4. 夏休みがない…。

 明日から夏休み。

 …の筈。

「こなつちゃん、夏休み補習あり…?」

 隣の席の大口おおぐちくんが暑さにやられて机にダラッと体を預ける…。

「補習の回数どうする?って中越なかこし先生から聞いてるから…あり?」

 少し笑って、私の右手を掴んだ…。

「じゃあ、夏休みにまた会えるね…」

 こういう時って、ドキドキするんじゃないのか…?

 全然、ドキドキしない…。

拓斗たくとくんも…?」

 その気持ちが伝わったのか拓斗くんは絡めるように手を繋いで、

「俺は日数的なところだけど…」

 周りがザワついているので、何事かと思って見渡すと、

「ん…?」

 ピタッと静かになる。

「いいんじゃないの…?」

『見せつけちゃえば…』

 そんな口ぶりで、エスカレートする拓斗くんの握り方に。

「全然、ドキドキしないっ…」

 芸能人なのに魅力ないってどういう事だよ…。

 涙を流しながら、笑い出した私に向かって、

「こなつちゃん、俺、傷付くよ…」

 拓斗くんが好きな女子なら、これでイチコロなのだろう…。

「いや、だって…」

 もう苦しい…。

「そういうこなつも好きだよ…」

 笑いが止まらない私に向かって、

「でも、かなり傷付いた…」

 うん。わかる。わかってる。

 失礼だって…。

 でも、止まらないんだ…。

「誰だ。庄野しょうのの笑いのツボ押したのは…」

 いつの間にか教室に中越先生がいた。もうそんな時間か…。

「大口くんに手を握られて、笑い出しましたっ!」

 誰かが事実を言って、

「そうか…」

 さっきまで怠そうに喋っていた中越先生の雰囲気が変わった…。

「庄野、大口…」

 後で職員室に来なさい…?

「お前ら付き合っているのか…?」

 はぁっ?

 その言葉で、止まらなかった笑いが止まった…。

「ほどほどに、な…」

 いや、付き合ってないし…。

 言い返したかったのに、今度は咳が止まない…。

「大丈夫…?」

 背中をさすってくれる拓斗くんに、いいよと手で制した。

「中越先生、大口くんと付き合ってませんから」

「知ってる」

 即答。

 笑いを止めるように言った言葉なのか…。いや、でも変な誤解を招くだろうよ。

「じゃあ、皆の誤解も解けたところで今学期最後のホームルーム始めます…」

 中越先生って、先生っぽい…。いや、先生だけど…。

『こなつ、何で否定したの…?』

 小声でご不満そうに話す拓斗くん。

『事実でしょうがっ』

 小声で答える私に、

『聞こえない…』

 いや、聞こえてるでしょ…。

 そこからは無視して、中越先生の話を聞いていると、

「では、今から名前を呼ばれた者は残るように」

 どうせ残るんだから聞かなくてもいいか…。

 今日は帰って何しようかな…。

「庄野、大口…」

 だけか。と中越先生が呟いて、

「俺のクラス、超優秀だな…」

 教卓から顔を上げて、

「以上、今学期最後のホームルーム終わります…」

 万遍の笑みで、今日の日直に合図する。

『こなつちゃん…』

 囁くように言った隣の席の拓斗くんは、

『行って来ます…』

 席を立って下校する人影に消えて行った…。ってことは…。

「庄野は、帰っちゃダメだぞ」

 いつの間にか先生と二人っきり…。

「はぁい…」

 この状況で帰れるワケがない…。

「では、今から問題を解いてください…」

 目の前に差し出されたプリントに、まだ心の準備が出来てない…。

「こなつ、何か書くものを準備して」

 言われるがままペンケースから何かしら書くものを取る…。

「では、はじめ…」

 これで、補習の回数が決まるってことなのかな…。

 算数からは卒業できたものの、それまでに出来なかった数学の成績が上がることは上がったけど…、以前のレベルまでにはまだ到達してない…。

 したがって、私の夏休みは補習で始まり、補習で終わるのかな…。

 以前よりは解けている問題を見直しながら回数が少なくなりますようにと密やかに願った…。

「はい。終わり…」

 目の前にあるプリントが消えた。

「庄野、よく頑張ったな…」

 中越先生はプリントを持ってない方の手で私の頭をナデナデする。

「うん…」

 その顔は優しくて自然に笑顔が出て、お互い見合っていたら、

「やっぱり、こなつは可愛いな…」

 中越先生が頭を撫でていた手が頬に移動した瞬間に、無風だった教室を風が通った。

「じゃあ、採点するか…」

 中越先生から目が離せなかった…。

 ドキドキした…。

 も、もしや…。

 これが、世間一般に言う『胸キュン』なのだろうか…。

「ない…」

 思わず、出てしまった独り言を採点しながら、

「ない…?」

 首を傾げる中越先生に、

「独り言です…」

 ごめんなさい。と深々と頭を下げた。

「了解です…」

 そして、採点が終わったのか答案用紙をじっくり見て思い悩む姿を見ていたら、急に顔を上げた中越先生と目が合った。

「庄野、どうした…?」

「いえ…」

 少しだけ巳鶴みつるくんの面影を思い出していただなんて言えない…。

「そうか…」

 胸キュンしたのは、巳鶴くんの笑顔が重なったからなんだと冷静に判断した…。

「中越先生って、カッコイイデスネ…」

「嘘だろ。それ…」

 笑いながら、

「お世辞でも嬉しいよ…」

 でも、すぐに真顔になって今後どうするべきか悩む姿は、先生っぽい。いや、先生だけど…。

「うーん…」

 補習の回数が少なくなりますように。

 中越先生の思い悩む姿に願わずにはいられない…。

「週1回は数学の補習しようか…?」

 えぇっ

 週1回だったら、いつもの補習と変わらないじゃん…。

「もっとしたい…?」

 中越先生はドSゴコロが疼いたのか、笑顔でさらっとそんなことを言ってのける。

「結構ですっ」

 首を横に激しく振って、

『そんなに勉強したくないですっ』

 そんな気持ちが伝わったのか、

「じゃあ、その日に出来なかった課題は中越家でしようか…?」

「自力でしますっ」

 中越先生は少し不満げに、

「そうか…」

 大袈裟な溜め息を吐き、

「中越家の餃子、食べたくないのか…」

「食べたいですっ」

 即、即答。

「だろう…?」

 笑顔で真っ直ぐ見つめるその目は、やっぱり巳鶴くんの面影があって俯いた…。

「で、でもっ」

 補習だし…。

「まりえさんが会いたがってる…」

 そう言うと、中越先生は私の頭をポンポンと叩き、

「だから、補習の後に中越家って事で…」

 顔を上げると、やっぱり巳鶴くんの面影が何となくあって…、兄弟なんだなとつくづく思ってしまった…。

「決定、な?」

「は、はい…」

 思わず、返事してしまった…。

「じゃあ、日程はまた連絡する。では、お疲れ様でしたっ」

 そして、颯爽と教室から出て行った…。

「終わったぁ…」

 解放感に浸っていたら、また風が吹き抜けた…。

「ん…?」

 気配を感じて、振り向くと…。

『兄ちゃんだけは、ダメ…』

 巳鶴くんがいた。

「え…?」

 首を傾げると、巳鶴くんは溜め息を吐き、

『こなつ、ニブいよ…』

 あまりに真剣な顔に少しグラッと来てしまった…。

 いや、それはさておき…。

辰己たつきお兄ちゃんだけはダメって、何…?」

 何か言いたげに、そのまま消えそうになったので、

「何がダメなのか教えてよっ」

『俺の、兄ちゃんだから…』

 そう言って、消えた…。

「何、それ…」

 巳鶴くんって、ブラコンだったの…?

『ひくような考え、しないで…』

 私のココロの声が聞こえたのか、また巳鶴くんが現れた。

『兄ちゃんのこと、許せなくなる…』

 苦しそうな顔をして、

『俺には、何もないんだよ…』

 でも、少し笑って…。

『生きてる時も、今も…』

 何か吹っ切れた顔をして、巳鶴くんは私を見つめる。

『こなつ、好きだよ…』

 声にならない声が出た。

 あの時、拓斗くんに告白されてどう断ろうかと思い悩んでしまった時に、巳鶴くんに相談した。

 でも、拓斗くんには最初から『好きなヒトがいるから付き合えない』と言うつもりでいた。

「私も…」

 巳鶴くんに相談したのは、最初から結論が出ていて自分の気持ちを整理したかったから…。

「好き、だよ…」

私が特別に好きなのは巳鶴くんだと言おうとして、次に会った時には斎場の棺桶で眠っていて言えずじまいだった…。

「巳鶴くんのことが、好き…」

 まさかの…、両想いだったなんて…。

『知ってた』

 いつの間にかたどり着いた場所には、立入禁止の看板がある…。

『だから、一緒になろう…?』

 でも、不思議と怖くない…。

「うん…」

 巳鶴くんと一緒なら…、怖くなかった…。

「待てっ!」

 振り返ると、

「え…?」

 今、仕事場に向かっている筈の拓斗くんがいた…。

『行くよ』

「わあぁっ」

 巳鶴くんに手を引かれて、私はどこか高いところから飛び降りた…。

「あ…?」

 筈、だった…。

 目の前は真っ暗で、落ちた感覚はない。

「こなつ、大丈夫か…?」

 優しく耳元で囁く声と、匂いで拓斗くんを感じた…。

「う、うん…」

 そう返事すると、拓斗くんから体が解放されると同時に、目の前には…。

「な、…」

 学校の敷地内にある立入禁止区域で、崖崩れ防止の舗装がされている斜面が…。

 ある意味、絶景かな…。

「忘れ物、取りに来たんだ…」

 コレ。と拓斗くんが持っていたのは汚れの目立つマスコットのストラップ。

「コレ、憶えてない…?」

 もしかして、と記憶にあるのは、小学生の時、拓斗くんが修学旅行に行けなかったので巳鶴くんと私とで買ったお土産だった…。

「懐かしい…」

 その懐かしさを共有したくて、巳鶴くんを探したけど、もういなかった…。

「家に入れないところだったよ…」

 その笑顔は、自然で。

「でも、忘れてよかった…」

 再び拓斗くんが抱きしめるから、ちょっと治まったドキドキが止まらない…。

「こなつ、ドキドキしてるね…」

 嬉しそうに笑って言うから、

「生きてるから、ね…」

 可愛げなく、不貞腐れて言った…。

「そうだね…」

 優しい声で、優しく抱きしめるから…。

「そうだよ…」

 怖かったな…。

 って、冷静に怖がった結果のドキドキだから。したがって、拓斗くんにドキドキしたワケじゃない…。

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