1人目のセカイ〜歯車は砂を落とす〜

一人目

 ざぱん!と、水面が爆ぜる大きな音が鳴った。


「うわぁっ!?何ごとだ!?」


 西洋甲冑をまとった騎士の一群が驚き立ち止まる。

 動物の鳴き声や風の音がする程度の、特に何の変哲も無いこの平原上には小さな街道があり、その途中にはやや大きな川がある。その川をまたぐ橋を通り抜ける時の出来事だった。


「な、何だ!?どうしたのだ!?」


 隊列の中央に乗馬した女性騎士が、馬の前足を浮かせ急停止させた。兜を上げると、甲冑姿に違和感を感じさせる、まだ幼さが残る少女だった。


「…ぷはっ……!!いってえ!!」


 体をしこたま打ち付け、悶絶しているのは、馬に引きずり回されたかのようなボロボロの服を着た、歳は十四、五くらい、髪はポニーテールにまとめた金髪の少年。

 つまり、この俺だ。


「はぁっ…はぁっ…!げほ…!」


 川は膝程度の深さで、溺れる程では無かった。俺は立ち上がり、首を振って髪についた水を払う。


「なんだ…!?何が起きたんだ…?げほっ!何処だここ……!?」


 むせながら辺りを見回す。すると、橋の上で弓を構えた兵士が数人、こちらを険しい顔で睨んでいるのが見えた。


「……何かのファンタジー映画の撮影…って感じでは…なさそうだなぁ。カッコいいのが並んでる…げほ!」


 とても映画の撮影や趣味の集まりなどといった空気ではない。ピリついていて、いつ矢を放たれてもおかしくない様子だ。

 夢でも見ているのだろうか?なぜ俺は突然こんな所にいるんだ?……いや…そもそも俺は……


 兵士の一人が叫んだ。


「き、貴様、何者だ!どこから現れた!」

「…あれは、たぶん俺のことだよな…あー、それは…えーっと……?…あれ!?何も出てこないぞ……!?」

 

 俺は頭を叩く。何も思い出せない。ここまでの経緯だけでなく、自分の名前すらもだ。明らかに異常な状況だ。


 まいったな……何がどうなってるんだ?


 恰幅が良く、整った髭をたくわえ、他の兵士とは明らかに風格の異なる騎士が兵士に尋ねた。年期と知性の高さが伺える男だ。


「…周囲の警戒はどうだったのだ?」

「は!視認できる範囲全て厳重に監視しており、近づくものはいない…はずだったのですが…」


 男が見上げると、川の上には木の一本もなく、隠れるようなものもない。もう少しで日が暮れる気配を感じられる空が見えるのみだ。


「…この上には何もない。何もないのに"落下"してきた、ということか?」

「いや、ありえないでしょう!仮に上空から落ちてきたとしても、この川の深さでは無事なわけがありませんよ!」

「そうだな…」


 異常な状況ながらも、男は冷静に俺を見つめた。


「…ねえ!あのさっ!」


 自身に懐疑的な視線がいくつも向けられてはいるが、黙っていては始まらない。気にせず俺はその男に大声で問いかけた。


「ダメだ!何も思い出せない!俺、なんでここにいるんだろう!?」


「知るか!」とその兵士がツッコむ。恐らくその場にいる人間全員が内心同じツッコミを入れていたでろうところで、あの少女の騎士が、馬から降りて彼を覗き込もうとした。


「リエンディ様!危険です!お下がり下さい!」


 リエンディと呼ばれたその少女を、兵士の一人が静止しようとする。


「大丈夫だ!相手はただの子供だろう。」

「しかし…!」

「仮に何かあってもお前がおる。リプロザス!」


 髭の男はリプロザスという名前のようだ。リエンディはその男の隣に立ち、びしょ濡れの俺を観察していた。ちょっと寒くなってきた……川から出たいが、まだ矢を向けられているので動くに動けない。


「リエンディ様…」


 リプロザスは、やや困った様子でリエンディを見つめ、ため息をついた。


「一体何者なのだ?奴は。」

「分かりませぬが、まず普通の少年ではなさそうですな…」

「リプロザス様、奴は怪しすぎます。射ちますか?」


 弓を構えた兵士の一人が言った。


「いや、待て。」


リプロザスは俺に尋ねた。


「少年よ、貴様はどこから現れた?」

「う〜ん…だから俺が聞きたいんだよなあ……」

「名は何という。」


 あ〜も〜!面倒だ!俺は見上げて叫んだ。


「自分の名前すら分かんねえ!誰か知ってる奴いるかな!?」


 「知るか!」と先程の兵士にまたもツッコミを受けた。まあ、そうだよな……


「アハハハ!なんだあやつは!面白いやつだな!」

「…信用出来るかどうかはまだ分かりませんが、彼は丸腰のようですし、話を聞く程度なら問題ないかと。それに……」

「もしかすると、アイツが"その可能性"かもしれない……か?」

「ええ。」


「寒い…!!ねえ!川から出ていいか!?というか出る!風邪ひく!」

「…ああ、分かった。皆、弓を下げろ。」


 リプロザスの命令で兵士達は困惑の顔を合わせる浮かべ、互いに顔を見合わせながら弓を降ろした。

 何やら俺の聞こえない声でブツブツ話しているけど…分からないものは分からないんだからしょうがないじゃないか。俺は頭をかき、そしてくしゃみをし、川から出ようと歩き始めた。当初あった緊張感は、生温い奇妙な生温さへと変貌していっていた。

 

 ゴポ……


 とりあえず川を出て、乾かす。そっから後の事を考えよう。


 ゴポ……


 ……ん?なんだか彼らの様子がおかしい。空気が凍りついているのが分かる。リエンディの笑いも消え、青ざめた顔でリプロザスのマントを握っていた。


「リプロザス…!」

「…リエンディ様。お下がりを。」

 

 リプロザスはリエンディにそう言うと、腰の剣にかけ、険しい顔でこちらに向かって叫んだ。


「少年よ!今すぐそこから逃げろ!!」

「え…!?なんだって?」


 突然の豹変に驚く。すると背後に、寒さとは違う悪寒を感じた。後ろを振り返ると、そこにはぶくぶくと川の水がヒグマほどの大きさに盛り上がり、両手らしきものが生えた《水の塊》がいた。


「逃げろ!!」


 その声を聞き終える間もなく、その"水の塊"の腕のようなものが、強烈な横殴りを俺に打ち付け、ふっ飛ばしたのだった。

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