第2話 二人の出会い
「ねーねーなおちゃん! いっしょにおすなあそびしよー!」
「もうそろそろ帰らねぇと、夕飯の支度遅れんだけど」
「うぅぅやぁーだー! したいしたいしたいしたいしたいしたいしーたーいーっ!」
「全く、うちの姫さんは我儘だな。……仕方ねぇ、少しだけだぞ」
「えへへ、やったぁー!」
嬉しそうにしながら一目散に広い公園の砂場に直行すると、保育園の制服を着た女の子はやや大きめの砂場でお山を作り始めた。あれほど滑り台やブランコで遊び倒したというのに、一切の疲れを見せないのは大人顔負けと言うべきか。
直輝には歳の離れた妹がいた。名前は
両親は二人とも共働きで帰りが遅く、保育園に迎えに行ったり、家の家事や悠希の面倒を見るのは基本的に直輝の役割だった。あの時はまさか小学校高学年の時分に妹が出来るとは思わなかったが、悠希とこうして一緒に過ごしていると元気を貰えるので、今となってはかけがえのない存在だ。
「…………ん?」
しばらく我が姫様のご所望でしゃがみながら『かたくてキレーな泥だんご』をせっせと拵えていると、突如視界の端で不自然な光景を捉えた。
公園周辺は夕日で茜色に照らされている。昼間に比べてやや認識しづらい色合いだったが、どうやら制服を着た髪の長い少女が公園の芝生の上で四つん這いになりながら何かを探しているらしい。
かなり見覚えのある高校の制服を着ているので、おそらく直輝と同じ高校の生徒だろうと見当を付ける。
(…………なにしてんだ?)
直輝は思わず訝しげな表情になりながらそちらを注視する。
もうすぐで薄暗くなってしまうというのに、高校生の女の子がたった一人で公園にいるというのは不自然だし、遠目から見ても焦っている雰囲気なのは丸わかりだ。
(……ま、俺には関係ないか)
そんな光景から視線を戻すと、直輝は再び集中して泥団子作りに着手する。
もしお人好しならばこういった場面に遭遇した場合、自分から率先して手伝いを申し出るのだろうが、残念ながら直輝はドライな性格だ。いくら同じ高校の生徒といえど全く興味や関心が持てなかったので、赤の他人よりも自分の家族を優先してしまうのは仕方なかった。
近くに水飲み場があるので、砂に少量の水を含ませながらまん丸に形を整えて、うっすらと砂をまぶしていく作業を繰り返し行なう。
こうして遊んでいると、自分の小さい頃を思い出す。まるで童心に帰ったような気持ちになり逆に泥団子作りに夢中になってしまう直輝だったが、ふと我に帰る。
———悠希が、隣にいない。
「悠希……? っ、悠希、どこに行ったんだ、悠———!?」
「———ねーねー、おねーちゃん、なにしてるの?」
「っ!」
慌てて妹の声が聞こえてきた方へ視線を向けると、どうやら少し離れた場所にいる先程の少女に話しかけているようだった。
悠希をすぐに発見出来た直輝はいつの間にあんな遠くに、という驚きで思わず舌を巻く。そして良かった、とほっと胸を撫で下ろして安堵したのち、ひたすら猛省した。
一瞬でも気を緩ませてしまったとはいえ、保護者の立場である以上降りかかる危険やリスクはある程度想定して回避しなければいけない。今回の場合は迷子や誘拐といった危険性である。なんにでも興味を持ち始める好奇心旺盛な年頃だから、というのは言い訳にならない。
改めて自分がしっかりしなければという覚悟を固めつつ、ゆっくりと立ち上がった直輝は妹と少女がいる場所へと足を向ける。
「ねーねー、なにしてるのー?」
「……え? あ、あー……ちょっと、探し物してるんだー」
「さがしものってなぁにー?」
「えーっと、そ、そうだねー……。透明で、とーっても見えにくいレンズだよ」
「れんず、ってなにー?」
「……あー、そっか。うーん、コンタクトレンズって言って伝わるかな……?」
「———こら悠希ー。お姉さんを困らせちゃダメだろ」
直輝が声を掛けながら近づくと、二人はこちらに顔を向ける。悠希の小さな頭にポンポンと手を乗せると「なおちゃん!」と嬉しそうに言ってにこりと満面の笑みを浮かべた。もうホントうちの妹マジ天使。
それはともかく、少女へ視線を向ける。容姿や格好から鑑みるにギャルと表現するのが正しいだろう。さらさらとした長い黒髪にすらっと細い手足、よくよく見れば端正な顔立ちをしているので、さぞかし高校ではモテるに違いない。少なくとも同じクラスではないので、おそらく先輩だろうか。
極力自分の鋭い瞳で相手を怖がらせないように笑みを浮かべた。
「すまん、うちの妹が迷惑をかけた」
「っ、……気にしないで」
「それと、だな」
「……なに?」
「その、そろそろ寒くなってきたし……ワイシャツのボタン、上までちゃんとしめた方が良いぞ。……胸の谷間、ちょっと見える」
「……? …………ッ!!」
少しだけ恥じらいがあったが、なんとか我慢しつつ直輝が指摘した瞬間、少女は少しだけきょとんとした表情になる。そして今の自分の体勢に気付いたのか、慌てて立ち上がった。辺りが夕陽の色に染まっていて顔の色はわからないが、きっと真っ赤なのだろう。
彼女は胸元を腕で押さえながらこちらをキッと睨みつけるとこう言い放った。
「…………最っ低」
「なっ!?」
「なおちゃんサイテー。ゆうきしってるー、『でりかしー』がないにんげんって『じんけん』がないんでしょー?」
「悠希、いつそんな言葉覚えてきたんだ!?」
二人からじとっとした視線を向けられた直輝は思わずたじろんでしまう。妹が普段使わない言葉を使った(おそらく保育園で覚えた)こともそうだが、制服を着崩した格好を少女が自分からしているというのに、その事を指摘しただけで非難されてしまったからだ。昔からそうだが、やはり女心というのはよくわからない。
はぁ、と直輝は深く息を吐くと、そのまま言葉を続けた。
「とりあえず、もうそろそろ帰るぞ悠希。夕飯の支度マジで遅れる」
「えー、でもおねーちゃんこまってるよー?」
「あー……うーん、そうだなぁ」
先程の二人の会話から、少女が探しているのはコンタクトレンズだというのは把握済み。しかし、だからといって探すのを手伝うのかは別問題である。こうして関わってしまったとしても赤の他人であるし、どちらかといえば自分の時間や家族の時間を優先したい。
しかし、と直輝はちらりと少女へ視線を向ける。
今しがた不躾な視線を向けられたばかりだが、彼女も彼女なりに困っているのは間違いない。妹も関心を持ってしまった以上、ここで無情に立ち去ってしまうのはなんだか兄としての威厳がなくなってしまう様な気がした。
直輝はがしがしと頭を掻くと、再度息を吐いた。
「———で、コンタクトは両方無くしたのか? それとも片方?」
「か、片方だけど……別にそっちはもう大丈夫。ワンウィークタイプで後二日位だったし……」
「つまり別の本命があるって訳か。それはなんだ?」
「あ、あれ……」
少女が近くの芝生を指差すと、地面には作りかけの花冠が置いてあった。
どうやらシロツメクサで出来た花冠のようで、まだ完成には半分も至っていない。
「……その、妹、ウチにもいるんだけどさ。今日誕生日なんだ。お姫様になりたいって言うから、少しでも凝ったヤツ渡そうかなって考えてここで作ってたのは良いけど、目にゴミが入って……。痒くて擦ってたら取れちゃったんだ」
「なるほどな、それで花冠が作れなくなって必死にコンタクトを探してたと」
「……その言い方、ウチが何か探しているのは知ってたんだ?」
「まぁな」
「…………やっぱ、サイテー」
なんだか一段と凍えた視線に変わった気がしたが、詳細な事情は理解した。
今日誕生日の妹を喜ばせたい一心で花冠を作っているだなんて、なんとも可愛らしくて健気ではないか。ギャルっぽい見た目なのでコンタクトを落としたのはどうせ自業自得だろうと勝手に決めつけていたが、どうやら直輝の思い込みだったようだ。
そもそも見た目で決めつけられるのは自分も苦手なのだ。だというのに、彼女をそのように見てしまった事実に引け目を感じてしまう。
「……悪かったよ」
「え?」
「そろそろ日が暮れて辺りが薄暗くなる時間だ。コンタクトがない状態でアンタが花冠を作るとしても時間が掛かっちまうだろうし、俺が作っても良いか?」
「だ、大丈夫だけど……。良いの?」
「なおちゃんはねー! とーってもきようだからいろんなのつくってくれるんだよー!!」
ほらー、と元気よく悠希がギャル少女に手首を掲げると、今日公園に来て一番最初に直輝が作ってあげたシロツメクサの腕輪を見せつける。
彼女はきょとんとしながら腕輪と直輝の顔を交互に見遣るが、きっとこんな目付きの悪い野郎が可愛らしい物を作ったなど信じられないのだろう。幼い悠希を喜ばせたい思いでそういった物を作れるようにたくさん覚えたのだが、ギャル少女の中では直輝の見た目との食い違いが起こっているに違いない。
それはともかく、街灯があるとはいえ時間的に早く作らないとこちらも夕食の支度が遅れてしまう。そう考えた直輝が草冠が置いてある場所に近づくと、その場にどかっと座ってそれを拾い上げた。
視線を合わせずに周囲に咲いてるシロツメクサを摘むとそのまま口を開く。
「ちゃっちゃと作るから、ちょっと待ってろ」
「あ、う、うん……」
まだ花冠の完成には半分にも至ってはいないが、観察してみるとばらつきがある割に丁寧にシロツメクサが編み込まれていることがよく分かる。
直輝は思わず頬が緩んだ。きっと花冠を作る事に慣れていないが元々直輝と同じで手先が器用な人間なのだろう。しかもこういったハンドメイドは出来によって作り手の性格がわかってしまう。見た目はアレだが真面目な性格なんだろうな、という感想を抱きつつ、素早く、尚且つバランス良く芯を中心に巻きながら編み込んでいく。
体感にして約十分程だろうか。シロツメクサの花冠がようやく出来上がった。少女はどこだろうか、と周囲を見渡してみるとどうやら近くのベンチに座りながら悠希と会話をしているようだ。
互いに笑みを浮かべながら言葉を交わしている様子を見た直輝は口元を綻ばせる。完成した花冠を手にしながら近づくと、どうやら向こうもこちらに気がついたみたいだった。
「悠希の面倒見てくれてありがとな。ほら、これで良いか?」
「あ、ありがとう……」
「じゃ、俺と悠希は帰るわ。アンタも遅くならないうちに帰れよ」
「おねーちゃんまたねー!!」
ギャル少女に花冠を手渡すと、直輝は悠希と手を繋ぎながら彼女にそう声を掛けた。悠希も空いている手をぶんぶんと元気良く振りながら笑みを向ける。
街灯があるとはいえ、周囲も既に薄暗い。用は済んだと直輝たちは帰ろうとするが、背中に声が掛かる。
「ねぇ」
「ん? どうした?」
「二人は、よくここに来るの?」
「んー、まぁこの公園の近くに悠希が通ってる保育園があるから、確かによく来るな」
「そっか。……わかった」
「? じゃあな」
頻繁に公園に来るのかといきなり尋ねられたが、いったいどういう意図なのだろうか。何故か頬を染めていた様子を不思議に思いつつも、二人はそのまま帰宅したのだった。
次の日、悠希と公園で遊んでいたらまさか再びギャル少女と出会う事になるとは、この時の直輝は知る由もなかった。
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