4、初心者冒険者のお弁当

「……は?」

「ね、ねえ。ラック、何? 何あれ」

「お、狼? メルデ、まだ認識妨害の効果は続いてるよな」

「やってるわよ! え、え? なんでぇ?」

 迷宮内で疲れ果て座り込んでしまった二人の前には確かに現れた狼がいた。

 普通のものとは違う巨体をのしのしと揺らしながら、獣は見えないはずの二人にまっすぐ近づいていく。

 戦える気力など残っていない二人はあわあわと狼が近づいてくるのを見守ることしかできなかった。

「ど、どうしようラック」

「どうするもこうするも、戦うなんて」

 できる訳がない。そう諦めのこもった目でラックが口にしようとしたその時、狼は二人の前でちょこんと座った。

「……へ?」

「ラック! この狼、なんか魔法の気配が……」

 メルデの目が狼の首につけられた箱へと引き寄せられる。何もせずただ座っている狼に恐る恐る彼女が手を伸ばす。首の金具をぱちりと外しても狼は吠えることもせず、ただじっと外されるのを待つように座っていた。

「すごく強くて、古い魔法だわ。……一体誰が、こんな」

「お、おい。罠かもしれないから簡単に開けたら」

「でも、なんか温かいし。それに、いい匂いも、する」

 大きな白木の箱はずしりと重く、油断すれば手から滑り落ちてしまいそうだった。

 何故かほのかに熱を放つ蓋にメルデが手を触れる。ラックが慌てて止めるのも間に合わず、彼女は箱を開けた。

「メルデっ!」

 何が出てくる。猛獣か、術の類か。

 しかし剣を掴むラックとは反対に、メルデはこれ以上ないほど目を輝かせて言った。


だ! サンドイッチだよ!」

「――――――は?」

 突拍子もない彼女の言葉に目を点にするラック。

 しかしこれが現実だと分からせるように、冷たく静かな迷宮内に場違いなほど香ばしい匂いがただよい始めていた。



※※※



 いつの間にかダンジョン内はしんと静まり返っていた。ついさっきまで列を作って歩いていたモンスターたちは、何故か狼の登場と共に姿を消している。

 迷路の通路には狼と二人のみ。狼は一つ欠伸をすると冒険者二人に背を向けて座り直した。

「な、何が起きてるんだ一体」

「いいじゃん何でも! 早く食べようよ!」

 まるで自分たちを守っているかのようにもとれる行動に目を白黒させるラック。一方メルデといえばいち早く箱の中へと手を伸ばしていた。


 箱の中にはパリッとしたパンに挟まったサンドイッチが二つに、白く丸いサンドイッチが二つと四角いものが二つ。隅に置かれた円柱状の入れ物の隣にはカップが二つ並んで入っていた。

 どれも二つとも焼きたてのように湯気が上がっており、そこから立ち上る湯気に二人の喉がごくりと上下する。

「私こっちの白いの!」

「っ、俺も!」

 メルデの声に触発されたようにラックもこんがりと焼き色のついた方に手を伸ばす。

 色とりどりの野菜の中にきつね色の何かが湯気を立てて収まる様は、限界を超えた空腹にあまりに暴力的なビジュアルだった。さっきまで警戒していたことも忘れ、ラックは目の前のそれに行儀も忘れて勢いよくかぶり付く。


 ばりっとパンの皮を突き破ると、まず口の中をシャックリと葉野菜の水分が潤していき、サクサクのトマトと玉ねぎが小気味よい音を立てる。たっぷりとしたバターとからしの香りが優雅に鼻から抜けていった。

 それだけで胃が久々の食べ物にむしゃぶりつく。しばらく干し肉と水だけを口にしてきた彼の体は新鮮な野菜を大喜びで取り入れた。

 ラックは夢中で二口目を口に運ぶ。途端、彼の目が大きく見開かれる。

「んっ⁈」

「ど、どうしたの?」

「……これ、フライだ。フライだよ! しかも牛肉の!」

 ザクっという音を立てて熱い黄金の衣を噛めば、スパイスの効いたピリ辛の肉のうまみが脂と共にじゅわりと広がっていく。 

「こんなの、んむ、食べた、ことない」

 新鮮な野菜と食べれば尚旨味が増し、途中途中に挟まったピクルスの酸味が味を引き締める。


 ばりばりざくざく。彼は手の中の無我夢中で胃の中へと収めてしまう。それを見ながらメルデはおかしそうに笑った。

「あんなに警戒してたくせに。ラックってば」

「う、うるさいな。お前だってビービー泣いてたくせに」

「あれは調子が悪かったのよ!」

 そう言い返しながらもメルデも手を止めることはなかった。

 ラックのものとは反対に、柔らかく丸いパンには緑色の柔らかい刻みキャベツがぎっしりと詰められている。それに埋もれるようにこちらも黄金の衣が湯気を立て、その上から白いソースがたっぷりかかっていた。

「私、魚のフライ大好きなの。特にこの時期のサーモン!」

 パンからはみ出さんばかりのフライに歯を立てればサーモンの脂が流れ出し、刻んだピクルスの入った酸味のあるソースがよく合った。


 彼女が夢中になって食べているのを見てラックの腹がまだ足りないぞと言わんばかりにぐうと鳴る。

「…………なあそっちの」

「奇遇ね。私も同じこと言おうと思ってたところ」

 結局残りのもう一個ずつを交換し、舌鼓を打ちながらも彼らはぺろりと平らげた。そしてようやっと落ち着いてきた胃に彼らは最後のサンドイッチへと同時に手を伸ばす。

「甘いな。これは、りんごか?」

霜降りりんごフロストアップルの甘煮よ。懐かしいなあ。よく作ってってねだったっけ」

 甘さ控えめのさっぱりとしたクリームがシャクシャクとしたりんごの甘みをより際立てた。久方ぶりの糖分が二人の脳に染み渡っていく。

 怒涛の勢いで腹を膨らませた二人はようやっと一心地ついたようだった。


 夢中で食べきった二人は、まだ手を付けていない入れ物を開けてみる。すると円柱状の入れ物からは熱いシチューが湯気を立てて入っていた。

「すごい。これも、この箱も。どっちも熱を逃がさないためだけに大掛かりな魔法を使ってる」

「そんなにすごいのか?」

「天才と言われた私だってこんな魔法は使えない。使えるとしても亡くなったうちのおばあ様くらいなものよ」

 カップに移したシチューを飲みながら、ラックはカップの間に挟まっていた紙を見る。

「若者冒険者大満足弁当って……。名前のまんまだな」

 笑いがこみ上げるほどの安直なネーミング。しかしどの料理にも作り手からの思いが伝わってくるような丁寧な仕事ぶりだった。

 肉は叩いて柔らかく、温かいものは温かいうちに。胃を満たす創意工夫に疲れた脳を癒す甘さ。

「弁当屋ギル、か。とんでもない店を見つけたもんだ」

 ご利用ありがとうございましたの文字の下に小さく書かれた地図を見つけ、ラックはここから出ることができたら必ず行こうと心に決めるのだった。

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