3、初心者冒険者のお弁当

「おっと、ようやく一人目のお客様か」

 街外れののどかな田舎道。そこでひらりと舞い降りた蝶に男は呟くようにそう言った。歳は二十かそこらで、頭は夕日の光をそのまま髪にしたような鮮やかなオレンジ色。綿のシャツとパンツ姿でどこか胡散臭げな糸目であった。

 彼は蝶を指先に止まらせるとふんふんと頷く。


「おや、なるほど。大分お腹を空かせているね。二人で、随分若いなこりゃ」

 男がしばらく独り言を話した後、蝶は解けるように姿を消した。残ったのはくしゃくしゃに皺のついた一枚の紙のみ。

「さあて、こりゃあ一刻も早く届けてやらなきゃ大変だ。幼い子供が腹を空かせて泣いているんだから」

 煉瓦でくみ上げられた小さな家に向かいながら男は考える。

 さてどんな弁当にしてやろうか。若くてお腹が空いているのだからきちんとお腹に溜まるもので、美味しくてぱっと食べられる物が良い。肉が良いだろうか。

 しかしそこまで考えて男があっと声をもらす。

「しまった、残りの肉は新鮮なうちに喰った方が美味いって旦那が勝手に――――」

 そう言った時だった。

 

 大きな影が家に覆いかぶさったかと思えば、酷い突風が日向でのんびりとしていた草たちを一斉に波立たせる。

 さわやかに晴れ渡った空に届かんばかりの巨体についた金の鱗は日の光に照らされてギラギラ光る。爪と牙は雪のように白く、宝石のように美しい緑色をした角は何故か欠けていた。

 ぎょろりとした目は何も言わず男を見下ろす。ドラゴン。一般的にそう呼ばれ、恐れられ崇められる種族であった。

 終いには巨大な地響きをたてながら直地したそれは、ガラガラとした声で上から威厳たっぷりに


「…………おい、持ってきてやったぞ。だからこれで機嫌をなおせ」


 まるで機嫌を伺うかのようなことを言った。

 男は竜を見上げる。その目には驚きも恐怖も畏敬の念もなかったが、竜が鋭い爪に掴んでいたものを見た途端にパッと花が咲くように笑った。

「ナイスタイミングだ! グランツの旦那!」

「う、うむ? 怒っておらんのか?」

「そりゃあ明日開店って日に美味そうだからって材料食い荒らされたなら怒りますよそりゃ。でもこの手土産でチャラですよチャラ!」

「そうか! ならしばらくぬしの弁当無しというあの約束もなしだな!」

「まあ今回は。でも今度やったら残ったもう一本へし折りますからね?」

「……肝に銘じよう」

 必ず実行すると眼光を光らせた男に、竜はさっとまだきれいに残っている角を隠しながら言った。角無しなど竜にとっては笑えない事態だ。

 男はにこにこと笑いながら竜の包みに手を伸ばす。途端にふわりと浮いた袋包みを後ろに従えながら、彼は言った。


「あ、あと川で魚取ってきてください。なるべく大きい奴で」

「何故我がそのようなこと。しかも人間に喰わせるのだろう? 愚かな。ギルの丹精込めたあの弁当を愚者どもに渡すなど―――」

「角」

「すぐに一番大巨大なものを取ってくることにしよう!」


 ギルと呼ばれた男は竜が山の向こうまで飛び去って行くのを確認して、鼻歌を歌いながらキッチンに立った。

 包みを開きながら彼は言う。

「さあてさて、腹ペコ冒険者のお腹を満たす料理を考えるとしますかね」



※※※



 手始めにパンを取り出す。小麦特有の香ばしい香りが小さな家に広がった。

 昨今品種改良されたオーガ麦で作ったハードタイプのパンは、皮が固くも中はもち

もちと噛み応えがあり、しっかりと小麦の風味が楽しめる。


 まずギルは長い楕円型のパンに切り込みを入れた。

 そしてぱっくりと口を開けたそこに、女王牛クイーン種のバターとからしを混ぜたものをたっぷりと塗る。

 次に氷水にさらすことでその歯ごたえを増す雪下の令嬢スノーフリルレタス雨模様の玉ねぎドロップオニオンを刻んでさらした後、水気を切ってこれもパンの口へ。膨らんだ隙間に半透明の水晶クォーツトマトも差し込んでいく。

 少し考えた後、瓶からよく漬かった棒状のピクルスを取り出して薄い輪切りにした後これもまたパンへ。余った半分は良く刻んで別の皿に移す。

「さて、この肉はどうするかねえ」

 目の前には丁寧に包まれていた上等な牛肉が鎮座している。グランツが美味いと食べてしまったものと同じ、王牛種キングの上質な部位だった。


「焼くだけってのも、味気ないね。それともいっそ茹でるか? ……いやそれじゃあこの肉がもったいないな」

 とりあえず叩いて柔らかさを出し、肉特有の獣臭さを和らげるためにスパイスを振りつつ、ギルは頭をひねる。

 どうにか肉の美味さを活かしつつ、若い彼らの胃を満足させるようなボリューム溢れる調理法はないものか。


 その時魚を取ってきたのであろうグランツが草葉を荒しつつ着地する。巨大な銀に光る魚を家に滑り込ませながら、竜はぐっと首を下げて鼻先を家に突っ込んだ。

「おい、帰ったぞ! この時期の魚はどいつもこいつも気性が荒くてかなわん。……ん? 何を悩んでいる」

「こりゃどうも。立派な放浪鮭ヴァンデルサーモンだ。……いやあね、丁度いいのを考えている最中なんですよ」

「何を簡単なことを。肉など新鮮そのままが一番だ!」

「人間を竜と一緒にしないでくださいよ。そんなことした日にゃ食あたりで地獄を見る。それにパンに冷たい生肉なんて気分があがら――――」

「? おいどうした。……ははーん。ついに我の素晴らしさに気づいたか。いいだろういいだろう。今からでも人間への施しは取りやめ、即刻その弁当を我に」

「これだ――――――――っ!」

「ひえっ⁈」


 未だかつて人間の雄たけびに怯えたドラゴンがいただろうか。

 しかし当の本人は驚いた顔の竜など気にもせず、輝かしい笑みで卵を割り入れた。

「ボリュームがあって温かく、何より見た目のテンションが上がる料理! 僕としたことがすっかり失念しちまってた!」

「お、おい? そのベントウは」

「こうしちゃいられねえ。二人分、とっとと仕上げねえとな! あ、旦那。暇ならシチューの材料裏から引っこ抜いてきてくださいよ」

 竜の心人知らず。

 あっという間に料理へと没頭し始めたギルを横目に、竜は拗ねたように尾を振って裏庭へとトボトボ歩き始める。

 小さな家からはジュワワワと軽やかな音が響き始めていた。



※※※



「えーと……名付けて、『若者冒険者大満足弁当』っと」

「相変わらず名前のセンスだけは致命的だな」

「うるさいな。分かりやすいのが一番でしょうが」 

 ギルは弁当の中身と商品名をカードに書き込むと、二人分の弁当が入った箱へとそれを差し込む。そしてかなり大きなそれを目の前の狼の首へとベルトで固定した。

 灰色の毛並みの狼は弁当の重さを気にすることもなく、しゃんとギルの前に座っている。それは普通の狼より立派な体格で、立てば成人と真正面から目が合うほど巨大な狼だった。

「じゃあ、シュティ。お客様にしっかり届けるよう、よろしく頼みますよ」

 霧狼ミストウルフと呼ばれる種のそれは、かすれた声であおんと鳴いたかと思えば足音を立てることもなくあっという間に見えなくなった。

 その足取りを見届けてからギルはさて、と立ち上がる。


「じゃあ、仕事も終わったことだし――――」

「我はもう川に魚も取りに行かぬし野菜の収穫もせぬ! もう動かんぞ!」

「ほーん。絶対?」

「絶対だ! 我のような高貴な竜に雑用など、不敬にもほどが」

 しかしふんと首を横に向ける竜に対し、ギルは意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「多めに作っといたサンドイッチお弁当にしてピクニックとでも思ったんですけどねえ。動かないんじゃ仕方ない。こーんなに天気がいいから外で食べようと思ったのに」

「え」

「仕方がない。あの宣伝に協力してくれた雑貨屋さんにでも―――」

「食べるっ! 食べるぞ! 我が一番我慢していたのだ。一番に食べる権利もあろう!」

「じゃあシチューも入れましょうか。旦那専用のとびっきりでかいやつにね」

「うむっ! 一番大容量のだぞ! ケチるなよ!」

「はいはい。仰せのままに」

 一転して目を輝かせる竜に思わず吹き出しながらギルは一番の食いしん坊のためにピクニックの準備を始めるのだった。


 

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