第8話 朝陽の気持ち



「でねー、きょうすずちゃんがてつぼうでまえにぐるぐるなんかいもまわってたんだよー! しかもれんぞくで、テレビでみるたいそーのせんしゅみたいだったのー!」

「すずちゃん随分アクロバティックだな……」



 そして放課後、保育園に悠希を迎えに行った直輝はその日にあった出来事を訊きながらいつもの場所へと向かっていた。悠希が話す保育園でのすずちゃんの様々な武勇伝に苦笑いを浮かべつつ耳を傾けていると、ぴゅうっと一陣の風が吹く。



(そういえば、もうすぐで夏休みか……)



 頬を撫でる心地良い風に歩を進めながら直輝は目を細める。隣にいる悠希も「きゃー♪」と言ってはしゃいでおり、とても楽しそうだ。


 季節は夏なのだが、夕方なので少しだけ冷たさが含まれている。



「ねーねーなおちゃん。そういえばあさちゃん、さいきんげんきないよねー?」

「んー、まぁそうだなぁ」

「どうしてなのかなー? おなかいたいのかなー?」

「……どうなんだろうなぁ」



 眉を顰めながら可愛く首を傾げる悠希。妹が口にする疑問に思い当たる節があった直輝は、それに対しやんわりと返事をしつつこれまでの出来事を振り返っていた。


 きっと最近朝陽に元気がないのは、直輝が告白を一ヶ月間続けたことが原因だろう。初めは公園で会っていても普段通りだった彼女が、二週間、三週間と日を重ねるにつれ少しずつ思い詰めるような表情を浮かべるようになったのだ。


 公園のベンチで直輝が話し掛けたり、悠希と一緒に遊具で遊ぶ時にもぼーっとする機会が増えた。それに気付いた直輝や悠希が彼女に声を掛けるのだが、結局はぐらかされたまま。


 実のところ、高校での直輝が実は公園で会っていた直輝だと告白する、と決心したのも、鋭い瞳を隠していた罪悪感以外にそういった朝陽の様子が要因の一つだったりする。



「げんきのでるおまじないしたら、えがおになってくれるかなー?」

「悠希のおまじないで元気にならない奴はいないからなぁ。……俺からも頼むよ」

「うん、わかった!! きょうこそあさちゃんをいっぱいいっぱいいーっぱい、げんきにしてみせる!!」

「ありがとな悠希。可愛くておまじないも出来るなんて、最高に頼もしいよ」



 さらさらとしたショートの髪を撫でると、はにかんだ悠希が「えへへ、うぇへへ」と恥ずかしそうにもじもじする。そんな様子に直輝が笑みを浮かべていると、次第にベンチが見えてきた。


 そこには、いつも通り朝陽の姿。



「———————」



 今まではスマホをいじりながら待っていた朝陽だったが、最近はずっとこのようにベンチの背もたれに体重を預けてぼんやりとしている。


 彼女の元気がないというのに、その端正な横顔と物思いにふける様子も相まって魅力的だという感想を抱いてしまった自分の心は、よこしまだろうか。


 罪悪感で思わず両手に力が入ってしまい、身体が強張ってしまう。



「なおちゃん、いたいよ」

「っ、あぁ、ごめんな悠希……!」

「ううん、ちょびっとだったからへいきだよ。どうしたの?」

「あー、ちょっと良心の呵責に苛まれたというか……。俺って嫌な奴だなぁって思ってな」

「? なおちゃんはカッコよくて、やさしいよ?」



 こてん、と可愛らしく首を傾げた悠希はこちらを見上げてそのように口にする。天使の如く穢れなき純真さに瞬時に理性を溶かされた直輝は、思い切りその小さな身体を抱きしめた。



「あーもうクソっ、悠希はホント良い子だなぁ……! よしよし……!」

「まいにちヘンなおかっこうでがっこーにいくけど」

「それは言わないお約束だぁー!」

「えへへ」

「あはは」

「「えははははははは」」

「———いや二人とも何してんの?」



 唐突に発せられたダウナーな声に振り返ってみると、そこには訝しげな表情でこちらへじとっとした視線を送っている朝陽の姿があった。


 この場所と彼女が座っていたベンチの間にはまだ距離があった筈なのだが、どうやら思っていたよりも声が大きかったのだろう。マイスィートシスター悠希に夢中で朝陽の接近に全く気が付かなかった。


 いつの間に立っていた彼女は制服のポケットに両手を突っ込みながら深く溜息をつく。



「やっほ、なおくん。ゆうちゃん」

「お、おっす、朝陽……!」

「こんにちは、あさちゃん!」

「それで、いきなり公衆の場で厳つい男子高校生といたいけな幼女が抱き合ってどうしたん? 何か嬉しいことでも———」

「あさちゃん! しゃがんでしゃがんでー!」

「んー、ゆうちゃんどうしたのー?」



 朝陽の言葉にやや棘があったような気がしたが、多分気の所為だろう。


 いくら公園で抱き合ったとしても、直輝と悠希は兄妹である。歳が離れているとはいえ、結構前からこの公園を利用しているので直輝を不審者と勘違いする利用者は滅多にいないだろうが、近くに子供連れもいるのでなるべく語弊が生まれてしまうような言い方は控えて欲しい。

 ……いや、字面で言えば間違っているわけではないのだが。


 それはともかく。にこやかな可愛らしい笑みを浮かべた悠希が途中で彼女の言葉を遮ったところを察するに、どうやら早速アレを実行するようだ。

 きょとんと不思議そうに小首を傾げる朝陽だったが、そのまま妹の言う通りにしゃがむ。


 そして、



「ぎゅー♪」

「ゆ、ゆうちゃん? いったいこれって———」

「げんきもりもりー! いたいのいたいの、とんでけー!」

「——————」

「ぎゅー♪ えへへ、どお、あさちゃん? げんきになった?」

「は? 滅茶苦茶カワイイんですけど?」



 どうやら悠希の可愛さに昇天したのか、逆にドスの効いた声を出しながらがばっと力強く抱きしめ返す朝陽。日頃から悠希を可愛がってくれているというのもあるが、実は朝陽は大の可愛い物好きなのだ。


 クレーンゲームなどでよく動物系の可愛いぬいぐるみをお迎えしているらしいのだが、自室に飾ってあるそれらが映った写真を、以前スマホでドヤ顔しながら見せつけてきた時はとても可愛かった。


 ……のだが、現在は些か目が据わっているように見える。



「なおくん、この子家に連れて帰ってもイイ?」

「いくら朝陽でもダメに決まってんだろ。つーかお前も俺と同じように抱きしめてるじゃん……」

「ウチは華の女子高生だからいーの。なおくんのはなんだか犯罪臭がした」

「否定出来ねぇ……」

「ん〜〜〜っ。ありがとう、ゆうちゃん。すっごく元気が出たよー?」

「えへへ、ほんとー? それならよかったです!」



 朝陽は自分の頬を悠希のほっぺたへすりすりすると、安心したような表情を浮かべた。未だ瞳の奥で憂慮が残ってはいるが、悠希の可愛らしいおまじないのおかげで少しでも彼女の中で息抜きが出来たのならば僥倖である。


 次は俺の番だ、と心の中で思った直輝は肩の力を抜く。そして妹へそっと話し掛けた。



「悠希、ごめんな? ちょっとだけ一人で遊んでてくれるか」

「えぇ〜〜、どうして〜〜?」

「なおくん……?」

「朝陽と、少し話がしたいんだ」

「!」

「うん、わかったー!」



 にこやかな笑みを浮かべた悠希はそう元気に返事を返すと、駆け出して行ってしまった。方向的に、どうやらベンチに座った位置からでも見える砂場で遊ぶみたいだ。


 そして、ぽつんと残された直輝と朝陽は顔を見合わせる。



「とりあえず、座るか。朝陽?」

「……うん」



 これまでより幾分か落ち着いた様子の朝陽へそう声を掛けると、二人並んでベンチへと向かったのだった。







「………………」

「………………」



 そのまま夕日に染まるベンチに座った直輝と朝陽。カァカァと空を飛ぶカラスの鳴き声が辺りへ十分に響く。


 二人の間に流れる無言の静寂。暫く間を開けてようやく口を開いたのは、彼女と話したいと提案した直輝だった。



「その……最近、元気なかったよな」

「…………ん、そうだね」

「朝陽さえ良ければ、理由を訊かせてくれねぇか? 勿論、本当に嫌だったら無理に訊こうとはしねぇが……」



 これまで何度か理由を訊こうとしてもはぐらかされてきた直輝だったが、勇気を出して再び切り込む。


 先程も言ったが、朝陽がぼーっとすることが多くなった原因はきっと直輝が続けてきた告白によるもの。告白宣言をしてから一ヶ月。荒療治とはいえ、幾度も告白を続けて朝陽のストレスになってしまったら本末転倒である。



(……あぁ、反吐が出る)



 思わず内心で毒を吐き掛ける直輝。勿論、自分へ向けて。


 朝陽への想いは揺るがないのだが、直輝は今回の自分の身勝手な行動が彼女を余計に苦しませる結果になったのではないか、と後悔や罪悪感に駆られていた。それに明日に本当のことを打ち明けようと思っている癖に、朝陽の心情を事前に知っておこうなど卑怯極まりないだろう。


 表面上ではこうして彼女の身を案じていても結局は傷つくのが怖いんだろうな、と直輝は自分の矮小さ加減にうんざりしてしまう。


 なんとか自虐的な心情を抑えつつ、直輝は朝陽からの返事を静かに待つ。すると、隣の朝陽がぽつりと声を出して呟いた。



「……前さ、ウチの高校の男子に告白されたって言ったじゃん?」

「あぁ」

「実を言うと、今日に至るまで一ヶ月間ずっと告白されてたんだ。ウチ」

「……そっか」

「そっかって……なおくんはドライだなー。ふつーそんな回数告白されてたら驚くと思うけど?」



 からからと気怠げな表情のまま笑みを浮かべる朝陽。彼女はそのまま言葉を続けた。



「初めはさ、なんだコイツって思った。七三分けだし、瓶底メガネだし、格好がダサいといえど隣のクラスにまで名前が知れている真面目クンが、なんでウチに告白なんてしてくるんだろうって」

「………………」

「きらきらした真っ直ぐな目で、何度も自分の気持ちを伝えるなんて言ってさ。最初こそ屋上で話し掛けられても無視してたけど、それでもアイツ、めげずに何度も告白してきたんだ」

「………………」

「告白される事はあっても、告白され続けるのは初めてでさ。たぶん……ウチは、嬉しいんだと思う」

「朝陽…………」



 彼女は目を細めながら高校での直輝との出来事を紡ぐ。笑顔、というわけではなかったが、その瞳はとても優しい光を宿していた。


 なんだか変な話だが、自分に負けたようでちょっぴり嫉妬してしまう。



「あ、で、でも勘違いしないでっ。嬉しいっていう感情と告白を受けるかどうかっていうのはまた別の話だからっ!」

「お、おう」

「ただ、そういう真っ直ぐな気持ちをぶつけられると、どういう反応をしたら良いのかわかんなかったから今まで悩んでたんだ」

「そ、っか……」



 直輝が実行に移した朝陽への告白。実は迷惑だったのではないかと戦々恐々と心配してばかりだったが、嫌われていないようでほっと一安心だ。


 しかし一方で、こういったズルい方法で朝陽の心の内を知ってしまった罪悪感で胸がちくりと痛む。


 朝陽はぐーッと両手を前に組んで背を伸ばすと、再び口を開いた。



「でも、なおくんにこうして打ち明けてだいぶスッキリしたかな。悪い噂が消えなくても……いつまでも、逃げてちゃダメだよね」

「逃げてちゃ、ダメ……」

「うん。明日、ちゃんと自分の気持ちを伝える事にするよ。ありがとう、なおくん。話に付き合ってくれて」



 そう言ってこちらに向かってにこりと微笑むと、朝陽は砂場で遊んでいる悠希のところへゆっくりと駆け出した。


 そんな姿をベンチから眺める直輝。強いな、と思うと同時に膝の上に置いた拳をぎゅっと握った。



「……俺も、しっかりキミに向き合うよ。朝陽」



 彼女へ本当のことを伝える明日へ、想いを馳せながら。













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