6. 待つけど、待てない

『明日は遅いから、中で待ってて』

 ハルの返事を見たのは、マンションに着く前だった…。

「そっか…」

 しまったな…。

 合鍵を握ったまま、玄関前で固まる。

 事前に、部屋を出入りする特定の誰かがいるかどうか確認しておくべきだった…。

 とりあえず、電話しよう…。

 圏外アナウンスが流れている中、隣の家から鍵の開ける音が聞こえて、早く家の中に入らなきゃと焦れば焦るほど上手く開錠出来ず、時すでに遅し…。

 とりあえず、顔だけは伏せよう…。

「あれ…?」

 聞き覚えのある声に、顔を上げる。

拓斗たくとくん…?」

 お隣さんが拓斗くんだったとは…。

 面倒なことになりそうな予感しかしない…。

「ハル、今日は帰り遅いよ…?」

「うん。知ってるよ…」

 そう言えば、普段着の拓斗くんは久々に見た気がする。

「そうか…」

 でも、学校で見るあの気怠そうな顔で、何を言い出すかと思えば…。

「じゃあ、今からデートする…?」

「しませんっ」

 ハルの部屋の鍵を開けようとしたら、手を掴まれた。

「じゃあ、俺の家に来る…?」

「行きません」

 タイミング良く、着信音が響いた…。

「そう…」

 そう言って、手を離したと同時に、

「じゃあ、ハルに聞こうか…」

 私の携帯電話が奪われた。

「ハル、ごめん…。俺だわ。隣のタクトだけど…」

『はぁっ?』

 音漏れした声が、

『ねえちゃんにかわってくださいっ』

 更に、はっきりよく聞こえた…。

「変わる前に、ハルに許可取っておこうと思って…」

『断りますっ』

 用件聞く前に、断ってるよ…。

 拓斗くんは少し苦笑して、

「じゃあ、かわるよ…」

 はい、と言って、素直に携帯電話を返してくれた。

「ハル…?」

『ねえちゃんっ!』

 嬉しそうな声に、少し顔が緩んだ…。

「お部屋に入って待ってるから、ね」

 そう言うと、素早く携帯電話を取り上げられた。

「俺も、待ってるよ」

 そう言って、終話した…。

「拓斗くん…」

 睨んだところで、

「じゃあ、俺は今から買い物に行くので戻り次第、連絡するよ」

 拓斗くんは携帯電話に番号を入力して、かけて、すぐに切った…。

「多分、ハルがそのうち戻って来ると思うけど…」

 私に携帯電話を返して、キラキラな笑顔で、

「いってきますっ」

 この状況を楽しんでいるように見えた拓斗くんの後ろ姿に、舌打ちしてしまった…。

「ねえちゃん?」

 本当に、数分後に戻って来たハルを見て、

『拓斗くんって、ナニモノ?』

 と、ココロの中で叫んでしまった…。

「おかえり」

 ハルは、押し倒す勢いで私を抱きしめた…。

「ただいまっ…」

 でも、いつもの力強さはない…。

 違和感を感じる。

「どうしたの…?」

 ハルが、不安になっている時によく出る癖があるけど…。

「ううん…」

 それに気付かれたと思ったハルは、いつものように私を手加減ナシで抱きしめる。

「現場が近くて戻って来たんだけど、またすぐに出るから…」

 もう少しこのままで。と耳元で低く囁くハルの唇が触れるくらい近くて、少し距離を取った。

「嫌…?」

「嫌じゃないよ…」

 少し笑って答えた私に、

「ねえちゃんは、俺のことどう思ってるの?」

 真っ直ぐ見つめるハルに、

「ど、どうって…」

 弟…。

「おと…」

 弟と言おうとしたら、

「弟って、答えはダメだよ…」

 まだ幼さが残るけれども、徐々に男性特有の筋肉質な体になっているのだと密着している部分が物語っていた。

「俺、こなつのことは数か月でも年上だからねえちゃんって呼ぶけど…」

 同級生の弟。

 それが意味するものは、もうハルは気付いているのかも知れない…。

「本当はこなつって呼びたいよ…」

「呼べばいいじゃない…?」

 名前で呼ばれても、ハルのお姉ちゃんには変わりないから…。

「昔みたいに、こなつって呼べばいいんじゃない…?」

 ハルは憶えてないかも知れないけど、昔は「こなつ」って呼んでたよ。いつしか「ねえちゃん」って呼ぶようになったけど…。

「昔とは意味が違うんだよ…」

 切ない顔をするハルに、もう逃げれないと思った…。

「こなつ、って呼んじゃうと…」

 私は、ハルのいつにも増して真剣な顔をじっと見つめる。

「俺だけのものにしたくなる…」

 ハルに思いっきり抱きしめられると身構えたけれども、思いのほか優しく抱きしめられた。

 ハルの鼓動が速くて、覚悟を決めて聞かなければと改めて密かに気合いを入れた。

「こなつのこと、好き…大好き…」

 知ってる。

 辰己たつきお兄ちゃんみたいに、そう言い返したかった…。でも、今はそのタイミングではない…。

「うん…」

 頷いて、次の言葉を待つ。

「だから、付き合って欲しい…」

「う…、ん?」

 うん。と思わず相槌を打ちそうになったが、それはOKって言ってしまう事になるから、首を傾げて語尾を上げた…。

「ひっかからなかったね…」

 残念。と、少し笑って、

「じゃあ、行って来ます…」

 私の頬に軽くキスを落として、そのまま出て行った…。

「あ…」

 返事してない…。

 でも、私が断ることなんてわかってる筈なのに…。

 ハルの告白に、どれくらい放心していたのかわからないけど、携帯電話の着信音で我に戻った。

「はい…」

 番号だけの表示だったので、多分、拓斗くんだろう…。

『俺、拓斗だけど…』

 もう帰って来たのかな…?

「うん…」

 何故か拓斗くんの声を聴いたら、ほっとしてジワジワと涙腺が弱ってしまった…。

『こなつ、寝てた…?』

「寝てないよ…」

『ハルに、ご飯頼まれてたから届けるよ』

「え…?」

『じゃあ、着きま…』

 言ってる傍から、受話器からも呼び出し音が聞こえる。

『した』

 開けるか。と腰を上げて、玄関まで行くと鍵が開いていたようで既に玄関で靴を脱いでいる拓斗くんがいた。

「お邪魔しまぁーす」

 私と顔を合わせてから、

「玄関の鍵は閉めなきゃダメだよ」

 笑いながら、私の横を通り過ぎて行った。

「お昼、食べたの…?」

「まだ…」

 おなかがすいた実感がなかったけど、買って来たものを見たらおなかが鳴った。

「さっきまで、放心状態だった…?」

 拓斗くんの鋭さに、驚きを隠せずにいた。

「そんなに驚かなくていいよ」

 笑って、テーブルの上に惣菜を並べる拓斗くんは、

「こなつが来るって、楽しそうに言ってたからさ…」

 はい。とお茶の入ったペットボトルを渡されて、

「ありがとう…」

「いえいえ、どういたしまして…」

 お箸を手に取り、いただきます。と、言ってから食べる私の目の前で、

「こなつとは抱き合った仲だと話しましたら、こなつに告白するって言い出しまして…」

 事実ではあるが、誤解するような言い方してハルを煽ったのか…。

「はい…」

 平静を装い、食べ続ける私に、

「それで、もう告白されたんじゃないかなぁ…って、思ったんだけど…」

 正解です。と言わんばかりに、頷いた。

「やっぱり…」

 拓斗くんは頭を抱えている…。

「それで、どう答えたの…?」

 食べているので待ってくれとジェスチャーで答えた…。

「うん。待つよ…」

 拓斗くんはそういうと自分用に買って来た1リットルペットボトルのミネラルウォーターを飲む。

「答えてない」

 そう言うと、

「時間切れ…?」

「そう…」

 この惣菜、おいしい…。

「そういえば、食べないの…?」

「俺は自炊派だから…」

 じゃあ、作ってよって言いかけた言葉を唾と共に飲み込んだ…。

「こなつちゃんが望めば、作ってあげるけどね…?」

 本当、拓斗くんってナニモノ…?

「ううん。これだけで充分だよ…」

 黙々と食べることに専念しようかと思った時に、

「俺がおなかすいたから…」

 拓斗くんは冷蔵庫を開けて、物色しながら、

「ついでに作るよ…」

 食材を取り出し始めた。

「こなつちゃんが食べなくても、ハルのご飯になるから気にしない…」

 そう言いながら、慣れた手つきで食材を切り始める。

「ありがとう…」

 不安だった心の乱れが、少し穏やかになった気がした…。

「いえいえ、どういたしまして…」

 顔を上げて、振り返る拓斗くんは、

「こなつ、可愛い…」

「可愛くないですっ」

 いつもの拓斗くんで少しホッとした反面、これは本気なのか、冗談なのか…。

「そして、観ていて面白い…」

 そう呟きながら、フライパンに食材を入れ始めた。

 やはり、後者か…。

「魅力的だよ…」

 炒める音のおかげで、聞こえないフリをした…。

「いただきますっ」

「いただきます…」

 拓斗くんが作った炒め物は、

「お、美味しい…」

 私の胃袋を掴んでしまった…。

 こういうのって、逆なような気がするけど…。

「本当に、美味しいよ…」

 どうしよう…。

 嫁に欲しい…。

「ボク、お嫁に行けるかしら…?」

 声色を変えて、可愛い女の子が目の前にいるような錯覚に陥る。

「い、行けるよっ」

 思わず、拓斗くんの両手を掴んでしまった…。

「じゃあ、結婚しようよ」

 ニコニコしながら、私の手を握り返して、

「こなつのお嫁さんになるっ」

「断るっ」

 拓斗くんは舌打ちをして、

「こなつ、もう食べさせないよ…?」

 拓斗くんの指は、私の手を掴んで離さないままで…。

「これじゃ、食べられないよ…」

 拓斗くんはイタズラな笑みを浮かべて、

「食べさせるから、いいの…」

 あーん。と、炒め物を掴んだ箸を口元まで持って来る。

「拓斗くん、食べていいよ…」

 唇を尖らせて、拒んでいたら。

「ボクのこと、嫌い…?」

 声色変えて言うの、卑怯…。

「き、嫌いじゃないよ…」

 はい。あーん。って、可愛い声で言われたら、食べちゃうじゃないかっ

「美味しい…?」

 うん。美味しいって緩んだ顔で、微笑んだら、

「こなつの恋愛対象って…」

 真面目な顔で、地声の拓斗くんが、

「乙女系…?」

 真面目な顔で、私が出せる一番低い声で、

「好きになるのに、理屈はないのでは…?」

 拓斗くんが作った炒め物を食べながら、

「あったかい気持ちになれて、このヒトと一緒にいたいって想えるヒトが将来的に出来るといいけど…」

 もぐもぐと何を言ったかわからないように伝えたら、拓斗くんは買って来たお惣菜を食べながら、

「その将来を現実にしない…?」

 俺と。って、

「俺と。しか聞き取れなかったけど…」

 聞こえなかったフリをして、耳まで真っ赤になっている拓斗くんから再度聞き出そうと思った…。

「もう言わない…」

 そう言って、食べることに集中した拓斗くんを見ながら、何で再度聞こうと思ったのか考える…。

 好きになった…?

 胸の高鳴りは、特にない…。

 ってことは、そういう好きになったワケではない…。のかな…?

 自分のことながら、よくわからん…。

「ごちそうさまでした」

 食べ終わったので、テレビが置いてある近くのソファーに寝転がる。

「あぁ、美味しかった…」

 再び拓斗くんの手料理を思い出し、しみじみ独り言を言った。

「また作るよ」

 その独り言に拓斗くんは答えてくれた。

「ありがとう…」

 そして、少し目を瞑る。

「こなつのおいしそうに食べる顔って、見てるこっちまで幸せになるよ…」

 拓斗くんはそう言うと、ごちそうさまと言って片付けを始めたので、手伝おうと起き上がったら、

「こなつちゃん、今、見ないで…」

 拓斗くんの目から、涙が溢れていた…。

「ごめん…」

 見ちゃった…。

 一応、顔を隠しながら近付き、

「片付け、手伝おうと思って…」

 見てませんとばかりに、拓斗くんの前を横切った。背中越しに、

「拓斗くん、少し横になったら…?」

 拓斗くんは小さな声でうんと頷き、

「少し…このままで…」

 後ろから抱きしめられて、

「うん…」

 よし。よし。と私の肩に触れる拓斗くんの腕を撫でた。

「そういうの、いらない…」

 拓斗くんは声を詰まらせながらそう言うと私の手を払い除け、帰るのかと思えばさっきまで私が寝転んでいたソファーに倒れ込んで、

「あぁっ…もうぅ」

 悶絶している拓斗くんの声をBGM代わりに、片付けを続ける。

「何で…」

 後は、食器を洗わないと…。

「伝わんないかな…」

 蛇口からの水音で、拓斗くんの声をかき消せたらいいのに…。

「伝わってるよ…」

 痛いくらいに、私のココロに突き刺さってて、でも、拓斗くんが私を想う好きとは違う好きだから…。ごめんなさい…。

 家から持参した電子記憶媒体(限定盤)の映像を観ながら、ハルの帰りを待っているのだが…。

「これ、くだらな過ぎぃー」

 何故か帰らない拓斗くんに、

「帰っていいんだよ…?」

 そう何度か促しているのだが、

「帰りたくない…」

 しょぼんと肩を落とす拓斗くんは、

「そんなに冷たくあしらわなくてもいいじゃない…」

 ヒドイ。って言いながら、必要以上に私の手を握っているのだが…。

「拒否しないの…?」

「うん…」

 ドキドキしないから。

「こなつ、俺、男だけど…」

「知ってる」

 だから、ドキドキしないんだって…。

「俺だけか…」

 そう言うと、右手を掴まれて、心臓の近い位置に体ごと引き寄せられた。

「こなつと一緒にいるだけで俺、こんなになるのに…」

 少し自嘲的な笑いを浮かべる拓斗くんは、見た目以上に凄くドキドキしている…。

「何で、こなつはドキドキしないの…?」

「個人差…?」

 意外な答えだったのか、吹き出して笑っている…。

「た、確かに…」

 そんな和やかになった空間に、

「楽しそうだね…」

 後ろから声が聞こえたので、振り返る。

「ハル、おかえりなさい」

「ハル、待ってたぞぉ」

 ハルの機嫌は声の調子といい、顔の表情といい…すこぶる悪い…。

 ハルは、早々に拓斗くんと私を引き離した。

「何してたんだよっ」

 心拍数上昇選手権…?

 今、この状況で言ったら洒落にならない…。ので言わない…。

「映画見てたよ」

 胸ぐらを掴まれてる拓斗くんは、

「ハルが想像しているような事をするには、隣の家でしてますよ…」

 その掴まれた手をいとも簡単にねじり上げる。

「い、痛いっ…」

「強引に、隣へ連れて行くくらいの力はあるからな…」

 そして、離す。

 拓斗くんの顔は、いつもに増して真剣な顔だった…。

「ハル、こなつちゃんの返事、聞いてないんでしょ…?」

 拓斗くんは、

「暫く隣にいるから、用事終わったら呼んで…」

 そう言うと、自宅へと帰って行った。

「あの…」

 本題に入ろうとする私に、ハルは、

「ねえちゃんは…」

 優しい笑顔で、

「俺にとって、大好きなお姉ちゃんだから…」

 まだ何も言ってないのに、泣くなんて…。

「私も、ハルのこと好きだよ…」

 弟のハルとして。

「でも、ごめん…」

 恋愛感情のそれではなく…。

「ハルのことは恋愛対象として見れない…」

 うん。と頷いて、

「知ってた」

 泣いているのに、無理に笑おうとするハルの顔に触れて、

「これからも、ハルは私の大切な弟だから…」

 その言葉に、ハルは、

「うん…」

 精一杯の強がりな笑顔で、

「これからも…」

 ハルに触れている私の指を思いのほか優しく握り締めて、

「なんて、無理だよっ…」

 号泣するハルをなだめずにはいられなかった…。

「ハル…」

 ハルが不安だとすぐ抱きしめてしまう…。でも、ハルはそれを拒否して、

「ねえちゃん、ダメだよ…」

 携帯電話を取り、どこかにかけながら私と距離を取る…。

「ごめん…。今日そっちに行くわ…」

 じゃあ。と言って、終話した…。

「ねえちゃん、今日はココで泊まって…、俺は拓斗のところで寝るから…」

 振り返らず、そのまま部屋を出て行ってしまった…。

 これで、よかったんだ…。

「うん…」

 すぐには元に戻れないかも知れないけど…。

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