六話 ズルいです

 薄暗い洞窟。


 血の風と硫黄の雨を防ぐそこで雪を肩でさせたヘレナが入ってきた。ヘレナが雪を洞窟の壁に寄りかからせる。


 ぜぇぜぇと息をする雪の顔を覗き込む。


「あの場を脱するためとはいえ、すまない! 今すぐ回復してやる!」

「いえ、大丈夫……かふっ」

「お前っ!」


 ボロボロの雪が血を吐き、うめく。倒れ込む。体が冷たくなっていく。


 その身に宿っていた命の灯火が消えかけてゆく。


 変わらず美しい姿のままのヘレナが、回収した[影魔]モード・ウェアハウスから回復薬が入った試験管を幾つも慌てて取り出す。


 また、自分用の守護の結界の幻想具アイテムも取り出し、それを雪に身に着けさせる。


「飲め」

「ありがとう……ございます」

「口を開くな。目も閉じてろ」


 ヘレナはその口調とは相反するが如くうやうやしく雪を寝かせる。膝に頭の乗せ、誤飲がないようにしながら雪に回復薬を飲ませていく。


 すると、冷たくなっていた身体が多少の熱を取り戻す。


 だからこそか、今度は雪の体が猛烈な熱を持ち始める。最低限の活力を手に入れたからこそ、高熱にうなされてしまう。


 胃の中のもの、回復薬までも吐き戻してしまう。肩で息をする。意識を朦朧もうろうとさせる。体が益々ますます冷たくなっていく。


「ハァ……ハァ……ハァ……」

「クソっ。回復薬が。なら、シンタロウさんから貰った」


 ヘレナは焦る心を落ち着かせながら、[影魔]モード・ウェアハウスに仕舞ってあった翡翠の宝珠と、小さな器――吸入器具を取り出す。


 ヘレナは吸入器の上部の蓋を開け、そこに翡翠の宝珠を入れる。押しつぶし、粉々にする。


 雪を自らの膝の上に座らせ、落ち着かせるように胸のあたりを優しく叩く。荒かった雪の呼吸が多少落ち着く。


 その一瞬を見計らって、手に持った吸入器を雪の口に当てる。


「ゆっくり吸え。そうだ、そうだ。次にゆっくり吐け。ああ、そうだ。キチンと吐けている」


 優しく奮い立たせるように耳元でささやく。ヘレナはそれに合わせて吸入器を持っていない方の手で、雪の冷たい片手を握りしめる。


 それからヘレナは何度もそれを繰り返す。異世界でも最高位の回復薬を固めた翡翠の宝珠を取り出して、吸入器で潰して雪に吸わせる。何度も何度も。


 残り少ない水を飲ませ、栄養剤を注射し、必死に介抱する。汗をふき取り、体を冷やさないように温める。


 たぶん、それはたった一時間ほどだったのだろう。けれど、ヘレナにとってそれは無限にも近い時間だ。一秒一秒が正念場だった。


 死なせてはいけない。ミラとノアを助けてくれた大切な人。ナオキの……大切な人。死なせてはいけない。


 峠を越えた。


 雪の体は正常な熱を取り戻し、呼吸も安定してきた。


 すると、雪が目を覚ます。


「……ハァ……ハァ……ありが……とう」

「いいから。目を瞑って、寝てろ」


 ヘレナは命が消えかけていたにも関わらず、僅か一時間足らずでそれを脱して、まして意識を戻す雪に驚愕しながら、そのまぶたに触れる。片手で覆い隠し、視界を暗くすれば、自然的に寝るから。


 なのに。


「ごめん……なさい」

「ッ!」


 よろめかせながらも、雪は立ち上がろうとする。ヘレナ慌てる。


「おいっ。立つな。お前の体はそんな立てる体ではっ!」

「でも、戦わないと、駄目なんです!」

「お前……」


 悲痛な叫びではない。芯があって、強く何かを思いやるような。自身の信念に従う不屈の闘志のような。


 雪の叫びにヘレナは少し目を見開く。それから、静かに尋ねる。


「あの男とか」

「……はい。アレはマモン。彼女たちの仇の一人です」


 そういった雪の胸から、少し弱った、けれどとても悍ましい影の腕が這い出てきた。雪に宿る混沌の妄執ロイエヘクサの怨念だ。残滓だ。


「私はその想いをはらうと誓ったんです。だからこそ、戦うんです」


 強い眼差し。何を言っても聞かないだろう、頑固な眼差し。


 ヘレナは溜息を吐いた。


「……あともう少しだけ休め。今のままっても無駄死にするだけだ。回復に努めろ」

「……分かりまし……た」

「ッ」


 ヘレナの提案に静かに頷いた雪は、次の瞬間大きくよろめく。ヘレナの方へ倒れ込む。


 ヘレナは慌てて雪を受け止める。ゆっくりと抱きしめる。


 こんな雪を剥き出しの地面に寝かせても休めるわけがない。そう考えたヘレナは、雪を抱えたまま座る。自らの懐にその身を預けさせる。


「ありがとうございます」

「これくらいは当たり前だ。ミラとヘレナの恩人で、ナオキの大切な人だ」


 そう言って、ヘレナは息をひそめるように雪をより一層強く抱きしめる。もし、何かあれば雪を必ず守れるようにする。


 洞窟の外では血の風が吹き荒れている。だからこそ、静かに漂う死の灰が洞窟をより一層静寂にさせる。


「ふぅ」


 ヘレナから感じる温かさに安堵した雪はうごめ混沌の妄執ロイエヘクサの怨念を抑えながらも、ゆっくりとその胸中を整理していく。


 体にはまだ力が入らない。体力も魔力もまだまだ回復していない。


 けれど、思考だけは妙に冴えわたっていて。


 あれだ。病気になって熱になって、回復したあとと同じだ。精神は活力に満ちているのに、体がいうことを聞かないような感じだ。


 雪はそんな自分に少し呆れながら、後ろに感じる女性ライバルに口を開く。ヘレナのボロボロの服の襟元から影のネックレスがチラリと見えたが、無視する。


「ヘレナさん」

「……どうした」


 ヘレナは静かに問い返していく。心の整理をしながら。諦めと安心を交換しながら。これでよかったというために。


 だから、なのに。


「酷いこと言います。ごめんなさい」

「ッ」


 雪は大きく息を吸った。


 整理もできていない醜い想いを吐き出す。脈絡みゃくらくもないし、ヘレナを酷く傷つける言葉だけど、たぶん、今がその時だから。


「ズルいです」


 それは集約された一つの言葉。


「直樹さんにあんなに愛されててズルいです。ミラちゃんやノアくんにも愛されててズルいです。家族じゃないですか。綺麗で美しくてズルいです。優しくてズルいです。私が敵うところ一つもないのがズルいです。色々な直樹さんを知っているのもズルいですし、先に出会ってるのもズルいです。お似合いなのがズルいです。本当にヘレナさんはズルいです」


 突如雪から吐き出されたその言葉は強い嫉妬。真っすぐな醜い想いが込められていた。


 それを宿した黒の瞳が、振り返る。ヘレナの虹色の瞳を射貫く。表情は酷くぐったりとしているのに、その瞳だけは強い光を放っていた。


「好きな人から逃げるなんてズルいです。卑怯です」

「ッ! 私は逃げてなど――」


 雪は真摯にその醜い想いをぶつけていく。


「直樹さんはずっとヘレナさんを想ってました。ミラちゃんもノアくんも。いつもその視線は遠くにあって、私のことは見ていなくて。どんな時でもヘレナさんたちを第一に動いていて」


 雪は強く叫ぶ。


「なんで私の好きな人に好かれている貴方が、そんなに態度なんですか! 私の好きな人の想いを真摯に向き合わないんですか! ズルいです! 私なんか眼中にもないのに! 私はこんなに想ってるのに!」


 それは自分本意という自分の叫び。醜い感情を醜いままヘレナにぶつける。


 だから、


「ごめんなさいって思いましたよね。私は身を引くからって」

「ッ」

「私は醜いんですよ。出会い頭があんな感じだったから勘違いしたかもしれないですけど、酷い人なんですよ。今だって、優しいヘレナさんの心を追い詰めてるんですよ。諦めろ。諦めてくれって。そのズルさに付けこんで、身を引けって言ってるんですよ」


 雪は自嘲するような表情になる。


「そんな私に大好きで愛している直樹さんを任せますか? 安心しますか?」

「ッ!」


 ヘレナは息を飲む。それから何度か逡巡し、何度も息を吐き出しては飲み込む。


 そしてヘレナは彷徨さまよわせていた虹色の瞳を正し、儚く笑んだ。


「ッ」


 ヘレナは息を飲む雪に有無を言わさず、その頭を優しく撫でた。肩で息をしているその体を前へ向かせる。


 最初のように自らの体に雪の背中を預けさせる。柔らかく抱きしめる。安心して良い。安心していいんだよ、と。


 ――アナタは決して自分しか見ていないわけじゃない。いつも誰かを想っていて、優しさを傾けている。憎むべき私にさえも。


 ――私は人を見る目だけはあるんだ。


 そう心の中で呟きながら、ヘレナは柔らかく語りかける。


「なぁ、ユキさん」

「ユキでいいです」

「ユキ。アナタは、お前はどうやって直樹と出会った? 今までの事を教えて」


 静かな言葉。


 雪は僅かな逡巡後、ゆっくりと口を開いた。


 小学生のころ、いじめをして人を傷つけたこと。魔法少女になったこと。直樹と出会ったこと。混沌の妄執ロイエヘクサの影を宿したこと。祓うと誓ったこと。それからティーガンと出会ったこと。


 先日、ティーガンに似たような事を話したのもあり、たぶん一番簡潔で丁寧に話せたのではないかと思う。


 そして、雪が話し終える。


 すると、ヘレナが優しく雪の頭を撫でた。


「やっぱり、お前は醜くない。優しい少女だ。幾星霜も生きていた私が保証する。良い奴だ」


 その言葉に雪は少しだけ救われ、けれど、ならばと問い返す。


「ヘレナさん」

「ヘレナでいい」

「……ヘレナ。貴方の事も教えてください。直樹さんと出会ったことの事も。その力の事も。知りたいんです」


 ヘレナは僅かに逡巡した後、遠い目をする。ゆっくりと口を開く。


「では、本当に簡単に。詳しく話せば数十年必要になるからな」

「なら、これが終わったら数十年間聞かせてください」

「……機会があればな」


 そう微笑んでヘレナは語り始めた。




 Φ



 

 どれくらい前だったかは分からない。だが、分かるのは数百は存在する世界が、まだ一つしかなかったころの話だ。


 私がいた世界、星はな、普通の星だった。


 雪が使うような魔法もない。魔力もない。普通の物理法則だけが支配している世界だった。


 ちょうど私が生まれた時は、核という、この物体を構成する――ああ、そういえばナオキの星もそれほど発展しているのだったな。分かるか。


 核エネルギーを使って生活を成り立たせている時代だった。


 貧乏な国や人は確かにいたが、それでも貧乏で困るような世の中ではなかった。皆、食事には困らないし、誰でも勉学に励める。


 平和という平和が世界に満ち、唯一の軍事的施設が皮肉として平和の象徴になるくらいには争いがなかった。そもそも国家争いという概念もあやふやだったしな。


 だが、ちょうど私が十七歳になった時か。


 とある核実験によって一つの植物が生み出された。その植物は星全体に根を巡らせ、核エネルギーを供給する植物だ。核エネルギーは輸送するのにだけはコストが掛かってな。そのせいで、人類の多くが一か所に集まって暮らしていたんだ。


 だが、その植物によって世界中に人が住めるようになった。


 そういう植物をその軍事施設に植えられ、私が十八歳になるころには高さ六百メートルほどの大樹となった。凄いだろ。一年で六百メートルだ。


 その頃には世界樹という名前がつけられた。


 また同時期に世界樹は一つの実を付けた。大きな実だ。直樹たちの世界で言わせればリンゴという果物に近い感じの形をしている。


 世界樹を創り上げた科学者たちもその実については想定外だったんだが、調べてみればなんてこともないただの果物だと分かった。


 ただ珍しいので、永久的保存処理をして、とある博物館で世界中の人に公開していたんだ。


 そして私が十九歳になった時だ。ちょうどその日、私は誕生日の祝いも兼ねて、世界樹の実の観光をしにきていた。


 そしたらな、世界の孔が開いて、私と世界樹の実を飲み込んだんだ。


 ええっと、ここでいう世界の孔は、いわば異なる世界を繋ぐ自然的転移門みたいなもので……


 なるほど、お前もそれを使ってここにきたのか。


 …………。


 そうだ。その時、初めて他の異なる世界が誕生したんだ。


 そして私は史上初の神になったんだ。







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