第三章:多重魔法濫觴の砌

【メネルドール視点】


 エステルはゲームを全くやらないと豪語していたくせに、魔法の知識に関しては一丁前に秀でている。それどころか、ネオユニヴァースの時には存在しなかった新たなギミックを、自ら開発しつつあることには驚いた。細かい話はよくわからなかったが、どうやらレベルが最大の状態になっても、魔法自体の威力向上は図れるようだ。


「メネル、とりあえずお茶でも飲みながらゆっくり話さないかい?」


「ん?あぁ、よかろう。」


 エステルの申し出は、若干不可解ではあったが、いかんせん俺の思考回路はショート寸前だったので、むしろ有難い提案であった。


「メネル、キッチンにリンゴがあったでしょう、あれをくれないか?」


 俺は特に考えなしに訓練後にと用意させていたおやつと一緒に、リンゴを空間魔法で転送して、エステルに渡した。シャクっとリンゴを貪る音が、魔法という深淵に引き摺り込まれる葬送歌だと気がついたのは、エステルが満面の笑みでこちらに視線を向けた時だった。


「何を企んでいるのだ。」


 俺は心から何も、という返答を期待していた。


「さっきの話の続き、多重魔法についてわかりやすく話そうと思って。」


 この手の攻めは、単純な物理攻撃よりも効果抜群なようだ。勘弁してほしい。


「うぬう…。」


「メネル、この食べかけのリンゴ、空間魔法を発動前の座標固定の段階で止めて、その状態で時間魔法を発動してみてくれるかい?」


「よくわからんが空間魔法を途中で止めて、時間を停止すればいいのだな?」


「第一段階はそんな感じ。」


 俺は言われた通りに空間座標を固定した魔法陣に時間停止魔法をかけた。


「そうしたらその固定した空間座標に対して、もう一度空間転移魔法をかけてみて。」


「難しい注文だな。」


 空間魔法を発動した次の瞬間に見たのは、衝撃の光景だった。魔法陣が三つ、砂時計型に広がり、中にあった食べかけのリンゴが元の新品のリンゴへと入れ替わったのだ!


「やった!成功だ!」


 エステルは無邪気に飛び跳ねているが、俺にはどういうことかさっぱり分からない。唖然と新品のリンゴを触って確かめていると、エステルは続けた。


「この時空間はね、過去、現在、未来の直線ではなく、あらゆる時点が点在する球体だという仮説があるんだよ。時空間が点の寄せ集めなら、その時点であり得たであろう平行現実を引き寄せることもできるんじゃないかと思って、その時点を固定して物質にだけ空間転移させればファントムリーフ効果で…」


「ちょっと待て、どうして食べかけのリンゴが元に戻った?さっぱり分からないぞ!」


「物質はファントムリーフ効果によって、エーテル体の鋳型に沿って元の状態に回復させるんだけど…簡単にいうと、今の多重魔法はパラレルワールドから都合の良い状態を引き寄せられるってこと!」


「なん…だと…!?」


 めっちゃ頭いいじゃん…パリピばかりの大学で浮かれた充実生活を過ごしていたものと思い込んでいたが、こいつはお勉強まで出来ちゃう系の輩か!激しく嫉妬。天はこの男に三物を与えたというのに…俺にもひとつくらい分けてくれって。


「名前はどうするのだ?」


「え?」


「この魔法の名前だ、何かあるのだろう?」


「あぁ、そういうの興味ないからメネルが決めていいよ。空間魔法と時間魔法を掛け合わせた、次元転移魔法。なんかない?」


「パラレルジャックでどうだっ!?」

 

 我ながらカッコイイ名前。


「中二病感丸出しだけど、イイんじゃないかな?ゲームっぽい呪文に関してはメネルのが詳しそうだし。」


 ぐぬぬ…いつかこいつをギャフンと言わせてやる!


「新たな魔法の開発に成功したところで、メネルに頼みがあるんだけど」


「まだ何かあるのか。」

 

 最近エステルを前に項垂れていることが多い。


「この魔法、僕にかけてくれないか?」


 俺は絶句した。こいつはいつも訳がわからないが、今回ばかりは予想の斜め上を行くどころか、一周してカオスだ。


「早急に説明求むっ!」


 エステルはお茶を啜りながら頭の上の円光を眺めて応えた。


「この魔法なら、守護晴天を消せるかもしれないだろう?」


ーーーーーーーーーー


【エステル視点】


 このところメネルには無理を言ってばかりな気がする。お互いの考えを共有すべく、僕の思うところも余すところなく、彼に伝えてきたのだが、今回ばかりは彼も動揺を隠しきれないようだ。開いた口が塞がっていない。


「さっきのリンゴにかけた魔法、僕にかけて。」


「え、いや、なぜだ?!」


「僕は他人の痛みがわからないような人間にはなりたくない。この守護晴天は全く痛みを感じないんだ。刺されても、殺意溢れる魔法を浴びせられても、何も感じない。そのうち心までもが、何も感じなくなってしまいそうで」


 メネルは僕を見て、当選した宝くじに火をかける者を見るような目で、口惜しそうに下唇を噛んでいるが、僕の意思は固かった。


「怖いんだよ、メネル。」


「だがそれがあれば無敵ではないか!王を倒すなら絶対に必要だろう!」


「そのために君がいるじゃないか、僕がどうなっても強い君がいれば王なんてイチコロだろう?」


 メネルはまだ納得がいっていない様子だった。無理もない、彼にとってはどんな攻撃も効かない手札を、一枚失うことになるのだから。


「頼むよ。」


「えぇい、どうなっても知らんぞ!」


 パラレルジャック!と恥ずかしい呪文を大声でメネルが唱えると、魔法陣が三つ僕の周りを取り囲んだ。


「ありがとう、メネル。」


 光が僕を包み込み、体全体の振動数が急上昇するような、ゾワゾワした感覚が体内を駆け巡った。


 しばらくして周りの光がきえた。メネルの方を見ると、間の抜けた顔でこちらを見ている、最近彼がこの顔で立ち尽くしているのをよく見る気がする。上を見上げた瞬間、僕の心は鷲掴みにされ地面に叩きつけられたかのように失墜した。円光がある。おやつの隣に置いてあったナイフを手に取って、左手の人差し指に押し当てる。


「何も感じない…。」


「失敗…だったのか…。」


 もともと仮設の段階だったので、さまざまな環境下で実証を重ねるべきではあった。はやる気持ちを抑えられず、無謀な実験に身を投じたといえばその通りだが、リンゴの実験からの落差が激しく、柄にもなく僕は落ち込んだ。何が足りなかったのだろう。


「まだ開発段階だったのだろう、そんなこともあるさ、体調に変化はないか?大丈夫なのだろうな?」


「そうだね、残念ながら変化はないよ、無理を言ってごめんね。」


 偉大な研究者たちは何度も何度も失敗を重ねたからこそ、偉業を成し遂げてきたのだ。たった一回の失敗で落ち込んでいる場合ではない。僕は昔の偉人と同様、このやり方では失敗するということの発見に成功したと考えるようにした。


「そういえばもうひとつ試していない仮説があったんだけど…」


「まだあるのかよっ!」


 メネルはいい加減にうんざりしている様子だったが、メネルの魔法強化に関することだと伝えると、顔色を変えて前のめりに説明を催促してきた。


ーーーーーーーーーー


【メネルドール視点】


 エステルの説明は難しくて回りくどいが、結果的にとんでもない魔法を創り出しているのは確かだ。この世界に来てからたった数ヶ月で、奴は魔法の蘊奥を極めんとしている。


「それで、今度はどんな魔法だ?」


「メネル、君が前のレベル上げの時に見せてくれた、ポイズンなんとかって毒の霧の魔法あるでしょう?」


「ポイズンサマエルな。」


「あの魔法が不可視になったら強いと思わないかい?」


「そんなことができるのか?」


 確かにポイズンサマエルはいわゆる「置き」のトラップ系魔法で、当てるというよりも誘い込む魔法だが、上級者相手ともなると選択肢を減らす牽制としか機能していなかった。


「見てて。」


 エステルは手の前に光の魔法陣を描き、そこに別の魔法を重ね始めた。その魔法陣の上に持っていたお茶をこぼすと、魔法陣の下にはお茶が出てこない。


「吸収されたのか?」


「いや、加速したんだよ。」


「また難しい説明か?簡単にレシピだけ教えてくれ。」


「光の魔法陣の中に、アクセラレータの呪文を12回重ねた。上位互換のタイムアクセラレータならもっと少なくて大丈夫だと思う。」


「原理はわからんがそれで物質が見えなくなるんだな?」


「ポイズンサマエルを発動するとき、魔法陣に加速の魔法をかけまくってごらん、多分目に見えなくなる。ただし、効果が現れるまでに通常よりも時間がかかるから注意してね!」


「さっき言ってた波動の周波数ってやつを加速させて不可視にするってことか。」


「なんだ、わかっているじゃあないか。ちなみに僕にはその不可視になったお茶が床一面に溢れているのも見えているよ。」


 エステルは眼前に固定されたレベルメーターをコツンと指で弾いた。


「なるほど、確かに肉眼では全く見えないな。今度試してみよう。」


「そうだね、僕のMPが尽きる前に、そろそろ基礎魔法を教えてもらおうかな。」


「基礎魔法など漁り散らしていた文献でとうに知っているだろう。」


「魔法公式は把握してるけど、実際に見た方がイメージが湧くでしょう?一通り見せてくれ。」


 俺は基礎魔法の5大要素を含む、火属性、水属性、木属性、鋼属性、地属性の最大魔法を20メートル離れたお手製のドラゴン型ダミー人形に放った。人形は跡形もなく木っ端微塵になり、もう20メートル先に自動再召喚されていた。


「ありがとう、最大魔法じゃなくて良かったんだけどね。」


 そういうエステルの手元には小さな火が灯っていた。見たところ火属性の最下位魔法よりも火力が低い。


「そんな火で戦う気か?」


「そう、これが僕の武器だよ。」


 エステルは満足そうに笑っていた。

ちょうどエステルに基礎魔法を教え終わった頃に、突如空間から滲み出た混沌の闇からサキが手を振りながら現れた。


「お二人さ〜ん、夕食の時間ですよ〜。」


 サキはモグモグしながら頬についた肉片をそのままに伝えた。つまみ食いしたのがバレバレだ。


「わかった、メネル明日もよろしくね、僕は1階層に寄ってから行くよ。」


「早くしないと全部無くなっちまうぞ。」


「うん、すぐに行くよ。」エステルは足早に闘技場を後にした。


 振り向くと食いしん坊のサキュバスは、エステルが元に戻したリンゴを頬張っていた。


「美味しいっ!」


「ほら、俺たちも行くぞ。」


「バナナ味のリンゴなんて初めて食べたっ!これどうやって作ったの?エステルが植えたの?」


 俺は巨大なハンマーで心臓をぶっ叩かれたように、急激に鼓動が早まるのを感じた。無言でポンコツサキュバスからリンゴを取り上げて、一口齧る。


「…バナナだ…。」


 見た目は完全にリンゴなのに、中身が…味が…バナナになっている!どういうことだ、これと同じ魔法をエステルにかけたのだぞ…。エステル自身に何も変わった様子はなかったし、実感もないようだった。まさかとは思うが、外見は変わらないで中身だけ変わってしまったのではあるまいな。


 サキは怪訝な顔つきで、そっと俺からリンゴを奪い返すと今度は後ろを向いて静かに食べ始めた。何事もない、そう思いたいが、かつてない焦燥感と額を流れ落ちる不穏な冷や汗が、平たいスライム6匹分はあろうかという巨大な危険フラグを掲げている。


「うわぁ…回収したくない…。」


「え、なぁに?」


 このリンゴ芯がなかったと、嬉しそうにヘタだけプラプラ振り回しているサキに、食堂へ向かうように無言で指差し、俺も闘技場を出ることにした。


「嫌な予感しかしない…。」


ーーーーーーーー


【エステル視点】


 1階層に着いて、外に出て薬草を植えた畑に向かうと、手伝ってくれた魔物たちはすでに食堂へと向かったようで、綺麗に片付けられた道具が畑の脇に重ねられていた。僕はメネルに教えてもらった空間魔法と基礎魔法を応用して、いくつかの種を植えた場所に、それぞれ5大魔法に対応する魔法陣を固定した。薬草が生える頃には、それぞれの属性に対応した薬草が生えてくるはずだ。


 僕は期待に胸を躍らせながら、結界が張られた方の畑に入った。中はこの辺りのどこよりも空気が美味しい。胸いっぱいに深呼吸した後、一つの種にメネルが使っていた時間魔法の魔法陣を見様見真似で描き、アクセラレータを一回だけ重ねておくことにした。これが成功すればきっと、回転率の早い収穫ができるようになるだろう。

 

 畑から戻り、食堂についた僕は愕然とした。この世は弱肉強食、それは重々承知していたつもりだったが、まさか本当に食堂のビュッフェが綺麗さっぱり食べ尽くされているなんて思わなかった。僕はキュルキュルと物欲しそうに訴える自分の腹部と、どのように折り合いをつけるか決断する必要に迫られた。空腹で回らない思考を巡らせていると、サキが近づいてくるのが目に入った。


「あら、エステル食べられなかったの?だからメネル様が早く来るように言ったのに。」


「確かにそうだね、気をつけるよ。」


「まったくしょうがないわね、これあげるわよ。」


 サキはポケットから食べかけのパンを差し出した。


「ありがとう、いただいておくよ。」


「イイのよ、バナナのお礼。」


 僕とバナナにどのような関連があったのかはわからないが、とにかくサキの気遣いはありがたかった。食べかけのパンを頬張りながら、僕は自室のある書庫へと向かった。すれ違う魔物たちはみんな快く挨拶をしてくれる。


 この世界に来てこの魔王城が1番居心地がいいとは思いもよらなかった。王を倒すだなんて無茶苦茶なことは忘れて、この城で面白おかしく暮らしていたい、そう思うこともあったけれど、その度に目に浮かぶのは貧困や重労働に苦しむ人々の顔だった。僕が見て見ぬ振りをしたら、彼らは他愛もない日常という幸せを知ることなく一生涯を終えてしまうだろう。そんなことはたとえ王様が許しても、僕の心が許さなかった。


 書庫の扉を開いて、僕の寝床と書斎がある階段の上の奥に着くと、ベッドの上に枯れた花束と置き手紙が添えてあるのを見つけた。置き手紙には後日のお散歩へのお誘いと、たくさんの小さな手形が押されていた。おそらくワーウルフの子供たちが、遠くの花が自生している土地から、わざわざ花を摘んできてくれたのだろう。魔界の毒気で花は枯れてしまっているが、僕はその花束を書斎の机の上に、空間魔法で固定してみた。ふと思いついたが、パラレルジャックを試しに使ってみるのはやめることにした。もし失敗して消滅でもしたら居た堪れないし、仮に花が生き返ったとしても、もう一度枯れさせてしまうのは忍びないと感じたからだ。僕はその枯れた花束を眺めながら、王都もこの城くらい平和だったらいいのにと、珍しく独り言を呟いた。城に住む魔物たちも、僕と同じく平穏な日々が続くと信じて疑わなかったに違いない。あんな出来事が起こるまでは。

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