23.いつか俺は

 



 最後の花の儀の会場は、これ以上ないほどの熱気と歓声が渦を巻いていた。


 淡紅色の小袿を身につけた桜が会場に入場すると、さらにその歓声は大きくなる。桜だけではなく、橘の名前も呼ばれているようだ。きっとこれまでの活躍で、橘の人気が膨らんだのだろうと思うと、何も活躍していない桜のほうまで誇らしくなる。


 既に座っていた帝が桜を見て甘く微笑む。桜も目で微笑みながら、席に座った。ちょうど真中の席で、隣には白磁の小袿の蝋梅、その横には菫色の小袿を着た桔梗が座っている。白萩はまだ来ていないようだ。


 橘を探すと、彼は茲親と話をしていた。武士はまだ彼ら二人しかいないようだった。

 横顔を見つめていると、桜の視線を感じたのかこちらを向く。目が合うと、彼は笑って片手を挙げた。桜も胸元のあたりに小さく片手を挙げる。また歓声が上がる。


 その時聞こえたざわつきに周りを見渡すと真っ黒な小袿に身を包んだ白萩がやってくるのが見えた。黒とは珍しい。和の国では黒は不吉な色として、あまり使われる色ではない。


 戸惑いの混じる会場の声に動じず、いつも通りのたおやかな笑みを浮かべる彼女を見て、何故か肌が粟立った。


 宝珠、鯉、波紋、そして、黒。

 ーー彼女はいつも、何かを彷彿とさせる着物を、着ているような。


 思わず帝を振り返ると、彼は大した感慨もなく白萩を見ていた。桜の視線に気づくと穏やかな笑顔を向けた。

 おそらく考えすぎなのだろう。けれど懐の懐剣に、布越しにそっと触れた。いつでも取り出せるように。



 いつの間にか全員が揃い、花の儀を始める合図の笛が朗々と響く。


「ーーこれより、最後となる試練を始める」


 武官より、橘たち四人の武士に剣が渡された。

 花の儀では通常彼らが使用している自前の真剣ではなく、宮中で用意された模造刀が渡される。良からぬ事故が起きないように、それ以外の武器を身につけることは許されない。


 その模造刀を使って、試合は全部で三試合、行われる。一対一で戦い、最後は勝者同士で戦い勝者を決める。


 最初に戦うのは、橘と茲親だった。

 彼らは静かに試合の場に立ち、剣を構えた。

 今日が最後の花の儀だ。彼らが感じる張り詰めるような緊張感が、見ている桜にも伝わってくる。


 試合が始まると同時に、茲親が動いた。彼の剣を、橘が受ける。

 桜の目には茲親の方が優勢に見える。剣を振る手数が多い彼に比べて、橘はただ受け流しているように見えるのだ。模造刀とはいえ、怪我をしないかハラハラしながら見守っていると、橘が動く。


 一太刀。

 彼の振るった一太刀が、剣を握る茲親の手に当たる。茲親の手から剣が飛び、橘の剣が茲親の首元に突きつけられた。


「ーー勝者、西園寺橘」


 勝者である橘の名前が呼ばれる。その声を聞き、橘が茲親に向かって一つ礼をした。

 橘が桜を見て、いつもの得意そうな顔ではなくやや心配そうな眼差しを向けた。

 一気に不安になる。橘も、何かに気づいているのだろうか。



 ◇



 忠政と雷震の試合は、雷震が勝者となった。

 短い休憩が挟まれ、すぐに橘と雷震の試合が始まる。


 今度は橘の方から先に動いた。驚くほど早い動きに、雷震も受けたが流しきれない。よろめいたところを橘がさらに踏み込み、雷震は体制を立て直そうと後ろに飛んだ。しかし一瞬の隙を突き、橘が雷震の手元を払ったところで剣が落ちた。あっという間の出来事だった。


「ーー花の儀の勝者は、西園寺橘!」


 橘の名が呼ばれると、今までで一番大きい歓声が響き渡り会場が揺らぐような錯覚を覚えた。


 彼は表情を変えずに、雷震に礼をする。さらにまた歓声が音量を上げる。橘を見つめていると、目が合った。彼は少し微笑んで、桜に向かって礼をした。空が割れそうなほどの大きな歓声が、どこまでも登る。

 橘たちは、手にしていた模造刀を文官に返した。



「まさか全試合で、こんなに素晴らしい成績を残す方はいませんわ」


 横の蝋梅が感嘆する。本当にその通りだと、込み上げる何かを飲み下した。誇らしさと、何かわからない複雑な気持ちが胸の中で暴れている。ともすれば、泣きそうだった。



「これにて試練は、すべて終了となった」


 文官の声が響き、戦い抜いた武士たちが、それぞれの四姫の前に並んだ。彼らを労おうと、帝が口を開こうとする気配を感じたその瞬間、跪いていた忠政が立ち上がり、懐からきらりと光る何かを取り出した。一瞬だった。目と目が合う。懐の懐剣を取り出した。しかしその時には忠政はもう、桜の目の前で血走った目を向ける。


 あ、と思った瞬間に、桜は何かに包まれていた。手にしていた懐剣がどこかに飛ぶ。理解するより先に、懐かしい匂いを嗅いだ。


 橘に抱き抱えられ、視界が隠される一瞬の間に見えたのは、振り下ろされる白刃、飛び散る鮮血。

 そして橘の胸に揺れる、いつか桜が渡したお守り。


 頭が真っ白に染まり、悲鳴さえももれなかった。


 怒号と悲鳴が鳴り響く。橘を斬りつけた忠政は、茲親と雷震に取り押さえられた。

 桜を抱きしめる橘の腕からずるりと、力が抜けた。



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