14.目覚めたあと
「……仲が良いことだ」
薄く冷たく笑う帝の声に、桜と橘が同時にハッとし手を離した。口を開こうとする橘を片手で制し「まあ良い」と言った。
「花桜の体が完全に癒えるまで、花の儀は延期となる。それまで花桜はこの宮中内で静養するように」
そう言って桜の顔を覗き込み、顔色を見ると「大丈夫そうだな」と微笑んだ。
「……本来その解毒には強い副作用が伴うのだが、今は幸いなことに蝋梅がいる。蝋梅、花桜のことをよろしく頼む」
「心得ております」
横の蝋梅が礼をすると、「では、失礼する。橘も行くぞ」と声をかけ、二人が部屋から出て行った。
聞きたいことがたくさんあって引き留めようとしたが、蝋梅に止められた。
「まずはお休みになる事です」
穏やかだが有無を言わさない口調だった。確かに今は頭が回らない。
大人しく横になると、すぐにまた眠りの世界に引き込まれていった。
◇
目覚めてからしばらくの間は、頭がぼんやりしていた。今までの分を取り返すかのようにずっと眠ってばかりいた。毎日訪れては治癒をかけてくれる蝋梅が「体が治そうと頑張っている証拠です」と微笑んだ。
確かに、今まで重かった体は目覚める度に軽くなってきているような気がした。
そして驚くことに、毎日のように帝が訪れる。大体橘と一緒だ。
長居をすることはないが、世間話から始まって今わかっていることを報告してくれる。
桜が飲んだ毒は、
「花桜の宮の女官を全員取り調べしている」
そう帝は言った。横の橘は険しい顔をしている。
花桜の宮を調べたところ、弓の試練の少し後から飲み始めた花茶に龍花の毒が混入されていたようだった。気持ちが落ち着くお茶だと、朝顔がにこやかに入れてくれたことを思い出す。
「朝顔という女官が用意したものだそうだが、花桜付きの女官であれば誰だって入れられる」
帝の言葉に、背筋が冷えた。
朝顔をはじめとする女官たちの顔が一人一人浮かんでくる。悪意など感じたこともなかった。皆、桜が居心地よく暮らせるように手間をかけてくれていたのだ。
「今のところ有益な情報はないが、女官の一存でやったこととは思えない。知らないまま毒入りの花茶を渡されていたということもある。橘の活躍と私の言動で花桜が一番皇后に近いと思っている者も多いから、それを邪魔したい誰かという線だと私は考えている」
帝がそう言って一瞬ほっとするが、それでもやはり恐ろしいことには変わりはなかった。誰かが自分の命を狙っていることがわかった今、いつも近くで桜に笑顔を見せてくれた朝顔や女官達を、心から信じる事も疑う事もできないでいる。
桜は心底自分が嫌になった。
そんな桜の震える手を握ったのは、橘ではなかった。
手を握った帝は美しい顔を桜の目の前に寄せて、「大丈夫だよ」と優しく話す。
「君のことは今度こそ守る」
そう言ってもう片方の手で桜の髪を一房手に取り、その髪に口づけをした。橘の視線は感じたが、どんな顔をしているのか見ることはできなかった。
◇
蝋梅が毎日施してくれる治癒は、心地よい。彼女が目を瞑り桜の手を握ると、金色の光がぱあっと彼女の手からこぼれ落ちる。そうすると不思議なことに体が温かく、楽になるのだ。
「いつもありがとうございます。蝋梅さまにはご迷惑をおかけしてしまいまして」
「迷惑だなんて。花桜さまには以前、花見の席で助けて頂きましたから」
花見、と聞いて思い出す。桔梗が失礼なことを言っていた、あの時のことか。
「あれは……助けたうちにも入らないかと……」
「いえ、嬉しかったです。与えられた力は全ての者に分け与えよとは我が家の教えなのですが、他家の方には理解してもらえないことが多いものですから」
そう言って笑う蝋梅の顔は少し寂しげだった。そう言えば前に、北小路家は他家と比べて異質だと橘が言っていた。他家とはあまり交流がない、孤高の家なのだと。
北小路家とは違って他の三家は関わりが強い。だからこそ橘は桜に近づいても、次兄との関わりは禁止されなかった。桔梗も白萩も、元々皇后候補に選ばれる筈だった桜の異母姉と仲が良いらしい。
「ですから花桜さまを助けられてほっと致しました。治癒は万能ではないので、毒か病か、毒ならばどんな毒なのか、知らないと治すのは中々難しくて」
「そうなのですね。……でも、滅んだ筈の毒草だとよく断定できましたね」
「帝自ら花桜さま付きの女官に質疑を行い、断定されました」
そこまで言うと、蝋梅はまた少し寂しそうに微笑んだ。
「幼い頃から帝を見て参りましたけれども、あのお方があそこまで真摯になられる姿を見たのは初めてです。毎日花桜さまのご様子を見に来られるのも、驚きました」
その蝋梅の様子を見て、もしかして、と思った。蝋梅はきっと、帝のことが好きなのではないかと。
しかしそれを指摘するのも憚られて、反応に困っていると蝋梅が口を開いた。
「帝はいつも、幼い頃より達観された方でございました。感情を露わにしているところを、見たことがございません。ですから帝が花桜さまを大事にされているところを見て逆に安心致しました。好きな方には幸せでいてほしいのです」
そこまで言って、蝋梅は吐息を吐いた。
「わたくしはあの方のお役に立てれば、それで。もしも皇后になれなくとも、帝がお許しになれば側室として、それが叶わなければ臣下として、仕えさせて頂くだけで良いのです。……話しすぎました。ですがどうか、わたくしのことは気になさらず、お互い皇后になるため全力で頑張りましょう」
そう言う蝋梅の青い瞳は煌めいて、一点の曇りもなかった。
そう言い切れる蝋梅に深く感じ入った。この考えに至るまで、きっと色々な葛藤があっただろう。
それと同時に、桜の胸に微かな違和感がよぎった。
確かに帝は、桜を皇后に一番近い人間のように接してくれている。
毒を飲んだとはいえ宮中内に静養させ、同じ皇后候補の蝋梅に毎日治癒をかけるよう頼み、多忙な中毎日顔を出し、労りの言葉をかけてくれる
大事にされていることは、間違いない。誰にでもわかる。
だけど、帝が自分を愛しているとはどうしても思えない。
帝の感情は殆ど読めないが、たまにその瞳にほんの僅か、昏さが漂う時がある。
何かを諦め、何かを憎んでいる者のような。
(そうだ、あの目は)
父の目に少し似ている。
少し仄暗くて、何かに取り憑かれた者のような目だ。
(……いや、勘違いだ)
首を振って、馬鹿げた考えを振り払う。
それでもまとわりつく不安は、なかなか消えてはくれなかった。
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