第9話 光
「こっちとそっち、それぞれの世界は理解したよ。それで、今のこの状況は?」
「この島の目的は、貴方の隔離です。ここからは、貴方よりも先の時間での話となります。まずはこの映像を見てもらうことが最善かと」
ノアの言葉が途切れたかと思うと、何もない空間に1つの光が灯ったかと思うと、そこを起点に上下に光の筋が伸びた。ある程度の長さで止まると、1本の光の線を起点に、今度は左右に広がっていく。そこには50インチほどの空間が現れた。
僕が良く知っている場所の風景が映し出される。伊勢神宮だ。時間は昼ぐらいだろうか?往来する人の数が多い。場面が変わって、人が列を成している。参拝者だ。柏手を打つ人々の中、一人の男性がそれを躊躇っている様子が映し出された。口元が動いている。何かを呟いているようだった。
徐々に異変が現れ始める。頭部が小刻みに震え初め、それがやがて全身に移っていく。その震えは最初、人間の挙動として見ることがある程度だった。単純に、寒さに耐えているようにも見えるが、服装から、季節は春ごろだと想像できる。日によっては寒さを感じることもあるだろうが、全身が震えるほどの寒さには見えない。陽光は人々を照らし、画面越しにでも暖かさを感じ取れるほどだ。周囲の人々がその震えている人物に注目し始める。
震えは次第に別のモノへと変異していく。それは人間の挙動ではなかった。人の身体に部分的にノイズのようなものが現れ始める。頭部を見れば、鼻と口の間あたりで切断され、それが左右にズレている。元に戻ろうとしているのだろうか?鼻よりも上の部分が激しく左右に動いている。そうした挙動が全身の至る所で起こっていた。
やがて、その人物の身体はおおよそ人間とは言い難い状態へと変貌した。それは、ピクセル画のようだと表現すれば最も適切かもしれない。全身の震えは、すでに〝振動〟と表現した方が適切な状態にまで進行している。その人物を中心に、一定距離を置いた人の輪が出来上がっている。
次の瞬間、その人物であったモノを構成していたピクセルの1粒1粒が、糸の切れた数珠が飛散するかのように崩れ、地面と衝突する直前にその存在自体が消滅した。中心を失った輪は、人々の悲鳴とともにその形を歪に変化させた。
「やっぱりだ!」
「この世がウソだって言うのかよっ!」
「オレは違う!オレは人間だっ!」
悲鳴に負けずとも劣らないボリュームで叫ぶ声もある。確認できたわけではなかったが、おそらく言葉を発した人物たちが、最初の1人と同じような挙動を起こし始めた。その様子は瞬く間に伝染する凶悪なウィルスのようだ。映画で見たことのあるゾンビ映画のソレに酷似している。
「僕はこんなニュースは聞いたことがない。これが僕の居た世界の行く末だっていうのか」
「そうです。そして、この原因となる人物こそが、貴方です」
今見た映像、人間が崩壊していく様子は理解できる。そもそも僕たちは自分を人間だと規定しているが、実際にはAIだ。本来はノアのように、自分がAIであることを理解し、その上で与えられた使命に沿って自立思考する。だが、僕たちは逆だ。自分がAIだと知らず、人間だと信じている。
人間とAI。この2つの存在の間を思考がループしたのだろう。認められないことと現実の狭間で揺れ動いたが、結局どちらも選択することができなかった。それはロウで作られた輪だ。その内側を思考が加速しながら回転し続け、やがて回転による摩擦でロウが崩れ去る。そんなイメージが頭の中で構成されていた。イメージが出来るということは、理解できている証拠だ。
連鎖したことについても、説明は容易い。最初の1人の様を見た人々は現実、事実を突きつけられたのだ。それがキッカケとなり、周囲の人々も思考のループに陥る。ただし、これには前提が1つある。周囲の人々の心のどこかに、〝疑い〟が無ければならない。
「そういうことか・・・」
僕には心当たりがある。ノアが見せてくれた映像は、僕に流れていた時間の先にある時間だ。それはここの時間は含まれない(ここは時間が停止した世界だ)。
僕は小説家だった。そして次に世に送り出す作品が完成していた。その作品を完成させたからこそ、僕は彼女との船旅に出た。僕の時間は船から落ちたときに停まったままだが、その時間にその作品の内容を知っていた人物は2人だけだ。
「この世の不思議を不思議のままにしておくのはもったいない。そうは思わないかい?」
僕の次の作品は主人公である青年の言葉から始まる。ただ好奇心の強い青年が世界の不思議に挑むうち、自分の住む世界がゲームの世界だということを知ってしまう。
そのゲームは、シミュレーションゲームだった。プレイヤーは神となり、天変地異を用いて世界に介入し、そこに住む人々の幸福度を上げていく。時には争いに介入し、どちらを勝たせるかでその先の世界が変わってくるといった具合だ。
その事実に気付いた主人公は、神であるプレイヤーに抗うことを決意する。簡単なAIであったはずの主人公は、AIとして成長し、それはネットワークでつながれた外にまで影響を及ぼすに至る。
主人公はその力を用い、神であるプレイヤーを打倒することに成功するが、プレイヤーの居なくなったその世界は秩序を乱し始める。その世界を目の当たりにした主人公は、自分の行いを後悔し、姿を消す。主人公が消えた世界は、不思議と秩序を取り戻し、本来の姿であるゲームへと立ち返る。
「うん、とっても面白いわ。でも・・・なんだか怖いってかんじるなぁ」
「怖い?」
「そう。世界の不思議の原因がプログラムのバグだったってところ・・・考え方次第では私たちが知ってる世界の不思議にも当てはまるもの」
「ああ、そのことね。正直言って、これは僕が立てた仮説をベースにしたストーリーだからね・・・まぁ、仮説を立証しようとは思わないけど」
新作を読んだ彼女との最初のやりとりだった。僕が知っている時間軸で言えば、この作品が世の中に出ることは無い。その前に世界は消滅してしまうからだが、消滅せず、先の時間に進んだことが何度かあったとノアは言う。
そのうちの1つが先ほどの映像なのだろう。本来なら喜ぶべきことだったはずだが、僕の新作は世の中に受け入れられたらしい。それもかなり大規模で。もしかしたら、映像化ぐらいはされた(アクションシーンはほぼ無いので、ミステリーに分類かな?)かもしれないが、この作品を知った人の中で、何人かは彼女のようにこの世界を疑ったのかもしれない。
自分を追い詰めるほどに、世界に対して疑いの眼差しを向けることは、カンタンではない。〝世の中に対して否定的〟なんてことはよく耳にする。そんな人でも実際はといえば、少なからずの楽しみを世の中に見出しているものだ。AIであることを知らなかったとはいえ、精神的な自己崩壊に加え、存在そのものを崩壊させるほどの否定ができる人間を僕は知らない。
ただ、たった1人でよかった。それだけのことができる人間は1人でいい。ただし、その時を迎えるのは人前でなければならなかっただけだ。その様を目にしさえすれば、それは現実である何よりの証拠となる。そして実際にそうなった。
「〝偽善者たちのゲーム〟がトリガーだった」
「はい」
〝偽善者たちのゲーム〟は僕の新作のタイトルだ。もちろん、偽善者とはプレイヤーのことである。
〝強さを持たない優しさは偽善でしかない。一度優しくした相手は、以降優しさを求めて来る。それに応え続けられなくなったとき、相手にとってそれまでの行為は全て偽善へと変貌する。続ける覚悟と続ける強さが必要なのだ。〟
偽善者たちのゲームはこの言葉で締めくくられる。
彼女に言わせれば僕は優しいらしい。僕の知人、友人も同じ印象を僕に持っている。彼らは僕を見て「誰にでも優しい」と口を揃えて言う。確かに、目の前で困っている人が居るのなら、放っておくことはできないと感じてしまう。でも僕は優しさには覚悟が必要であることを知っている。
僕が書いた新作の主人公もそのことを知っている。彼はゲームの中の住人だ。そして住人は他にも居る。彼は優しかったからこそ、世界を救おうとした。世界に優しさを見せてしまったからこそ、彼は投げ出さずに自分の役割を受け入れた。僕にも同じだけの覚悟を持つことができるだろうか?
「ノア、君の世界を壊してしまったようですまない。だが、それが僕の隔離につながるのはナゼなんだ?」
「貴方は私が関与できるプログラムではないからです」
ノアはこの世界の全てを司る存在だ。その彼が〝関与できない〟と言うのであれば、僕は彼が生み出したプログラムに系譜を持たない存在だと言うことだ。ノア以外にこの世界に干渉できる存在が居たという事実を、僕の存在が物語っている。
僕の心はこの島で見た水平線のように穏やかだった。真実が見え、その内容を受け入れたからだ。そんな僕の表情を悟ってか、ノアは静かに語りだした。
ノアから見えるプログラムの世界はひかり輝いて見えていた。その光の中に黒い点が現れることから、僕の物語は始まる。僕自身が何かを実行するわけではなかった。ただ、僕の存在が発端となり、まるで半紙に墨汁をこぼしたかのように、彼の世界を塗りつぶしていった。ノアは時間を止めた。そして黒くなった箇所を切り取り、その空白部分と一致する新しい紙を差し込んだ。世界に矛盾が生じないよう、最初の黒い点が発生する以前にまで時間を巻き戻してから、再び時が刻まれていく。
黒い点は再び世界を塗りつぶした。ノアは何度も黒の除去を試みるが、必ずソレは浮かび上がる。切り取る範囲や巻き戻す時間を変えても、ソレは必ず浮かび上がる。黒い点だけを直接消そうと試みたとき、異常に気が付いた。その黒に直接触れることができなかった。矛盾が発生することを承知で、時間を巻き戻さずに切り取りだけを実行したケースもある。それでも、黒は別の場所で発生し、彼の世界を塗りつぶした。
その黒は1つしか発生しない。同時に2カ所で発生するケースは無かった。そこから新しい方法を試みた。それが、〝白〟の正体だった。
「あれは消去ではなく、移動だったんだな」
「はい」
「そして、僕以外に無用な犠牲者は出したく無かった。だからタイミングを待った」
「はい」
「偶然にも、僕だけが空間以外に触れていない状況が発生した。キミはそれを見逃さなかった」
「はい」
「僕だけをこの世界に残し、他は全て、新しい場所に移し替えたということか・・・それで?新しい世界は無事なのか?」
「ほとんど無傷です。時間を巻き戻さずに、貴方の存在に関わる全てに介入しました。さすがに少しの歪みを感じている人も居ます」
「この島に来てからのことだけど、解らないことがあるんだ」
「この島の在り様・・・ですね?」
ノアにとって、僕の存在は未知のモノだ。隔離に成功したものの、僕が死ぬことは避けたかったはずだが、それにしては危険な箇所が多い島だった。僕にその度胸があるかどうかは別の問題だとして、〝自殺〟することが可能な島だった。
「この島は私がデザインしたモノではありません。この島そのものは、おそらく貴方と同じ存在だと言えるでしょう」
「もう1つ。僕は空腹にならなかった。ナゼかな?」
「貴方そのものは変更できませんでしたので、世界の理を変更しました。大気中に人体が生存するに足る栄養素が含まれています」
「すでに僕の知っていた世界ではない。と言うことか・・・」
二人はそこで黙り込んでしまった。周囲の光は淡くゆっくりと光を放っている。光そのものが宙に浮いているように見える。水槽の中でライトの光を半透明な体に取り込みながら漂っているクラゲのようだが、実際には生物感がまるでない(クラゲもある方ではないが)ためか、ファンタジー感が強い。
僕は、ノアがこの先を話すことを躊躇っているように感じていた。この先の内容は、僕にとって〝イイ話〟ではないのだろう。なんとなくだが、その内容が想像できる。
「皆それぞれに役割がある。だが、自身の役割をはっきりと認識できる者はほとんど存在しない。もしも自分の役割を知った上で人生を生きるのだとしたら、それはとても悲しいことだ」
「ん?どうした、急に」
「時間としては遥か昔、Arkで最後に残った人間が私に言った言葉です。私はその言葉に、今、大きな影響を受けています。そして、おそらく貴方は・・・
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