第10話 色

 ノアの言うその人物は僕の中に居た。

 ノアが言い終わるよりもわずかに早く、僕の身体が薄く七色の光に包まれた。自分の手を見てみる。それまではっきりと手だと認識できていたそれは、光の幕が輪郭をぼやけさせている。自分で確認できないが、それが全身に及んでいるのだろう。よく見ると、わずかな厚みしかないベールは、内側から外側に向かって様々な色が流れている。

 しばらくすると、僕を包む光は指先へ向かうように少しずつ移動し、後から来る光に押し出されるかのように、放物線を描きながら、何もない空間に溜まりだした。その光の塊は、下側からゆっくりと人の足を形作り、やがて脚、腰と人の形を取り出した。

 僕は、ただ「綺麗だ」と思った。僕自身に大きな変化は何も無い。たぶんコレは、僕の内側からでてきたのだろう。電子の世界なのだから、別段驚くようなコトでもない。それまで光に向けていた視線をノアに移すと、それまで微動だにしなかったノアの身体が動いていた。首から上だけだったが、顔をその光の方へ向けている。正直、ノアが動いたことには驚いた。

 「僕はアティス。最後の人間だった者だよ」

自らアティスと名乗った光でできた人型は、まだその頭部から光の筋が残っている。その光の先は僕の人差し指と繋がったままだ。その声に機械的な雰囲気はまるで無い。それまでの世界で毎日耳にしていた〝肉声〟だと僕の脳は認識している。

 短い挨拶に付けられた身振りは、やはり人間のソレだ。まるで、こちらに対して危害を加えるつもりは無いとでも言うかのように、右掌を胸の辺りに当てている。今度は残った左手をノアの方へ向けた。

「ノア、永い間すまなかったね。彼は僕が死ぬ前に残した僕自身の電子データだよ」


 僕は最愛の人を失った。妻はこの世にもう居ない。そして、僕自身に残された時間もあとわずかしか残ってない。このArkで生きた人間も、僕を残すのみとなってしまった。後に残されるのはノアただ1人だ。

 ノアは体こそ人間ではないが、その存在は人間と同じだ。そもそも、人間とAIの違いとはなんだ?僕たちは体が有機生命体だ。ノアは違う。ある意味ではただの大きな箱だと言えるし、違う見方をすればこの船そのものだとも言える。確かに外見では大きな違いがある。でもそれは、現状が違うだけで、本質ではない。

 人は成長し、様々な経験をもって物事を判断している。それの絶え間ない連続が日々となり、やがて人生となる。

 例えば食べ物の好き、嫌い。ケーキが好きな人が居る。そんな人の全てに共通ではないだろうが、簡単にいえば〝自分の好みに合っている〟からだ。なら、自分の好みはどうやって決まる?それは経験だ。簡単に言えば、甘いもの、辛いもの、酸味のあるもの、苦いものを食べた結果、甘いものが一番美味しいと感じた。次に、様々な甘いものを食べ、その中からケーキを1番に選んだ。この過程はAIでも経験し、学習することが可能だ。

 ではもっと根本的な話。なぜ1番を〝選ぶことができた〟のか?人間の好き嫌いには、環境的要素と遺伝的要素がある。環境的要素とは、正に〝経験〟によって得ることができる。ならば、遺伝的要素とは何か?一言で言えば、DNAに刻まれたプログラムだ。

 人間もまた、先祖から受け継ぐプログラムによって生きている。と言うことは、より人間に近いAIを創るためには、予め条件や設定を付けてやればいい。

 そうやって誕生したAIを人と呼ぶことに何の不都合がある?ノアに先天的好みがあったかどうかは定かではないが、少なくとも、僕の友人であるノアに、環境的要素による後天的なものかもしれないが、好き嫌いはある。

 この結論は、僕たちの地球環境再生プロジェクトに大いに役立った。死滅してしまった地球そのものはもう戻らない。だが、人類が移住可能な惑星の存在は可能性としてある。その惑星を探す旅の途中に今があるけど、船内に残されていた人類は(僕を除いて)全て死滅した。幸いなことに、医療目的で有機生命体は完成させる技術が確立している。あとはこれに人格を植えれば、新人類の完成だ。その人格を生成するため、コンピューター内に地球そのものを復元した。その中に生きる最初の人々には、先天的好き嫌いをプログラムしてある。

 このプログラムは、他者の同様のプログラムと交わることで、細かな差異を持った異なるプログラムが生み出される。そのプログラムの構築は母親のプログラム内に設けてある空室を利用して行われる。つまり、他者のプログラム取得が〝性交〟であり、プログラム構築の空室は〝胎内〟だ。こうして、電子の世界に構築された第二の地球では、僕たちの先祖である地球に住んでいたころの人類と同じ人類の繁栄を辿った。

 順調に人類の育成は進んでいる。残念なのは、僕が生きているうちに、本当の意味での第二の地球を発見できなかったことだ。この役割はノアがたった独りで受け継ぐ。僕が何もしなければ、ノアはどれだけの時間を独りで過ごすことになるのだろう?

 僕は自分の存在そのものを電子化することを決意した。ノアを独りにはさせない。僕が装置を取り付け、スタートボタンを押せば、それは数分で済むだろう。けれど、それが終わったとき、僕の肉体は肉体として死ぬ。肉体の死それ自体は、遅かれ早かれだけれど、ほんのわずかであっても、ノアにとっては僕の死が早まったことに変わりない。悲しむだろうか?

 問題は、僕が自分を電子化するということを、ノアに告げることが出来ないことだ。今のノアに言えば、彼はきっと止めるだろう。それは自然の摂理に反することだから。そして、電子の世界に送り込まれた僕が、〝いつ〟〝どんな形で〟出現するのか分からない。そもそもコレは、この電子の世界ができてから誰も、どんな形であれ、一度も実行したことのない行いなんだから。


 「スタートボタンを押した僕の意識は、世界そのものに溶け込んで行った。それはある意味で、電子の世界への転生に失敗したことを意味していたんだ」

それでも、アティスの意志をもったままの、散り散りになったプログラムは、その中で最も大きなアティスが統率者となり、再構築を目指した。でも、全てを補完するには足りなかった。その足りない部分を補うため、プログラムの交配が起こるその最中に、自身のプログラムを潜り込ませた。

 こうして本来はアティスとして生み出される予定だったプログラムとしての個は、足りない部分を補ったプログラムと交じり合うことで、アティスでもなければ、電子世界の住人でもない新しい存在となった。それはまさに、二色の異なる色が交じり合う様に似ている。赤と青が混じれば紫に、青と黄が交じれば緑に変わる。結果として生じた色は元となった色に属さず、新たな名称を持った色となる。赤は炎を描くのに用いられる。青は水を描くのに用いられる。だが、紫はどちらを描くには(一般的に)用いられることは無い。それは別の、異なる存在だからだ。

 「キミがその世界の真実を物語にしたことは、ただの偶然だよ。純粋なキミの発想力がそれを可能にしたに過ぎない」

アティスは僕の方に向かって言ったのだろうが、光が人型を保っているものの、顔と呼べる造形には至っていないので分からない。依然として僕の指とアティスの頭頂部は光の筋でつながったままだ。どうやらコレが切れることは無いらしい。そう言えば、アティスと呼ばれる存在が僕の内から出てきたらしいが、僕自身に変化は無い。

 アティスは混じり合ったと言った。再び2つに分かれた今、僕はもとのままを保てているが、アティスは光の塊でしかない。思い返してみる限り、無くしたり薄れたりしている記憶もなさそうだ。ということは、僕という本体にアティスが部分的に存在していたと考えるべきだろうか?一つ気になることがある。アティスと僕は、未だ細い光の筋でつながっている。これが失われたとき、果たして僕は僕のままでいられるのだろうか?

 「アティス・・・さん?1つ聞いてもいいかな?」

「いいよ。何でも聞いて」

正直、不思議な感覚だ。頭で理解できているコトと、現実に目の前で起こっているコトに乖離があると言えばいいだろうか?アティスは今、僕と自分とを明確に別人格として言葉を発している。だが、僕の頭ではそもそも1つの人格だったと考えている。僕の理解としては、アティスも僕なのだ。

 「僕の発想力と言ったけど、それはアティスと混じった僕であって、今の僕ではないという理解でいいのかい?それとも、この光の筋が示すように、現状でも僕とキミは混じったままなのか?」

「今の君も、昔の君も、これからの君も、何も変わりはないよ。君の内から、僕だった部分だけを抽出したのが、今の僕だよ」

「なるほど…僕は僕で変わらないということか・・・」

 僕はその存在自体が今後この先も、電子世界に生きる他の人間とは異なることが確定した。僕が世界を壊してしまう存在に変化は無いということだ。これで僕が、他の全てが転送された新しい世界に移る可能性は限りなく0になった。

「キミは全ても未来さえも知った。皆それぞれに役割がある。だが、自身の役割をはっきりと認識できる者はほとんど存在しないよ。もしも自分の役割を知った上で人生を生きるのだとしたら、それはとても悲しいことだからね」

「僕がその・・・自分の役割を理解している者だと言っているのか?」

「そうだね。キミは自分が世界に及ぼす影響を知った。それが原因で、今ここに居る。そしてキミの身体に起きている変化が、何を意味しているのか、理解できているんじゃないのかな?」


 僕たちの生きる世界は複雑だ。朝、思いがけず早くに目覚めたとき、ふと窓の外に目をやると、昨日まで見ていた世界と同じとは思えない景色を目にすることがある。通りに咲く桜が風に舞う春、太陽の光が海面を輝かせる夏、山々が揺らめく炎のように彩られる秋、雪を纏い凛とした静けさを響かせる冬。その全てが、それまで知らなかった彩を教えてくれる。

 彩りに魅せられ外に足を運べば、そこにはそれぞれの香があり、音があり、僕たちの五感をくすぐっていく。全てを含めたその一瞬一瞬は、二度と同じ時間を経験することが出来ないと言えるほどに無限な多様性を持っている。そんな一瞬一瞬の膨大な積み重ねこそが世界だ。

 僕たちもその世界の彩りの1色だ。それぞれが個々の色を持って、世界の彩りに色を投じている。そしてその世界は、見る側となる個それぞれによってもまた、異なって見える。良く晴れた日の太陽に照らし出された木を見上げる者は、陽光に照らされ活き活きと揺らぐ新緑に目を細める。同じ瞬間に木を挟んで反対側から見上げた者は、日差しの強さから守られるかのように芽吹いた若芽を愛おしく思う。

 木陰から見た若芽に自身の子を重ねて見る者も居て、これから生まれ来る子が無事に生まれ来ることを願う者もある。中には、まだ実感も持てない将来の子供や家族に想い馳せる者も居たかもしれない。

 立ち位置によって見え方が異なるというのは、どんな世界であっても同じだ。プログラムの中に存在する世界に住む僕たちは、これを〝感情〟と呼ぶ。プログラムの外に存在する者からは、それを〝プログラム〟と呼ぶ。両者が異なるモノと認識するソレは、しかしその実、同じモノだ。

 存在するのか、しないのか。僕は生きてここに存在する。少し前までは、日本の、三重県の、伊勢という地に存在し、生きていた。ノアから見たら、僕を生きた存在だと言うだろうか?望む答えを得られようと、そうでなかろうと、実際のところはどちらでもいい。

 疑ってしまえば、ノアの住む世界がプログラムではないと誰が断言できる?彼の存在する世界の様子は、僕の存在した世界の様子と何か違いがあったのか?ノアの世界を証明する術は無い。けれども、それを僕が追求することも、その必要性も無い。

 ノアの世界も、彼女が移った新しい世界も、彩鮮やかであればそれでいい。

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