


 瑠璃川の爆笑。俺は指さしたまま凍りついた。……なんだこいつ、なんだこいつ、なんだこいつ!! 新米編集──飛鳥はテーブルの向こうから身を乗り出した。


「覚えてないんですか雨宮先生! 俺と貴方は、以前出会ったことがあるんです!」


 いや知らん。俺は読み切り時代から顔出しはしてないし、今の連載が決まってからも、サイン会やらなんやらは行っていない。


「一年前のあの日! 貴方に、俺は今ここにいます! あれからずっと、名前も知らない貴方を思って過ごしてきました……。まさか……瑠璃川先輩に連れられて、貴方と再会できるとは思ってもいませんでしたが」


 ……救った? 俺が? 全く身に覚えがない。しかも聞けば、こいつは名前も知らない、一回出会ったきりの男を覚えていたっていうのか? ……ちなみに瑠璃川の野郎のせいで再会するという最悪のおまけ付き。


「これは、運命です。雨宮先生は、俺にとっての運命です!」


 相変わらずぎらぎらとした目を向けられ思わず目を逸らす。取って食うような狩人の目だ。


「は? 無理だ死ね」

「え」

「雨宮ァ!!」


 思わず口をついて出たのは罵倒。ほうける飛鳥、即座に立ち上がり俺の頭を引っ叩く瑠璃川。それから人の頭をぐりぐり押さえて顔を近づけてくる。


「お前なぁ、折角の機会なんだからいい加減鞘に収まれ。いや鞘になれか、まぁいい。こんなに情熱的にお前を求めてくれてる奴、二度と現れないぞ?」

「うるせぇ。どうせロクな奴じゃねえよ。それに俺の好みは金髪かつ筋肉質なナイスガイだ」


 一蹴してその手を払う。置いてけぼりにされた飛鳥はきょとんとした顔で、俺達を見た。


「え、今の話って……」

「……」


 じろり、と奴を眺める。伸ばしっぱなしみたいな髪、脱色していたのか色が薄い。カッターシャツ越しでもわかる、程よく鍛えた体。運動でもしていたのか。スラックスに覆われた脚はそこそこ長い、立ったときの姿を見るに、そこそこ背も高い。俺とあまり変わらないくらいか。

 グラスを置き、背もたれに腕を引っ掛ける。足を振り上げ、組んだ。


「お前は俺を好きだとか抜かしたが、それは『抱きたい』って意味の好きか?」

「は」

「俺はゲイだ」


 間髪入れず、返答も待たずに続けてやる。奴のあんぐりと口を開いた顔が滑稽だった。

 言葉の通り、俺はゲイだ。

 色々な活動が行われる中でも世間は少数派俺達に厳しい。同性愛者、ホモ野郎、蔑む言葉は何度も言われた。友達だって少ない。

 飛鳥こいつが何を考えているのかは知らない。さぁ、どんな反応をする? 引くか? 気持ち悪いか?


 以前出会ったとかいうその時に、一体全体何があったのかは知らない。さっぱり記憶にない。だがそこで何かがあってこいつが俺に惚れたと言うなら、それはきっと、一時の勘違いだろう。

 一目惚れとか、運命とか、そんなのはありゃしない。運命なんて言うのは、タチの悪いクソッタレなのだから。


「──つまり先生は、俺が押しまくっても気持ち悪いとは思わないんですね?」

「は」


 またしても、アホな面を晒す羽目になった。


「男が男に恋をするのも、俺が貴方をだ、抱きたいと思ってることも! 変だとか、気持ち悪いとかは思わないんですよね!?」

「ちょ、ま、落ち着け」

「俺は貴方が好きです! 今まで出会った誰よりも、貴方のことが大事です! 貴方に出会ってから、世界が変わった! だから、貴方を知りたい。貴方と話したい。貴方と繋がりたい!」


 なんで、なんでなんでなんで! なんでこいつは、が簡単に言えるんだ?


「俺は──貴方と、恋がしたい。貴方を愛して、愛されたい。それが、俺の望みです」


 机の上に投げ出していたペットボトルを掴む。グラスに水を注ぐのも面倒だったのでそれを一気に煽り、中身を飲んだ。口の中を湿らせ、机の上に叩きつける。


「お前、ノンケだろ」


 そう問えば、奴は止まった。図星、か。


「ノンケの『好き』は、信用ならねぇ」


 それは、経験からもたらされる言葉だ。


「ノンケは気軽にそう言う。そう言って、俺達を煽って、その上で簡単に捨てる。結局女がいいってな。なにより俺達は少数派。結局、世間からの視線にビビって逃げる」


 愛されたいだなんて、恋をしたいだなんて、そんなのは夢のまた夢だ。この国で生きる以上、そんな自由はありやしない。

 目の前のコイツだって、同じだ。今は何を錯覚しているのか知らないが、どうせすぐに俺を捨てる。期待なんて、しない。俺は、一晩の関係以外は求めない。


「俺を、そんな奴らと一緒にしないでください」


 飛鳥は、机に手をついた。立ち上がり、ペットボトルに置かれた俺の手に、腕を伸ばす。


「……触れても、よろしい、です、で、しょうか?」

「今更なんだ……気持ち悪い……」

「いやその、最初はいきなり、触ってしまったので……」


 押しが強い癖に、律儀な奴だ。許可を出せば、奴は遠慮がちに手を重ねてきた。汗ばんだ手、緊張、しているのか。


「一目惚れだとしても、この気持ちは、本物です」


 真っ赤な顔。こいつは、本気で言っているのか? 本気で、本気で好きだと──


「女性より、ダチより、家族より──貴方が、好きです。もう一度言います。貴方と出会って、世界が変わった」


 おい過去の俺、一体コイツに何をした!? 何をしたらコイツは、こんなふうになるんだ!?


「本気で、貴方に『恋』をさせてみせます。雨宮先生」


 ぎゅっと、手を握られる。怖気おぞけがして振り払った。


「おい瑠璃川! チェンジだチェンジ!!」

「はっはっは、応援してるぞー飛鳥ー」

「おい!!」


 身を乗り出し、空気を読んで黙っていた瑠璃川の襟首を掴み上げる。歯磨き粉のコマーシャルみたいな笑顔が腹立たしい。


「ま、とりあえず上手くやれよ。飛鳥」

「了解です先輩!!」

「おい! 俺はまだ納得してな──帰るな瑠璃川!!」




 五月、梅雨入り。

 恋に焦がれた俺の元に、自称運命の担当編集が現れた。


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