第11話 俺の大切な人




 突然の出来事に、直輝は思わず目を白黒させる。おそらくバケツ一杯分程の水が自分に降り掛かって来たのだろうが、その理由がわからない。


 視界が不明瞭の中、唯一把握出来るのは頭から水を被ってしまった所為で折角セットした髪型が崩れて、上半身がびっしょりと濡れてしまったこと位だ。



「…………え?」

「———っ! う、ウソでしょっ!?」



 朝陽の慌てたような声を横で訊きつつ、直輝はそっと水が降ってきた上空へ視線を向ける。見えるのは全開に開かれた窓の縁から覗く複数人の女子生徒の顔だった。あの窓の位置的に、女子トイレ辺りだろうか。


 こちらを見てくすくすとかしましい声をあげていることから、水を上空から掛けてきた犯人は彼女らのようだ。先程は気にも留めなかったが、そういえば少しだけ声が聞こえたような気がする。



「あぁー、外しちゃったぁー! そこの人ごめんなさーい! キャハハッ!」

「おっしいー! 水の量少なかったんじゃない?ww」

「男を弄んで楽しいですかー? ビッチ先輩せんぱーい



 先輩、と口にしたところを鑑みるに、きっと彼女らは一年生なのだろう。直輝が水の滴るレンズ越しで見たのは、愉悦に頬を緩める醜悪な女生徒の顔だった。



(…………そうか)



 大体事情は察した。


 高校全体に朝陽の悪い噂が広まりつつある事は知っていたが、まさか一年生からこうした悪意を向けられた事実に思わず愕然としてしまう。


 幸いにも水はガタイの良い直輝へ直撃した訳だが、本来は朝陽へ掛けられるものだったのだろう。おそらく彼女らとしては遊び半分のつもりでふざけて上空から水を落としたつもりなのだろうが、もし朝陽へ直撃していたのならば、下手をすればその勢いで首の骨が折れていたかもしれない場合だってある。


 大切な人が怪我をしていたかもしれないのだ。直輝にとって、到底看過して良い問題ではなかった。


 沸々と怒りが湧いてくるが、なんとか努めて沈める。ひとまず、隣で呆然としている朝陽へ声をかけることの方が大事だった。



「……白城さん、大丈夫ですか?」

「う、ウチは少し飛び散ったくらいだから大丈夫だけど、真面目クンが……! ハ、ハンカチ……ッ!」

「ありがとう」



 ワイシャツの中にまで水が浸透してしまっているので、正直タオルくらいの大きさじゃなければ心許こころもとないのだが、そこは気持ちとして受け取っておく。



「どうしよう……どうしよう…………」



 目を泳がせながら気が動転してしまっている辺り、きっとこんな事は初めてなのだろう。ぎゅっと腕を片手で引き寄せるようにして、普段の気怠げな表情と違って思い詰めた表情を浮かべる朝陽。そんな彼女を見ていると、こちらまで心が痛くなってくる。


 さて、と改めて上を見上げると、直輝は顔を顰める。いつの間にかざわざわとギャラリーが増えていることに気付いたからだ。所々から声が騒めく。



「一体どうしたん?」

「なんか二年で有名な女子いるじゃん? ほら、白城っていうメッチャ遊んでる噂のある……」

「え、もしかして遂に男子を手玉に取った報復でも受けた?」

「うっわ、隣にいる男子水浸しじゃん」

「あれ、もしかして堅持?」

「どうして真面目な性格の堅持くんが白城さんと一緒に……?」

「ほら、多分白城さんが誘惑したんじゃない?」

「それありえるかも……」



 現在は昼休み。当然廊下を行き交う生徒がいたり教室で各々過ごしていたりとしている訳なのだが、思いのほか一年生の声が大きかったのだろう。


 裏庭にいる直輝と朝陽を見る為に、面白半分に顔を覗かせる生徒が沢山いた。今も尚、噂を信じた生徒による推測に過ぎない言葉が好き勝手に吐かれており、最早訊くに堪えない。


 あの一年生女子らを皮切りに、周囲の生徒から悪意のある眼差しを向けられる。



(チッ、好き勝手言いやがって……!)



 ぐっと拳を握りながら冷静を保とうとするも、正直我慢の限界だった。


 もし自分のことならばいくら馬鹿にしたって良いし、こき使って利用しても良い。どうせ傷つくのは自分一人だし、この性格ゆえ所詮有象無象の言葉など響かないのだから。しかし、朝陽の場合は別である。噂が原因とはいえ、目の前で寄って集って大切な人を好き勝手言われて黙っていられる程、人間は出来ていない。


 ふと隣の朝陽へそっと視線を向けると、顔を俯かせながら必死に耐えていた。



「ごめん、ウチのせいだ……。ごめん、本当に、ごめんなさい……っ!!」

「——————」



 ようやく高校での朝陽が前向きになろうとしていたのに、これでは台無しである。ぶつり、と直輝の頭の中では血管がブチ切れる音がした。


 そんなことも露知らず、先程の一年生の女子が再び声を上げる。



「そこのビッチ先輩、見てくれだけはいいですもんねー!」

「………………れ……だ……」

「水が掛かっちゃったのはごめんなさいですけど、私らのおかげで目が覚めたんじゃないですかー?」

「……だ……って……い………だ…………」

「えー? 感謝の言葉ならもっと大きな声で言ってくださーい!」



 けらけらとそう口にした瞬間、直輝は水で濡れた髪を掻き上げると伊達眼鏡を地面に思い切り叩きつけた。


 そしてその一年女子のいる方向を睨め付けながら大声を上げた。



「———いい加減黙れっつってんだろクソが!!!!!!」

「…………え?」



 普段の直輝は悪態こそつくが決して暴言は吐かない。真面目くんを演じている高校では尚更だ。そんな直輝が大声で怒鳴った瞬間、噂に踊らされた生徒による喧騒けんそうが嘘かのようにしーんと静まる。


 そんな中、すぐ近くから聞こえたのは、大切な人の呆然とした声。



「なお、くん……?」

「今まで黙ってて悪い、朝陽。けどもう少しだけ、待っててくれ」



 声が震える。どんな表情を浮かべているのか怖くて、直視出来ない。そうして朝陽へ横目だけで言葉を告げると、指を差しながら再び視線を一年生女子らへ投げ掛けた。


 鋭い瞳を隠すこともなく。



「お前ら」

「ひっ」

「お前ら、お前ら、お前らもだ。俺はさぁ、ずっっっっと気になっていたんだが、いったい、お前らは、朝陽の、何を知って、心無い言葉を口に出来るんだ?」

『………………っ』

「朝陽は周りの目と、くだらねぇ理由ででっち上げられた噂にずっと苦しんでいた。それでも決して泣き言を吐かずに、なんでもない振りをしながら必死に耐えてきたんだよ。こんな理不尽、辛かっただろうし悲しかっただろうよ。そんな朝陽の気持ちを、少しでも理解しようとした奴はいるか? 誰か一人でも、本当の朝陽自身を見つめようとした奴はいるか!? ———いねぇだろ!!」



 大声を出しながら直輝はぐるりと周囲を見渡す。静けさは相変わらずだったが先程と比べて、生徒の表情にやや反省の色が伺えたのは気の所為だろうか。


 思わず気持ちがたかぶってしまいつい一人語りしてしまったが、次第に感情の起伏が落ち着いてきた。一つ息をついた直輝は、そうして頭を下げた。



「お願いします。決めつける前にそれが本当に正しい事なのか、一度冷静に考えて下さい」

『………………』

「なおくん……」

「行こう、朝陽」

「ひゃ……っ!」



 やがて顔を上げた直輝はそっと朝陽の手を取ると、その場を離れる為に歩みを進める。どんな顔をしたら良いのか分からないので、直視出来ぬまま手を握ってしまったが、嫌われていない事を願いたい。


 このまま歩みを続けようとした直輝だったが、ふと思い出したことがあったので途中で足を止める。



「あと、そこの一年生」

「は、はひっ」

「さっきのことは水に流してやる———が、次に俺の大切な人を傷付けたら、絶対に許さねぇからな。肝に銘じておけ」

「す、すみませんでした……!!」



 直輝が上にいる一年生女子を睨みつけると、彼女らは慌てて謝罪をして去って行ってしまった。朝陽が傷付けられたのが原因で怒ってしまったとはいえ、こうも怯えられると少々心が痛む。


 慣れないことはするもんじゃないな、と反省するが、直輝としては自らの行動に一切の後悔はなかった。

 無数の視線を浴びながらも、朝陽と共に再び歩みを進めた。



「た、たいせつなひと……!? 嘘、それってマジぃ……!?」



 すぐ側で朝陽がぼそぼそと何かを呟いているのだが、地面を踏み締める度に響く砂利の音でよく聞こえない。


 どこか別の落ち着ける場所で話そうと思いながら、直輝は朝陽の手を離さぬようしっかりと引いたのだった。















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