第2話
異変に気付いたのは日付が変わった頃だった。
「……ん?」
何やらホールの方が騒がしい……いや、騒がしいのはいつもそうなのだけれど、怒声混じりというか、とにかく普段とは違った感じだ。
「なんだぁ……? ちょっと見てきてくれや、レン」
おやっさんに促され、僕は厨房を抜ける。
席数五〇の広さをもつ店内。その一角に、何やら人だかりができていた。
僕はこそこそと抜き足差し足で忍び寄り、近くにいた常連さんに話しかける。
「あの、何かあったんでしょうか? バリーさ……おやっさんに見てこいって言われて」
「王都からきたっていうスカした冒険者が、アンナちゃんを口説き出したのさ。みんなで注意してるとこなんだ」
なるほど、そういうことか。
この街の冒険者たちは、みんなアンナちゃんのことを大事にしている……余所者が気軽に声を掛けているのを見て腹が立ったのだろう。
「おうおうおうおう! 俺たちのアンナちゃんを口説こうなんざ、一〇〇年早いんだよもやし野郎!」
「おうおうおうおう! さっさとこの店から出ていきな! 酒がまずくなっちまうぜ!」
ガラの悪い冒険者に囲まれた中心に、件の王都から来たという冒険者がいた。店にいるむさくるしい男たちとは違い、随分と小奇麗な格好をしている。
それに……なんかこう、イケメンだった。
「お嬢さん、私は明日仕事があるから、それが終わったらディナーでもどうですか?」
「その……」
イケメンは周りからの恫喝を完全に無視し、アンナちゃんを口説き続けている。大した度胸だが、しかし店としても迷惑なので、ここは不承不承ながら止めに行くべきだろう。
僕は人ごみを分け入り、アンナちゃんとイケメンのところまで足を進める。
「あの、お客様。ここはただの酒場ですので、そうした行為は控えて――」
なるべく穏便に済ませようと、彼のすぐ傍まで近寄った直後。
体が――吹き飛んだ。
僕だけではない……謎の衝撃によって、周りの冒険者もみな一様に吹き飛ばされる。
「あまり私に近づかないでくれ。汚らわしい」
言って、イケメン冒険者はゆっくりと立ち上がった。
「私のスキルは【拒絶】……任意の対象物を問答無用で弾き飛ばすことのできる、絶対無敵の能力だ。君たちみたいな雑魚が、気安く近寄るんじゃないよ」
興が削がれたとばかりに酒場の出口に向かった彼は、去り際にアンナちゃんにウィンクをすると、金貨を五枚、投げ捨てるように置いていった。
壊れてしまった机や椅子の修理代なのだろうか……金を払えばいいってものでもないが、払わないよりはマシかもしれない。
……にしても、【拒絶】ねえ。
「それって絶対チートじゃん」
痛む腰を擦りながら、僕は情けなく呟いた。
◇
一悶着あったものの無事に今日の営業時間も終わりを迎え、僕はいそいそと帰り支度を始めた。
慣れた手つきで包丁を布でくるみ、鞄に仕舞う……この酒場で働くことになって、おやっさんからもらったものだ。僕は毎日この包丁を持ち帰り、何かしら料理の練習をするようにしている。スキルのお陰で技術を向上させる必要はあまりないが、初めて人からもらったプレゼントなので、なんとなく使ってしまうのだ。
「あの、レンさん……」
不意に、後ろから声を掛けられる……振り返れば、申し訳なさそうな顔でモジモジとしているアンナちゃんが立っていた。
「お疲れ、アンナちゃん。今日はまた一段と大変だったね」
「そのことで、きちんとお礼を言っていなかったので……助けに来てくれてありがとうございました、レンさん」
「助けるなんて大それたことじゃないし……それに僕、みっともなく吹っ飛ばされちゃったからね」
あれは実に格好悪かった。まるであのチートな能力を持つイケメンを立てる噛ませ犬みたいだったなと、我ながら笑えてくる。
「レンさんはみっともなくなんてないです! かっこいいです!」
アンナちゃんは勢いよく言い切り、直後自分の発言に恥ずかしくなったのか顔を赤らめた。ちなみに僕もだ。
「ま、まあ、アンナちゃんに怪我がなくてよかったよ」
「それはこっちのセリフですよ。レンさんはもう立派な家族なんですから、怪我をされたら私が困っちゃいます」
ニコッと微笑む彼女――アンナちゃんも、昔バリーさんに拾われたのだ。なんでも、故郷の村が強力なモンスターに滅ぼされてしまい、たまたま冒険者をしていた頃のバリーさんが彼女を見つけ、保護したという。
時は流れ、おやっさんとアンナちゃんは二人で酒場を開いたそうだ。初めはこじんまりした場所からスタートし、従業員を増やしてここまで店を大きくした。
彼女にとって、この酒場は家同然で、そこで働く僕ら従業員は家族同然なのだろう。
「アンナちゃん」
「なんですか?」
「これ、昨日見つけたんだけど……」
僕は鞄の奥から一輪の花を取り出す。
そのほんのりオレンジ色をした花の名前は「アンナ」と言うらしい……花に詳しくない、ましてや異世界の花になんて全く造詣が深くない僕がなぜ知っているのかと言えば、もちろんスキルのお陰だ。
爽やかでフルーティーな香りがするらしく、肉料理との相性がいいらしい……ただこれを摘んできたのは、酒場の料理に使うためではない。
「綺麗なお花ですねー。私の髪の色と、少し似てるかな?」
「……これ、『アンナ』って名前の花なんだ。その……もし迷惑じゃなかったら、アンナちゃんにあげたいなって」
そう、僕はこの花を彼女にプレセントしたかったのだ。
現実世界に生きていた頃の僕からしたら考えられないキザな行いだが……あの花を一目見た時から、どうしてもアンナちゃんにあげたかったのだ。
なぜなのかは――わからないけれど。
「わあ、嬉しい! 酒場の一番日当たりのいい窓辺に置きましょう! そこなら、働いている間ずっと目にすることができます!」
彼女は輝く太陽よりも眩しい笑顔を浮かべた。
「せっかくなら、店長やみんなの写真も横に飾りましょう! 大切にしますね! ありがとうございます、レンさん!」
常連さんからいろいろなプレゼントをもらっているアンナちゃんが、花一つでここまで喜んでくれて。
僕は正直、とても嬉しかった。
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