第3話



 けたたましい警報音が鳴り響く。


 音に起こされ、慌てて窓の外を眺めると――警報を聞いた街の人たちが、次々と家から飛び出しているのが見えた。


 ……寝ぼけた頭を整理する。僕はアンナちゃんと別れた後この部屋に戻り、かつらむきの練習をしてからベッドに潜り込んだ。そして今に至ると……うん、整理するまでもなかったな。



「この警報音は……Aランク以上のモンスターだっけか」



 この世界にはモンスター……いわゆる魔物という人間の敵が存在している。奴らは普段山の中や洞窟の奥など、人間の住む空間とは交わらない場所に生息している。


 だが極たまに、街までやってきて人間を食おうとする魔物がいるらしい……この警報音は、街のすぐ近くまでモンスターがやってきたことを示すものなのだ。



「……って、まずいまずい。僕もいかないと」



 Aランク以上の強さを持つ魔物が街に現れた場合、住人は速やかにシェルターに移動しなければならない。そこで冒険者が魔物を討伐してくれるのを待つのだ。



「よし」



 僕は非常用の軽食とおやっさんからもらった包丁を持って、足早に家を後にする。


 転生して半年、Aランクの警報音が鳴るのは初めてだ。バリーさんに訊いたら、そもそも警報が鳴ること自体、数年に一回あるかないからしい。


 それ程まで、魔獣の生息域は人里から離れていっているということだろう……冒険者たちが日夜討伐してくれているおかげである。



「あ、おやっさん!」



 僕はシェルターに向かう途中、バリーさんの姿を捉えた。

 彼は何やら焦っている様子で、しきりに走ってくる人波に目をやっている。



「どうしたんですか、おやっさん。早くシェルターに行かないと……」



「レ、レン! !」



 ヒヤッと、背筋に冷たい汗が伝う。



「警報が鳴ったから心配でアンナの家に行ったんだが、どこにもいねえんだ! 俺はもう一回シェルターの中を探してくる!」



 言うが早いか、バリーさんは踵を返してシェルターへと走っていった。



「アンナちゃん……」



 僕は考える。


 もし――


 もし彼女が警報を無視してまで向かう場所があるなら……それは一つしかない。



「くそっ!」



 僕は人波に逆らい、来た道を戻るように走り出す。


 アンナちゃんが行きそうなところ、そんなの、あの酒場に決まっている。


 だが、バリーさんはその可能性を無視していた。いや、考えないようにしていたんだ。


 なぜなら。


 あの酒場は、今まさに魔物がやってきている街の外周近くに存在するのだから――





「アンナちゃん!」



 僕は勢いよく酒場の扉を開ける。

 中には、忙しなく右へ左へ身体を動かすアンナちゃんの姿があった。



「レ、レンさん⁉ どうしてここに⁉」



「それはこっちのセリフだよ! 早く逃げよう!」



 案の定、彼女が手に持つ鞄の中には、酒場に飾ってあった写真や小物が大量に収められていた。


 そして――僕が昨日プレゼントした花を、右手に持っている。


 アンナちゃんにとってこの酒場は家同然、そして飾ってあるものはみな宝物なのだ。そしてその宝物を、みすみす置いていくわけがない。



「ご、ごめんなさい……私……」



「いいんだ、無事でよかった。とにかく急ごう。僕も持てるだけの物は持つから」



 肩に下げたずた袋に入るだけの物品を詰め、僕らは勢いよく酒場を飛び出す。


 ――が。


 脅威は、もうすぐそこまで来ていた。



「ぐぎゃあああああああああああああああああああああああ‼」



 そんなけたたましい雄叫びを上げながら街の外壁を破壊したのは、その存在を災厄とまで言われている幻の魔物。


 S級モンスター――ドラゴンだった。



「……っ」



 優に三十メートルを超す巨体を引きずりながら、ドラゴンはゆっくりと街の中へと侵入してくる。外壁の周りには何十人もの冒険者がいて、剣やら弓矢やらで迎撃しているが、彼らの攻撃が通じている様子はない。


 そこへ、一つの人影が颯爽と降り立った。



「来い、ドラゴン! 王都最強の冒険者、このマックス・レイザールが相手だ!」



 昨日、酒場で僕を吹き飛ばしたイケメン冒険者……彼のチート級のスキルなら、ドラゴンも倒せるかもしれない。



「【拒絶】‼」



 任意の対象物を問答無用で弾き飛ばすという彼のスキルは、見事ドラゴンの巨体を後方へと吹き飛ばす。


 よし、いけ好かない奴だけど実力は本物みたいだ……今のうちにシェルターへ――





「があああああああああああああああああああ‼」





 視界が紅く染まる。


 とんでもない熱気が辺りを包み込み、衝撃によって煉瓦造りの家が破壊されていく。僕とアンナちゃんは身を庇うようにその場に伏せ、爆風をやり過ごすしかなかった。


 今のは、ドラゴンのブレス……とんでもない威力だ、あれを連発されたら街はひとたまりもない。


 でも、あの冒険者ならきっと僕たちを守ってくれるはず……そう思って振り返ると。



「……無念」



 彼は見事に倒れていた。


 ……これ、相当まずくないか? 王都から来た冒険者ですら歯が立たない魔物相手に、この街の飲んだくれ冒険者が敵うわけない。


 とにかく走って逃げないと――



「さ、酒場が……」



 隣から、アンナちゃんの震える声が聞こえた。


 その視界の先には、瓦礫。


 ほんの数分前まで確かにそこにあった酒場が――瓦礫となって崩れていた。



「あ、ああ……どうして、こんな……」



 彼女はその場に膝から崩れ落ち、音もなく涙を流す。


 すぐ近くには、口から炎を吐くドラゴン。


 僕は無理矢理にでも彼女を抱き起し、一刻も早くこの場から離れるべきだ。それが最善で、それが最良だ。


 でも。


 アンナちゃんの泣き顔を見て――思考が止まる。


 故郷をモンスターに滅ぼされ、やっと見つけた家と呼べる暖かい場所。それが目の前で瓦礫の山となった彼女の気持ちを、推し量ることなんてできない。


 ただ、単純に。


 あの巨大な魔物を許せないという怒りだけが――沸いてきた。



「アンナちゃん、下がってて」



 僕は静かに歩き出す。

 何をしているかって? 自分でもわからない。


 確かなのは、燃えるような怒りだけ。


 自分の危険も顧みず、みんなの思い出とあの花を守るために酒場に戻ったアンナちゃん……そんな彼女が泣いているのを見て、何もせずに逃げるのが正しいのか?


 恐らくそれが正解なのだろう。ここから二人無事に逃げ出すことを世界は美談にし、僕はヒーローになれる。


 だったら。


 僕は、主人公になんかならなくていい――!



「うおおおおおおおおおおおおおおお!」



 無様に不格好に、死にいくだけのモブキャラでいい……チートなスキルのない僕は、この異世界で何かを成し遂げることなんてできないのだから。


 だけど、せめて。

 せめて、惚れた女の前くらいでは格好つけさせてくれよ!



「【料理――オートモード】‼」



 僕には見えていた。


 あのドラゴンを初めて視界に捉えた時から――調


 僕はおやっさんにもらった包丁を手に取る。


 そして。




「お前を綺麗に捌いてやるから、美味しくいただかれろこんちくしょー‼」




 ドラゴンの懐へ、飛び込んだ。


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