第十二章:開戦の狼煙
【メネルドール視点】
朝日も登り切らない暁時に、八咫烏の断末魔のような号令で飛び起きた。ベッドにはサキとメイベルの二人ではなく、二人の嫁がスヤスヤと眠っている。あんなに迷惑な八咫烏の叫び声が、魔境中に響き渡っているのに、なんで眠っていられるの…。
昨日の夜遅くに、二人から水晶で連絡があったのだ。あまり寂しい想いをさせると、遠隔で禿げる呪詛を送りつけるとイシルに言われたので、俺は光を超える速度で魔境に帰還していた。寝不足と疲労で身体が気だるい。エアルはまだ俺の足に引っ付いて眠っている。イシルも俺の腕に絡みついているので、ベッドから起き上がれない。起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出そうとすると、急に腕の圧迫感が強まるのを感じた。
「ダメ。逃がさないわよ。」
イシルは目を閉じたまま俺の腕を引き寄せた。寝言だろうかと思っていたら、エアルも足元からぞもぞと這い上がってきた。
「7回戦目…?…だね。」
エアルは俺の胸のあたりまで到達すると、にっこりと笑ってみせた。死を覚悟したのが戦場ではなく、ベッドの上だとは。エステル…ごめん。しばらく戻れそうにありません…。
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【エステル視点】
明け方になって僕は宿の部屋で簡単な朝食の準備をした。この森の集落の食事処は、朝の開店時間が少し遅い。昨日のうちにメネルに食料を分けてもらって正解だった。昨日は起きるのが早かった分、結構長い間空腹感を味わったからだ。
サキとメス豚の分も朝食の下拵えを進めつつ、ウェンディルから分けてもらったお茶を淹れる。茶葉と一緒に、以前最果ての丘から摘んできて時間停止保存していた花を一緒に入れると、部屋中いっぱいに花束のような香りがふわりと広がった。
「いい匂い…。」
少しだけ肩の緊張がほぐれた気がした。王都が近くにつれて無意識に張り詰めていたようだ。無理もない、僕たちの選択が王都に住まう民衆の運命を決定づけることになるかもしれないのだから。救おうとしている人々を、僕たちが騒動を起こすことで危険に晒している可能性があると思うと、とても居た堪れない。
僕は淹れたばかりの熱いお茶を少し啜り、無理やり気持ちを落ち着かせようとした。熱過ぎて味がわからない。そうだ、焦ってもいいことはない。朝食のサンドイッチと淹れたてのお茶を持って、サキとメス豚の部屋に持っていくと、二人は珍しく起きていた。
僕から朝食を受け取ると、サキは口数少なく今日は買い物に行くからとだけ僕に伝えてきた。僕もこの後リエルの様子を見に行く予定だったので、大勢で押しかけることになるよりは都合が良かった。
メネルはまだ戻らないのかと聞くと、サキはあからさまに苦々しい表情をしてみせた。二人の嫁にメネルを取られたとでも言いたげだが、形式的に言うなれば普段メネルを占有しているのはサキなのに。
女性の独占欲とはこうも強いものなのだろうか。いや考えてみれば僕の胸のあたりにも、束縛の具現たる小さな輪っかがぶら下がっているではないか。僕はたった一人の女性を相手取れば済むけれど、たくさんの女性から言い寄られるメネルは本当に大変だろうな。
朝食を食べ終わった後は、部屋で買い出しに必要なものをリストアップしてみることにした。シビレトカゲの尻尾と、ネムリ草、魔力宝珠に…意外とたくさんあるな。僕はお茶を淹れなおして紙に書き出してみた。結構な量になってしまったけれど、なんとか今日中に揃えられそうだ。リエルのお見舞いに行った後に、僕もサキ達と合流することにしよう。
一呼吸終えてお茶を飲み終えて、僕はリエルの家に向かった。今日の森は少し暑い。時折、木々の間をすり抜ける風が心地よい。二人を訪ねて家の扉を叩くと、ウェンディルが飛びついてきた。
「エステルっ!ありがとうっ!リエルすごく元気になったよ。」
ウェンディルは顔をクシャクシャにして笑っている。
「よかった、本当によかった。」
「さあ入って、お茶を淹れるわ。」
ウェンディルは僕の手を引いて家の中へ招く。
「エステルっ!!」
リエルが勢いよく駆け寄ってきた。
「やあリエル、調子はどうだい?」
「とっても元気よっ!逆立ちだってできちゃう!ありがとうエステルっ!」
リエルはパタパタと小刻みに足踏みをし始めた。今まで外に出られなかった分、遊びに出るのが待ちきれない様子だ。
「よかったねリエル。でも今日は念のため、安静にしていないといけないよ。」
「えぇ〜こんなに元気なのに〜。」
「リエル、ご飯は食べられるかい?」
「うん!お腹ぺこぺこっ!」
「それじゃあウェンディルも一緒にご飯食べに行こうか。」
「やった!」
リエルははしゃぎながら家中を駆け回っている。
「リエル、ちょっとお腹を見せてくれるかい?」
「うん、いいよっ!」
リエルは服を全部脱ぎ始めた。
「全部脱がなくてもいいんだけど…まあいいか。」
レベルメーターで見ても異常なし、むしろ前よりも全体的にエネルギーの総量が増えているようだ。
「うん、問題なし!大丈夫そうだね!」
「二人とも、お茶ができたわよ。」
「わ〜い!」
「ウェンディル、リエルはもう大丈夫そうだけど、一応これを渡しておくね。」
僕は昨日のうちに調合しておいた回復薬をウェンディルに手渡した。
「何から何までありがとうエステル。何てお礼をしたらいいか…」
「いいんだよ。友人が困っていたら助けるのが当たり前だろう?」
「友人…そうね…でも何かしてあげられることがあると思うの。」
ウェンディルは僕の手を優しく握る。
「そうだね、それじゃあ一緒に食事にでも行こうか。ここの名物のリーフキッシュを是非ともいただきたい。」
ウェンディルは少し残念そうな顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「そうね、ご馳走させていただくわ。」
僕たちは食事を済ませ、出発の前にもう一度会う約束をした。リエルは絶対に宿まで会いに行くと念を押して帰っていった。
「さてと、どこ行ったのかな?」
僕は買い物に出ているはずのサキとメス豚を探すことにした。出店が集まる広場まで行ってみたけれど、二人の姿は見当たらない。僕は一通りリストアップしておいた必要なものを買い歩くことにした。薬草屋、魔道具屋、珍しくペットショップも並んでいる。ウォータードラゴンの雛…欲しい…。新たなペットを連れて帰りたい衝動をグッと我慢して、武器を扱う店に出向いた。
木でできた掘建て小屋の中に入ると、田舎の集落にしては希少な武器や防具が、奥の棚に並んでいる。雑多にタルに入れられた剣の束の中には、本で見たことがある業物が混じっている。
「こんにちわ〜。」
誰もいない出店に声をかけると、お店のカウンターの裏から寝息が聞こえてきた。カウンターの裏を覗いてみると、小さな女の子が布に包まって昼寝をしている。人間…いや、ホビットのようだ。ホビットは僕も本でしか見たことがない。身体がとても小さいのにレベルメーターで見ると、発しているオーラは洗練されていて、子供のような溌剌とした感じではない。
「もしも〜し。」
僕が顔を覗き込んで肩を揺さぶると、ホビットの女の子は飛び起きた。
「うわっ!シチューのシッポ!…え?」
「おはようございます。お休み中のところ申し訳ないんだけど、武器を見繕って欲しいんだ。」
「ひゃっ…あ、はい!あの…今のは見なかったことに…」
女の子は涎を拭いながら布をカウンターの下に隠した。
「最近ここにきたのかな?初めましてだね。」
「はい、1ヶ月ほど前にここでお店を開けることになったので。でもここはあまりお客さんが来なくて…あ、私メルロンと申します。ホビットです。」
「そうだったんだ。僕はエステル、ホビットと会うのは初めてだ。よろしくメルロン。」
メルロンは少し照れ臭そうに、歯に噛んで見せた。
「そうだ、どんな武器をお探しなのかなっ!?うちではなかなかお目にかかれない名刀や武具が目白押しだよっ!」
「そうだなぁ…」
僕は淡い期待を込めて聞いてみることにした。
「相手にダメージを与えずに、無力化できるような武器はないかな?」
何を言っているんだと突っぱねられるかと思ったが、メルロンの反応は意外なものだった。
「ふふん、いいことを聞いてくれたね!他じゃあ置いていない、貴重な武器が揃っているのがうちの売りだよ!そんな無茶な要望にだって答えちゃうのがこの…ええっと…」
メルロンは山積みにされた武器の山をゴソゴソ漁り始めた。
「これ!このメタモルソードならどんな攻撃も変幻自在!百聞は一見にしかずってね、一回振ってみてよ!」
メルロンは剣を渡してきた。鞘が白くきらきらしていて、まるで天の川みたいだ。剣を抜こうとすると驚いたことに、刀身がない!なるほど大体理解した。
「この剣は込めた魔力を具現化する魔法の剣なのさ!炎の剣、氷の剣、ありとあらゆる魔法攻撃を可能とする武器なのです!」
メルロンはやたらと誇らしげだ。だがこれはありがたい。僕が睡眠魔法を剣に込めると、柄の先から半透明の刀身が現れた。さらに魔力を込めると七色の光を纏った。
「これはすごいね!」
僕は色々な魔法を試してみたくなった。今度は麻痺の魔法を込めると、黄色くクラックの入った刀身に変化した。ふと思いついて龍人族の炎を纏わせてみると、斑模様の入った中縹色の炎刀に変化した。
「うわあ、すごいね!そんな刀身見たことない!」
メルロンも驚いている様子だ。
「魔力を込めるとその能力を纏う、つまりは念じたことを具現化するのに近いということだね?」
「驚いた。私も長いことそれに触れてようやく分かったんだけど、その通りだよ。その剣は盾になるように念じると、攻撃を防ぐ形に変化する。鞭のような形状にもできるし、ハンマーのような形にも変化する。」
メルロンは再び驚愕した後、少し悔しそうに答えた。
「なるほど、ダメージを与えないように念じればそうなるというわけか。」
「しかし一体なんだってそんな剣を求めるんだい?君ならメタルロックドラゴンだって一撃で仕留められそうな剣を作れそうじゃないか。」
「僕は人を傷つけるのが好きじゃないんだよ。できれば戦闘は避けたいし、どうしてもという状況に陥ったとしても、それでも怪我をさせたくないからだよ。」
「ふ〜ん、変わってるね。」
「これを貰いたいんだけど、他に近接戦闘で役に立つ武具があれば紹介してもらいたいな。」
「ふむふむ、それならこんなのはどうかしら?」メルロンは店の奥にしまってあった木箱から、小さな古びたペーパーナイフを取り出した。
「これは?」
「ここじゃあ狭いから、ちょっと外で見せましょうか。」
メルロンは店の外へと手招きした。メルロンに続いて外に出ると、太陽の光が眩しく感じる。思いの外店内は薄暗かったようだ。
「見ててね!」
メルロンはペーパーナイフを上に投げた。すると次の瞬間、メルロンは投げたナイフの位置に瞬間移動した。今度は眩い光を放ったかと思うと、メルロンは僕の背中に触れていた。
「どう?使い勝手はとてもいいと思うんだけど。」
これも相手にするとかなり厄介だけれど、自分が使う分にはとても役に立ちそうだ。
「いいね、使い方を教えてくれるかい?」
「うん、このペーパーナイフの刺さったところか、空中でも鞘をタップするとその位置に瞬間移動することができるの。さっきの光は、この鞘の横についている魔法陣をスラッシュすると放てるよ!」
メルロンは僕にペーパーナイフを渡すと、できるものならやってみろと言わんばかりの、ドヤ顔をして見せた。僕はすぐ近くにナイフを投げて鞘をタップしてみた。ジェットコースターのような浮遊感とともに、一瞬で移動した。視点が急に変わるので、あらかじめイメージしておかないと、自分でも一瞬戸惑う。次に横の魔法陣に触れてみた。強い光で自分でも目が眩んでしまう。よし、今度はタイミングを合わせて…投げて、放って、投げて、後ろをとる。
「うわっ!」
僕がメルロンの後ろをとって背中を触ると、メルロンは下唇を噛みながら、僕を無言で押した。
「ごめん、驚かせてしまったようだね。」
「そういうことじゃないぃ〜!どうしてそんなに早くできるのっ!私すっごい練習したのにぃ〜!」
メルロンはポコポコ叩いてくる。
「そうだよね、これ結構タイミング難しいよね。」
「もう…それで、他に欲しいものはあるの?」
「う〜ん、射抜いたら回復する弓矢とかあれば欲しいけど、この二つがあれば大丈夫かな。瞬間移動して回復の剣を触ればいいんだもんね。」
「あぁ〜、あいにく数日前に回復の弓矢は売れちゃったのよ〜。あれもすごくレアだったんだけどねぇ〜。この二つでいいのね?結構高いわよ?」
「是非ともいただきたいね。どのくらいするのかな?」
「二つ合わせて、え〜っと…320万ゴールドだけど…大丈夫なの?」
僕はメネルに一生かかっても使いきれないほどの財産を譲り受けている。今生では返しきれない恩を受け取ってしまったわけだが、ご好意に甘えることにしよう。
「うん、ちょっと待ってね。」
僕は亜空間からお金を取り出して枚数を数え始めたけれど、外では渡しきれないので、一度店に戻るように促して、カウンターの上にお金を並べた。
「250…300と…20万っと、これで全部だね。」
メルロンは開いた口が塞がっていない。
「私はまだ夢を見ているのかな…もし夢なら男前のエステルにキスしたいところなんだけど…」
「残念、これは現実です。あ、あとそこにあるベルトももらっていこうかな。」
「え、これは魔導書を持ち歩く学生用だけど、これでいいの?」
「うん、これならわざわざ亜空間から出さなくても、いつでも読書ができるからね。」
「わかったわ。それは3000ゴールドだけど、おまけであげるわ。」
「いいのかい?」
「ええ、十分利益が取れてるから、それはもらってちょうだい。」
「ありがとう。いただくよ。」
「ねえ、つかぬことを聞くけれど、どこへ行こうとしているの?その武器なら大抵のモンスターなら一撃で倒せるような業物だけど、そんな武器が必要なほど危険な冒険をしているの?」
「あぁ、僕たちはただ王都に行くだけだよ。」
「そう…あまり詮索はしないけれど、道中気をつけてね。」
「ありがとう、メルロン。」
僕は購入したばかりのベルトに、魔道書を装着して腰に身につけた。ペーパーナイフは左足の太ももに、剣は左の腰に装備した。今まで何も装備していなかった分、少し嵩張る。だけどどれも軽いので、すぐに慣れるだろう。
メルロンにお別れを告げて、足りないものを買い足しに、別の店を散策し始めた。それにしてもサキたちはどこにいるのだろう。割と歩いて疲れたので、僕は広場の噴水の前で小休止をとることにした。
休憩のお供は、さっき手に入れたセーノジュースだ。森でとれた新鮮なセーノの実から絞り出したフレッシュジュースは、疲れた身体にスゥっと染み渡る。口に含み、食道を流れてお腹に到達すると、次第に全身の細胞がほぐれていく。釣られて表情も柔らかくなるのを感じる。
ベルトに繋いだ魔導書を開き、研究結果をメモする。森の先からやってきた風が、肌をなでて心地いい。森の住んだ空気を吸って…よし、僕は再び買い物巡りに繰り出した。
結局、今日は一日みんなと合流することができないまま、宿へと戻った。メネルがとっている部屋を訪ねても、部屋には誰も戻っていないようだ。僕は自室で研究結果を、魔導書に書き記してみんなを待つことにした。流石に夕食の時間には戻ってくるだろう、と思ったが外を見た頃にはすでにとっぷりと日が暮れていた。
みんなここの食事に飽きてしまって、どこか外で食べてきているのだろうか。僕は亜空間から昼間に買っておいた、コモレビ餅を取り出して食べた。お日様に晒した布団のようにふわりとした食感で、新緑の爽やかな風味と程よい甘味が口いっぱいに広がる。
「みんな遅いな〜。」
今夜遅くに王都へ出発する前に、各々思うように過ごしているのかな。待ちぼうけてお茶を淹れようとすると、外から物音がしたので、こっそりとドアから覗いてみた。そこで僕が目にしたものは、カラッカラに干からびたメネルの姿だった。いつもより顔が赤いので、具合が悪いのかと思ったら、顔中がキスマークで埋め尽くされているだけだった。
「遅かったね、メネル。」
メネルはこちらを見ると、力なく自嘲気味の笑みを振り絞り、無言で部屋へと入っていった。相当疲れている様子だ。お嫁さんたちを長らく放置しておいた
ツケが回ってきたといったところか。僕も帰った時のことを考えると、恐ろしくなってきた。
「エステルぅ〜。」
振り返るとサキとメス豚が見たこともない民族衣装と、派手な帽子を被り、両手に大荷物を抱えって立っていた。
「え…どうしたのそれ…まさか全部買ってきたの?」
「う〜ん…少し買いすぎちゃった…」
もはや業者の仕入れレベルで買い込んできている。
「そんなに必要なものあった?」
見たところ、大して戦闘で役に立ちそうもない服や靴がいっぱい入っている。THE女の子の買い物といった印象だ。
「特売だったから…」
サキは考えてみればいらないかもと気がついた雰囲気を出しつつも、自身の選択の正当化を図ろうとしている。
「どこまでいってきたの?」
「…エリンガレン。」
遠いっっ!南の砂漠のそのまた先のエルフの王国じゃないか。
「なんでまたそんな遠くに…」
「だって…最期かもしれないでしょう?だから思いっきりお買い物してみたかったの…。本当はメネル様と行きたかったんだけど、魔王城に帰っちゃったから。」
天然気味のサキでも、今回の旅の終わりが生きて戻れるかわからないほど、困難なものだという自覚があるようだ。
「だからメス豚を引き連れてわざわざエルフの王国まで?」
「…うん。」
サキも最大限に譲歩した上でのわがままだったようだ。メス豚がカーニバルのような派手な格好になっているのが謎だけど、大目に見てあげることにした。
「そうか、楽しかったかい?」
「うん!今度はエステルも一緒に行こうねっ!あ、これお土産!」
サキは奇妙な人形を渡してきた。
「これお守りなんだって!かわいいでしょ!」
ムンクの叫びトロールバージョンみたいな人形だ。
「あぁ、ありがとう。もらっておくよ。」
「これね、面白いことができるんだよ!見てて!」
サキは僕の人形に自分の人形を一度くっつけて、部屋を出ていった。しばらくすると人形がモゴモゴと喋り出した。
「んえすてるぅ〜ん、きこえるぅ〜ん?」
「うわ!もしかして…サキ?」
「うぅ〜ん、んすごいでしょぉ〜ん」
喋り方にものすごい癖があるのが気になるけれど、これはすごい。無線機のようなものか。
「これはいいね、もし戦闘になったら役に立ちそうだ。」
「ぬふふぅ〜ん」
口の動きが妙にリアルで、気色が悪い。サキが誇らしげな顔で部屋に戻ってきた。
「いいでしょ!このお人形に気持ちを込めると、願いが伝わるんだって〜!」
「そうなんだ、人形に魔法をかけたら相手もかかるとかならもっといいんだけど。」
「お店の人はそんなこと言ってなかったよ?」
僕は手に持っている人形に、強化魔法をかけてみた。するとサキの身体が光りはじめた。
「おぉぉお!」
「サキ、今強化魔法をかけてみたんだけど、どんな感じ?」
「すっごく強くなった感じ!なんでもできちゃいそう!」
サキは力こぶを作ってみせた。どうやら仮説は正しかったようだ。これはかなり使える。
「サキ、素晴らしい買い物をしてきたね。」
サキは照れ臭そうにモジモジしている。
「みんなの分もあるよ!」
サキは大きな袋から、薄気味悪い笑みを浮かべる人形達をたくさん出して笑っている。夏休みに虫をたくさん捕まえた少年のようなはしゃぎ様だ。
「他には何を買ってきたの?」
僕は更なるファインプレーを期待している。
「えぇ〜と、これとこれと…あとこれも!」
う〜ん…ハイヒールなんていつ使うんだろう。それからサキが買ってきた服や雑貨を一通り見せてもらったけれど、役に立つようなものはこれといってなかった。サキは買ったものを亜空間にしまいながら、よく当たるおみくじの結果が大吉だったと見せてくる。
「旅行、いい感じ。縁談、いける。商売、いんじゃね…なんだこれ、曖昧だなぁ。」
僕たちはそれぞれ今夜の出発に向けて支度を進め始めた。リュックいっぱいにお菓子を詰めているサキを嗜めつつ、僕は回復薬のストックを数えた。
「そういえばサキ、さっきメネルが帰ってきてたけど、かなり弱ってる様子だったから今なら抵抗できないと思うよ。」
サキはサキュバスらしい不敵な笑みを浮かべて、メネルの部屋へと抜き足で向かっていった。御愁傷様メネル。僕は深夜の出発に備えて、ミニチュアバナナバード型の目覚まし魔道具をセットして、仮眠を取ることにした。
いよいよ明日には王都に到着する。瞼を閉じると、エラノール様の占いのことが脳裏にチラつく。深く考えても解決策が点で思いつかない。なるようになるとメネルのように楽観的に考えることが、今の僕にできる最善策だとは…。思考が迷宮を彷徨ったまま、僕は浅い眠りに落ちた。
ーーーーーーーーーーーー
【メネルドール視点】
「メネル、準備はできてるかい?」
深夜になってエステルが俺の部屋を訪ねてきた。
「もう…無理でしゅ…」
俺が発することのできた、唯一の言葉だった。両手で数え切れないほど、2人の嫁に襲われ続け、命からがら逃れてきたところに、サキがやってきた。俺は昨日から一睡もできていない。
「そんな弱腰になってどうするの。ほらもう行くよ。」
エステルは俺の状況を知っているはずだ。いや絶対に知っている。それを承知の上で、サキをけしかけて俺の部屋に送り出したに違いない。
「もう…無理でしゅ…」
悪態の一つでも吐き散らしてやりたいところだが、俺の身内には生命力がこれっぽっちも残されていない。
「フーリンからもらった強壮剤が残ってるでしょう、それ飲んで。ほら行くよ。」
味方の中に敵がいたとは。ポーカーフェイスのエステルが、内心笑いを堪えているのが手にとるようにわかる。非常に腹立たしい。俺はなす術なく、亜空間からフーリンにもらった強壮剤を取り出して飲んだ。
「おぉぉおおおおお!何これ!え…何これスッゲ!」
夏休み前日の子供のように、エネルギーが満ち溢れてくる。今なら魔境まで走って帰れそうだ。身支度といっても特にすることがなかったので、俺は宿の外で待つことにした。今夜は晴れていて、森の中にも月明かりが差し込んでいる。しばらくして宿から出てきたエステルは、俺たちに少し待っているように言って、どこかへいってしまった。
「リエンが出発前に会いにきってって言っていたんだけど、流石に寝てしまったみたいで、ウェンディルにリエン宛の手紙だけ渡してきたよ。」
戻ってきたエステルは、こうなることを知っていてあえて実行したような節がある。俺たちはようやく、王都への最後の旅路を歩き始めた。森を抜け平原を進み、その先に森林限界を迎える山がある。
途中で気になったのは、モンスターはおろか獣1匹すら見当たらないことだ。アラニオンを出て以降、不自然なほどモンスターを見かけない。楽なのはいいのだが、一抹の不安は拭えない。そしてこういう時の、俺の悪い予感は大抵的中する。
ひたすら歩き続け、山の山頂に着く頃には、遠くの空が明るくなり始めていた。眼下に見下ろす王都を視認した瞬間、絶句した。何千…いや、何万にも上る軍勢が、王都の城壁前に集結していた。
そうか、王都付近にモンスターがいなかったのは、事前に全て狩られていたからで、他の街や道中に聖騎士がいなかったのは、王都に集結していたからだ。何度見ても幻覚じゃない。アリの行列のように無数に配備された軍隊が、俺たちが現れるのを今や遅しと、待ち構えている。しかも、俺たちが現れる方角の配備が1番厚い。
エステルは何かを諦め、吹っ切れたかのように突然笑い始めた。そうだな、ここまで慎重に旅してきたのに、思惑が筒抜けだったとは、もはや笑うしかない。
「どうやら相手方の占い師は、相当腕が立つようだな。」
「あぁ、僕たちの努力はなんだったんだろうね。こんなことなら転移かフライで強襲したほうが合理的だったよ。」
「今更どうこう言っても仕方がない。覚悟を決めろよ。」
「言われなくても、この旅を始めたときから、僕は覚悟している。」
「眷属召喚!」
俺は魔法陣からラーヴァナを呼び出した。
「戦ですか、メネル様。」
「うむ、大仕事だ。力を貸してくれ。」
「御心のままに。」
「なるべく相手を傷つけないように無力化してね。」エステルはまた無茶な注文をしてくる。
「敵はやらなきゃやられるぞ、あの数を相手にそんな悠長なことできるか。」
「命令してるのは王だから、彼らはそれに従わされているだけ。」
「…前向きに善処する方向で検討しよう。」
まあ、手加減すれば死にはしないだろう。
朝日が俺たちを背後から照らした時、王都の陣営からは狼煙が上げられ、ドラムの音が山まで反響し始めた。
「奴らも準備万端って感じだな。」
唐突にサキが奇妙な人形とお菓子を渡してきた。何この人形キモっ!
「あ、メネルそれ無線代わりに使って。」
エステルが可愛くない人形をポケットから取り出して、俺が持ってる人形にくっつけた。なるほど便利だが、もうちょっといいデザインはなかったのか。俺はサキに渡されたお菓子をつまみながら、再び王都を見下ろした。このやたらと甘いお菓子が、最期に口にする食事かもしれないとは。
「美味しい寿司が食いたい。」
心の声が漏れていた。
「これが終わったら、みんなで作ろうか。この世界にはないみたいだし。」
エステルは刀身のない剣を鞘から抜いて、優しく語りかけた。え、何その剣。それで戦うの?もう色々ツッコミ切れないんだけど。
「スシってなあに?!ねえスシって何?」
サキは騒がしく俺とエステルの間を行き来している。メイベルは俺の左後ろで鼻息荒く悶えている。隣にいるラーヴァナは魔力を高める詠唱を始めている。早いって。
「うわぁ何あれ!超やばいじゃん!」
上から懐かしい声がしたと思うと、フーリンがエステルの隣に舞い降りた。
「フーリン!どうしたのこんなところで?!」
さすがのエステルも驚いているようだ。
「うん、やっぱり後悔したくなかったからさ、来ちゃった!」
予想外の助太刀に俺も驚いたが、フーリンがいれば俺もラーヴァナも最大魔法が撃ち放題だ。非常に助かる。
「おいエステル。」
「なんだいメネル?」
「魔王城に帰ったときにな、墓を見に行ったら、薬草がたくさん生えていたぞ。」
「それは、是が非でも無事に帰らないとだね。」
一瞬間が開いた後、エステルは強い決意の意思を込めて答えた。
朝日が王都を照らし、軍勢が気合の雄叫びを上げた頃、天使は振り返って笑顔で囁いた。
「それじゃあ、行こうか。」
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