幽霊はセッタで成仏するらしい

狐藤夏雪

幽霊はセッタで成仏するらしい

「死ぬことは怖くないのか」

 湖面の月を、髪の長い端正な顔が覗き込んでいる。僕はタバコをふかしつつ、夜風に揺れる草の穂を眺めていた。

「怖いよ」

「でも死ぬってよくわからないよな。代謝が止まって腐り始めたらなのか、他人が死んでるって思ったらなのか、自分が自分でなくなったらなのか」

「どうでもよくない?」

「そうやって理解しようとしないから怖いんだよ」

「無理に克服する必要ないじゃん」

 ふいた紫煙は月をおおう叢雲に、タバコの火種は地上の星に、隣の男は不服そうに表情を曇らせた。不満そうだが彼は何も言わない。見つめるのを湖面から僕の顔に移して、言葉なく想いが通じるとでも思っているようにしている。僕は横目にそんな彼の様子を確認して、目を合わさないよう草をまた観察し始めた。その時草は凪いでいた。

「黙ってないで一本吸いなよ。不服も一服で吹き飛ぶでしょ。不満は一でも解決されれば少しはすっきりするんだからさ」

 胸ポケットから箱を取り出し、一本つまんで隣に差し出す。

「空腹のとき中途半端に食ったらもっと腹減るだろ」

「僕は一でもスッとするよ」

「一だけじゃ暴れるぞ」

「どれだけ?」

「そりゃもうメチャクチャに。お兄さん君のこと滅茶苦茶にしちゃうぞ♪」

「じゃあいらないの?」

「セッタはいらない」

「そう」

「線香臭いから」

「そんなニオイしないよ」

「お盆にウチに来てた坊さんがよく吸ってたからな」

「関係ないじゃん」

「たぶんすべての幽霊はセッタで成仏できる」

「そうだったらエクソシストもゴーストバスターズもいらないよ」

 横目に金の輝きを感じる。まもなくカチッと朱が燃えるのを見たと思えば、甘いかおりが鼻腔をくすぐった。再び月は叢雲に覆われる。隣の男は「月に叢雲花に風」と言わんばかりに、視線を空の月へと移した。僕は持ってきた空いた鯖缶を灰皿にしてタバコをもみ消し、つまんでいた一本をくわえた。

「甘いヤニ吸ってる男はインポらしいよ」

「なっ、試してみるか?」

 彼は隠しきれない動揺に声を震わせ、胸を張って言った。

「いいえ結構です」

「今ならもう一本ついてくるぞ」

「二本もあったら化物じゃん」

「俺は化物だよ」

「どこら辺が?」

「この魔性の色気に君は気づかないのかい?」

 急に立ち上がって僕の前に立つ。月の光に照らされて、長身で細身ながら筋肉を感じる肢体が浮かび上がる。顔立ちはやはり端正で、まるで造り物だった。

 そう思って紫煙をまた一息吸い込んだ。その時、男は両手で顔を覆うように掴み、ゆっくり引いた。まもなくかちゃっと陶器同士がぶつかる音がした。顔面は仮面のように外れ、彼の手はそれをしっかりつかんでいる。顔のなくなった場所には白っぽい後頭部の裏側が、闇に包まれながら見える。

 男は外した顔面を僕に手渡した。その感触は硬く重かった。

「ほら、色男だろ?」

「キモい」

「ひどっ!」

 体がガガーンとしたようなポーズをとって、僕の手元からは傷心の風を感じる。

「いや、顔はいいんだけど、なんか色々と生理的に無理」

 くわえタバコの顔の口元から声が聞こえてくる。吸った煙は顔の裏側から出て、顔のあった空間から喉に吸い込まれていく。そしてその逆の動きで口から吐き出す。

「生理的ってなんだ。これでも近所のマダムたちからモッテモテなんだぞ!」

「いや近所のマダムもこうなったらドン引きだと思う」

「美しさは他の諸々の情報を吹き飛ばすものだよ」

「そう。とりあえず火、借りるね」

 手元の顔を僕のに近づけ、タバコの先を近づける。すると男は目をつむりそれを受け入れた。

「もっと強く吸って」

「ん」

 タバコの先はより明るく燃える。光はどんどん広がっていき、僕のタバコの先も侵食していく。口の中に甘さと香ばしさの混じった香りが広がる。紫煙を吸い込み、ふっと吐き出して、男の顔を遠ざけた。

「とりあえず、落ち着かないから戻すよ」

 立ち上がり、男の顔面をさっきまではまっていた場所に押し付けた。するとまたかちゃっと音がして、落ちる気配もなく固定された。

「もういいのか? もっとじっくり舐めるように楽しんでよかったのに」

「確かに色男で優男でイイ顔だった。けど、お兄さんは何者なの?」

「俺は君たちにとって宇宙人さ。月より遠いがここの近く出身のな。俺たちは魂をこういう器に入れて生まれるんだ。だからみんな美しいし、みんな個性的な姿をしてる。タコとカニが合体したみたいなヤツもいるぞ?」

「で、なにしに来たの?」

「観光」

「パスポートは?」

「入星管理局がなかったから」

「ビザはとりましたか?」

「ピザならよくとるが」

「まあいいや」

 また草を眺める作業に戻る。草たちはまた吹き始めた風に騒めいている。草の合唱を耳にしつつ、香ばしいかおりで肺を満たし、宙に雲を浮かべるよう一気に吐き出す。伸びてきた灰を空き缶に落としあくびする。男は僕の隣に座り直し、マネするようにタバコを吸った。

「ところで僕たち結構付き合い長いけど、どうして教えてくれなかったの?」

「本当の愛を見つけたくってな」

「ならすぐに言ってくれればよかったのに」

「秘密って仲良くなってから言うべきものだろ」

「それはそう」

「拒絶されらた嫌だし」

「でもさ、僕ははやく知りたかったよ」

「どうして?」

「もっと好きになった」

「えっ、キモいとか言ってたろ?」

「ツンデレって知ってる?」

「自分で言うか」

「まあちょっと違うかもしれないけど」

 僕たちはそれぞれ草と湖面の月を眺めて時を過ごした。二人そろって火を空き缶でもみ消す。僕はまた一本つまんで、彼に差し出す。

「吸わないの?」

「自分のがある」

「たまには気分転換するのもいいんじゃない?」

「君の吸ったら赤ちゃんできちゃう」

「できないよ。いや、できるの?」

「できないさ。宇宙人から見ても、ファンタジーだ」

「でも、そう、僕の好きなものを知って欲しかったんだけど、押しつけは良くないもんね」

 くわえてライターを着火する。その火をタバコに移そうとしたとき、横から手が伸びてきてタバコを奪い去った。見れば男がセッタをくわえている。男はポケットをまさぐって金のハトが輝く箱を取り出し、一本抜いて、僕の口にくわえさせてきた。

「交換だ。たまには気分転換するのもいいんじゃないか?」

「お兄さんの吸ったら赤ちゃんできちゃう」

「責任はとる。それが俺の星のならわしだ」

「できるわけないじゃん」

 それぞれのライターで火をつける。僕の体を満たしたのは、いつもほんのり漂ってくるお兄さんのにおいだ。甘くて、ニコチンが脳をとろかして、どこか上品さを感じる。悪くない。正直そう思った。でも僕は浮気者になれない。やっぱりいつものがいいなと思った。

「やっぱり僕はセッタがい――

 お兄さんの方を向くと、お兄さんは目を丸くして叢に横たわっていた。手を握っても重いばかりで力を感じない。ゆすってもがちゃがちゃ陶器の音がするだけで、声も反応もない。

「死ぬことは怖くないのかって聞いたよな」

 頭に直接声が響く。

「俺は怖くない。魂は消えないからな。もう一度器にさえ戻せれば、また生き返る」

「やっぱり僕は怖い。自分が死ぬことばかりじゃない。なによりそばにいる誰かが死ぬのが怖いんだ!」

 突然のことでパニックになっていたのかもしれない。葬式で一度も泣いたことのない僕の頬に、数十年ぶりのしめった温もりを感じた。

「ウソでしょ。お兄さんいっつも冗談ばっかりじゃん。僕がこうなるのを見たくて、こんなひどい冗談を言ってるんだよね?」

「俺の体はモノに憑いた幽霊みたいなもんだからな。幽霊はセッタで成仏するってね。マジでこうなるとは思ってなかった」

 そう言うと、力なく「ははは」と笑った。

「怖くても泣かなくていい。俺はお前の近くにいるさ。ただ見えなくなっているだけだからな。でも、長く暮らすうちに心も地球人っぽくなっちまったのかね。俺も少し怖いよ。君から見えなくなるのがな」

「器があれば戻るんでしょ? ここにもともと使ってたのがあるじゃん!」

「魂はそんな都合よくできてない。君たちだって一度死んだら同じ体に戻れないだろ」

「でもお兄さんは宇宙人で、魂は器に注ぐだけで――」

「だとしても死は意味を問うほどに大きな現象なんだ。じゃあこれからもよろしくな。答えられないが、話しかけてくれるだけで嬉しいよ。ついでにテキトーに反応してくれると、俺も嬉しいな。お兄さん、なんだかんだ寂しがりだからさ」

「僕のせいだ、僕が殺したんだ……」

「気にすんな。俺が勝手に奪って吸った、それだけだ。間接自殺だよ」

「僕は間接殺人じゃないか」

「まあお互いに間接キスだったってことでいいじゃないか」

「そうはいかない!」

「一息吸って落ち着けよ、夜なんだから、近所迷惑だぞ、静かに、しずかにだ、しず、に、し、、に、し、、、」

 声は途切れ途切れになって、どんどん遠くなっていき消えてしまった。

「どうして。どうして!」

 想いは言葉にならないままに、声と涙になってとめどなくあふれ出した。

 僕は生まれて初めて、汚い声をあげて泣いた。


 あの夜から毎日、空気に向かって話しかけたり、聞こえない声に反応してみたりした。同時にお兄さんの空の器を見て、新しい器を作ろうとした。造形の腕はみるみる上達し、気がつくと私は世界的な人形作家となっていた。時代も変わり、金さえあればだれでも宇宙に行けるようになって、人形で稼いだお金で、私は地球の近くの星をいくつかまわった。何度か近所の星を巡るうち、本当にすぐ近くの星の地下でお兄さんの言っていた性質を持つ人々に出会った。

 私は彼らの知恵と技術に助けられながら、器の作り方と魂を定着させる方法を学んで数年を過ごした。そして地球に戻った。

 私は今、月のよく見える湖の近くに来ている。隣にはあの日と同じように、中身のない器が転がっていた。湖面の月を眺めていたが、口寂しさを感じて胸ポケットから箱を取り出す。箱には金のハトが月影に輝いて少し眩しい。そこから二本抜いて、一本をくわえ、もう一本を空容器の口にくわえさせた。自分のに火をつけ、先をもう一本の先にくっつける。

「もっと強く吸って」

 そう言うと器のタバコに火が灯る。明かりはいっそう眩しく輝き、と思えばしぼむように暗くなった。そして器の口から、ふっと煙が吐き出された。

 器が静かに起き上がる。瞳が僕の瞳を覗き込み笑う。

「俺たちの星に君が行ったとき、バレないから帰ってしまおうと思ったよ」

「でも私のそばにいたんでしょ。お兄さんはよっぽど、もの好きなんだね」

「観光好きは大抵もの好きだろ?」

「それはそうだね」

「じゃあこれからもよろしくな」

 私たちは同じ月を見て、短い時を過ごした。

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幽霊はセッタで成仏するらしい 狐藤夏雪 @kassethu-Goto

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