第四章:斥候の拙攻

【メネルドール視点】


 なんたることだ、よもや我が最強の要塞に単独で乗り込んでくる不届き者が現れようとは!

 先程報告に飛んできた使い魔も、困惑して完全にパニック状態だ。


「メネル様っ!侵入者はすでに6階層を突破し、間も無く7階層に到達します!」


 この要塞を建造して10ヶ月、今までたったの一度しか侵入を許したことなどない。そもそも大陸屈指の住み辛さを誇るこの魔境は、低いレベルの者なら足を踏み入れた時点で、毒の大気にやられているはずだ!城内にも至る所にトラップが仕掛けられている。俄かに信じがたいが、今しがた下の回から物凄い爆発音と地響きが城全体を揺さぶった。


 今日の昼食はとても楽しみにしていたふわふわパンケーキだ。ふわふわパンケーキなのだぞ…!楽しみすぎて昨夜はほとんど眠れず、先ほど備蓄倉庫から他の魔物たちに取られて無くならないように、フロルデルソル印の最高級シロップを、こっそり小瓶にくすねてきたばかりだというのに!その瓶も先ほどの衝撃で床に散らばり、そのまま足元の大理石に喰らい付きたくなるほど艶かしい芳香だけが、虚しく部屋全体に広がっているではないか。


「7階層の大広間に侵入者を誘き出せ。俺が行くまで決してそこから出すなよ。」


 俺はすこぶる激昂している。城を壊されようが大抵のことなら1キル程度で許してやる。だがしかし!ふわふわパンケーキの原料たるパサランスの綿毛は、ここから40リーグも離れた秘境の奥地まで調達しに行かないと手に入らないのだ。原料価格の高騰から、城内では半年に一回の一大イベントと化したふわふわパンケーキの日に、よりによってこの日に招かれざる客がこんな朝一に来訪するとは!どこの誰だか知らないが細胞ひとつ残らぬ消し炭にしてやる。そして昼までにパンケーキの仕込みを必ず間に合わせる!


「エステルはまだ戻らないな?」


「はい、ワーウルフ達からは昼過ぎに戻ると連絡が入っています。」


「よし、奴らが戻るまでに侵入者を片付けるぞ。」


 サキの提案でわざわざ仕入れの時期を早めてまで用意した、生まれて初めてのサプライズをお釈迦にされてたまるか。俺は寝室に飾られているフル装備を持ち出し、部屋の壁に移動術式を展開し、7階層にダイブした。

 

 大広間の天井から舞い降りたときに目に入ったのは、豪勢な光属性の鎧に身を包んだ騎士が、先ほど伝令に俺の部屋まで飛んできた使い魔を手にかけている瞬間だった。細く長い剣の刀身が使い魔の胸元から引き抜かれたとき、同時に使い魔の生命も抜け出ていくのを感じた。


「おい貴様!何もの…っっ!!」


 一瞬だった。甲高い金属音とともに騎士の剣が真っ二つに折れて空中を舞うのを認識するまで、そして騎士が剣の届く間合いまで距離を詰めていることに気がつくまで、瞬きする暇もなかった。切られたのか?! 今…!?刹那の後、騎士は飛び退き距離をとった。折れた剣の柄を捨て、短剣を取り出しこちらの様子を窺っている。


 長らく戦線から離れて、安逸を貪っていたツケが回ってきたか、完全に油断していた。俺の装備は魔法耐性はピカイチだが、物理攻撃にはさほど耐性を回していない。相手の武器の脆弱性に助けられたと言わざるを得ない。


 正直、近接戦で単一個体撃破重視の剣士タイプは、ネオユニヴァースでは混戦での戦闘力や戦術が頭打ちなので、上級者界隈で使用していたのは、トップランカーの一部の変態だけだった。当然そんなマイノリティの対策に戦術構成を合わせるわけにはいかないので、ほとんど無視していたのだが、ここにきて1番厄介なのが現れたと言えよう。


 タイムアクセラレータ、ヘルファイアマイン、デススウォンプ、デッドリーウィンド…。奴のアジリティ対策と、置きの魔法陣を小声で敷いた後、牽制の一撃を騎士に放った。


「ジェノサイドライト!」


 幾多もの禍々しい闇の柱が騎士を貫かんと、天空から舞い降りるが、直撃の瞬間、騎士の周りに光の魔法陣が発現するのが見えた。おそらく胸元にある首飾りのアイテムが一定の闇属性の魔法に対して、強力な防御力を発揮しているのだろう。


「何用だ!貴様これだけのことをしておいてタダで済むと思わないことだな!」


 騎士は短剣をこちらに向けようやく口を開いた。


「王立聖騎士団第四番隊一等聖騎士。魔境に巣食う悪の成敗に推参した。覚悟っ!」


 女騎士かよっ!お堅い口振りから、前世でPTAの威を借り在らん限りの職権濫用の禁忌を犯した、生意気な生徒会長を思い出した。それにしてもタイムアクセラレータを発動しているので、目で追えてはいるものの、こいつはかなり早い。アジリティに極振りでもしていない限りこんなスピードは出ないぞ。だがどこから攻めて来ようが、俺の周りはトラップだらけだ、いくら早かろうが、全てを回避することはできまい。


「貴様のせいで朝の清々しい気分が台無しだ!」


 俺の1番得意とする戦術は、最大魔法による弾幕の時間差攻撃だ。攻撃の届く範囲内であれば、豪雨の如く次々と攻撃を浴びせることができる。奴の闇属性の耐性を鑑みて、無難に雷属性の魔法で徐々に選択肢を減らすことにした。


「神速の雷槍っ!」


 無数の雷撃が女騎士に向かって伸びる。動きを見て分かったのは、こいつは速さに頼りすぎで、動きが単調だ。フェイクも牽制も引きも入れないのならば、誘導するのは超簡単っ!雷撃をギリギリ避けられる位置に放ち、避け切った先にはデススウォンプがある!


 女騎士が着地した床が泥沼のように沈み込み、その俊敏な動きを止めた。同時に溜めておいた最大魔法を解放した時、勝利を悟った。


「はいお疲れぇええ!ディアデロスムエルトス!」


 魔法を放った瞬間にしまったと口から溢れでた。この魔法はいわゆる決め技で、派手でかっこいいからという理由で必ず最後の一撃として使っていたのが癖で出してしまった。目の前の全ての存在を、俺の前世よりも深い闇が無理やり鬼籍にぶち込む荒々しい技だ。当然、城も含めて俺の前方にあるものは全て消滅する。


「これ闇属性だけど効くのかな…。」


 衝撃と共に舞い上がった粉塵が晴れ始め、人影が見え始めた時、俺はあまりの恐怖に硬直した。未だかつてこれほどまでのおどろおどろしい殺気を垂れ流す奴と対峙したことがない。生命の危機を感じ取った本能が、目の前に敵がいるのに見つからないようにと、無意識に息を殺し始めた。足が石化したように重くなり、氷よりも冷たい汗が額を伝う間、ただただ気配を消すことに努めていた。

 

 土煙が収まり敵を目の当たりにした時、俺はさらに戦慄した。ボロボロになった鎧と折れた短剣を握りしめ、かろうじて立っている女騎士の背後に、エステルが、あの天使のように優しいエステルが、死の権化と表現しても生ぬるい形相で立っている。女騎士の腕を鷲掴みにして俺の放った魔法から逃げないようにしていたのだ。背後から露命を抉り出されているようなこの殺気は、エステルの赫怒から滲み出たものだった。


「あれ…ナニ…君…?」


 エステルの発する一音一音に溢れんばかりの殺意が込められているのが、刺すように伝わってくる。女騎士は虫の息だが、必死の抵抗を見せ折れた短剣でエステルを切りつけている。


「離せっ!くっ!離せぇ!」


 エステルに向けられた刃は、全て空を切るようにすり抜けている。エステルの憤怒がさらに大広間全体を圧殺するのと同時に、女騎士の腕の骨が砕け散る音と、苦痛に歪む絶叫が広間に響いた。


「君がやったんだよね…。どうして…。」


「ぐぅ…。」


「彼らが何かしたの…?」


「う…うるさい…魔物は…全て悪…滅ぼ…」


「だからみんな殺したの…?」


 エステルの語気が静かに強まる。


「た…太陽神の信仰に反く存在は…等しく煉獄へと召される…私は…ぐぁっ!」


 女騎士の腕を握るエステルの手に、止まることを知らず怒りが込められていく。


「彼らはとても親切な魔物達だった。決して無意味に人を傷つけるような魔物はいなかった。君はそのくだらない信仰のために、僕の友人達の命を奪ったんだ。」


「貴様、神を愚弄すると…」


「くだらない信仰のためにっ!僕の友人はもう戻らないんだっ!!」


 女騎士は痛みに耐え小刻みに震えていた。エステルの怒号が広間に反響し、ようやく俺はことの重大さに気がついた。この女騎士は7階層までの我が軍勢を、たった1人で全て殲滅してきたのだ。平和ボケして警備の配置を減らしていたとはいえ、7階層までとなると被害は甚大なものとなる。


 俺は使い魔以外の、住み着いた魔物にまで思い入れはないが、エステルにとってはその全てが大切な友人だったのだ。俺には友人がいなかった。しかし今なら友人を失う苦しさがわかる気がする。あのエステルがこれほど取り乱し、悲痛の怨念をあらわにしているのだから。


「メネル…」


 エステルが発した言葉の意味を、俺は瞬時に自分の名前が呼ばれたと認識できなかった。束の間の静寂が広間を包み、重すぎて喉を通らない固唾を、音を殺して無理やり飲み込んだ時、ようやく俺はエステルに呼ばれたことに気がついた。


「メネル…地下牢…借りるね。」


 単語の響きには聞き覚えがあるが、言葉の意味が理解できない、それほどまでに俺は混乱していた。俺は返事もできずにただ息を殺して見ていることしかできなかった。エステルは女騎士を床の泥沼から無理やり引き摺り出し、下の階層につながる階段の方までゆっくりと歩き始めた。


「貴様っその光属性の大天使装備っ、太陽神の信仰の賜物ではないのかっ!なぜ魔物などに加担するっ!」


 女騎士は腕を引かれながら悪態を投げかけ続けている。


「君は…」


 エステルは女騎士を憤懣の色に染まった鋭い眼光で貫き、続けた。


「君は悪魔が本当に悪魔のような格好をして現れると、本気で信じているのかい…。」


 背筋が凍るとはよく言ったもので、いつの間にエステルは氷結魔法を習得したのだと思うほど、広間の空気が凍りついた。2人が階段を降りてもなお、女騎士が騒ぐ音が城中に響いていたが、幾何かして何かが潰れるような鈍い音がした後に、城は静謐に呑まれた。物音ひとつしないのがこんなに恐ろしいことだとは思わなかった。


 かなりの時間が経過して我にかえるまで、俺は広間に立ち尽くし、半壊した城の壁から外の空を眺めていた。城の外を見ようと一歩踏み出した時、膝からその場に崩れ落ちた。足に力が入らない。前世も含めて、生きた空もない感覚を、生身で味わったのは初めての経験だった。


 しかし俺は、自らの命のことよりも、ある不安が的中したのではないかという事に、言いようのない焦りを感じていた。慈愛に満ちた、平和の化身たるエステルが、女だろうが寸分の躊躇いなく力でねじ伏せるような所業を為したのだ。天使が突如として悪魔へと豹変したのは、おそらく俺のせい。憶測の段階に過ぎないが、俺がエステルにかけたパラレルジャックが少なからず影響を及ぼしていると、考えざるを得ない。そう考えた方が、俺が彼を変えた罪悪感という重い十字架を背負う方が、元から彼の本質に残虐性があったと考えるよりも幾らか楽なのだ。


 俺がありとあらゆる言い訳を思索していると、外から物音が聞こえ始めた。城の壁大きく開いた風穴から下を眺めると、小さな天使が変わり果てた無惨な薬草畑で穴を掘っているのが見えた。天使の周りには十指に余る魔物達が横たわっている。ゲームの世界と唯一異なる点は、この世界には復活の魔法やアイテムが存在しないことだ。もはや回復魔法を極めたと言っても過言ではないエステルでさえも、復活魔法を扱えないところを見ると、打つ手なしといったところか。


「埋葬…手伝ってやるか…。」


 こんな時どんな言葉をかけていいのかわからない。友人を慰めたことなんてないし、俺が何かをめちゃくちゃにされた時は、そっとしておいて欲しいとさえ思う。それでも俺の背中を押したのは、俺を友達だと言ってくれた、今苦しんでいるエステルをなんとか助けてあげたいという一心だった。


 俺は装備を脱ぎ捨て、9階層にあるキッチンに歩みを進めた。今日、みんなで食べるはずだった、ふわふわパンケーキをエステルに渡すために。


ーーーーーーーーーー


【エステル視点】


 身体が重い。腑に墓石でもねじ込まれているのではないかという気分だ。今なお城内に転がる亡骸を運ぶたびに、憎悪の炎が身を焼き、自分の無力さに押し潰されそうになる。1人、また1人と開墾以前よりもさらに荒れ果てた、薬草畑に並べていく。


 僕が城に戻った時、クロノスが畑の前に倒れていた。その後ろにはカルロ、ザドン、イービルクロウ、レディデイモンと続く。きっとクロノスはみんなと畑を庇って結界を張っていたんだ。あの臆病なクロノスが…。うつ伏せに倒れていたザドンの手の中には、小さな薬草が握り締められていた。あたりを見渡しても畑はめちゃくちゃで、芽が出始めていた薬草は跡形もない。


「君たちが守ってくれたんだね…ごめんね…一緒にいてあげられなくて…」


 視界が滲み、熱い水滴が頬をつたい、枯れた大地に降り落ちた。僕がもう少し早く戻っていれば、もっと復活魔法の研究に打ち込んでいれば、後悔の念が溢れては無常に魔境の颪に流されていった。耕作のために使っていた農工具が、魔境の荒れた大地に振り下ろされるたびに、悔恨や悲憤の旋律が毒気に溢れた大気を揺らす。


 全ての亡骸を墓穴に収める頃には、あたりはすっかり夕暮れ時になっていた。空間転移の魔法で朝までいた最果ての丘に降り立つ。何かの終わりを告げるよに、黄昏の夕日が広大な丘陵を悲しげに照らしている。アズール、ノクト、イカレーヌ、カルロ…。僕は召された魔物の数だけ野に咲く花を摘み帰った。


 大きな一つの墓穴の底に、両手いっぱいの花束を捧げる。慈雨のように降り注ぐ多様な色彩を放つ花束は、仄暗い闇を舞いながら色を失う。届かぬところへ逝ってしまったという哀惜が再び身を裂き、涕涙に溺れる。


「エステル…」


 後ろの方からメネルが呼ぶ声が聞こえる。僕には振り返る余裕はない、いや、これから眠りにつくみんなの顔を記憶に刻むために、目を逸らしたくなかった。


「ごめんね…間に合わなかったよ…」


 漏れ出た言葉に僕はいっそう虚脱感に苛まれた。メネルは力なくあぁとだけ返答し、無言で埋葬を手伝ってくれた。月明かりが魔境をぼんやり照らす頃、薬草畑には小さな古墳が静かに聳えていた。まるで前からそこにあったかのように。


 みんなの眠る墓地の片隅に、ザドンが命がけで守り抜いた薬草の芽を植えた。みんなの努力は徒爾に終わったわけではない。僕が魔境の外の実情を話した時、魔物達は本気で困っている人たちを助けようと協力してくれていたのだ。彼らの努力を水疱に帰すわけにはいかない。僕は友人達の寝床に手を合わせ、無念を晴らすと固く誓った。


「手伝ってくれてありがとう。」


 僕が言葉を投げかけると、メネルは無言で白いふわふわしたものを差し出してきた。


「今日、みんなで食べるはずだったものだ。」


 その言葉に僕の心は締め付けられる。押し渡された白いふわふわを一口分ちぎって口に放り込み、残りを墓前に供えた。


「ありがとう、ふわふわしていて美味しいよ。」


 メネルは何も言わずに植えられた薬草の芽を見ていた。


「行こう、メネル。」


「王都に…行くのか?」


「うん、僕はしばらく地下にいる。メネルは出発の準備を進めてくれるかい?」


「あぁ…わかった。」


 そして僕たちは王の討伐の旅に向けて、最後の準備を始めた。

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