東日本大震災に寄せて(2021.3.11)
森内 環月
東日本大震災に寄せて(2021年3月11日)
東日本大震災に寄せて
拝啓 ハヤシ君へ。 お元気でしょうか。
あれから十年経ちましたね。
あなたが今どこにいるのか、そして何をしているのか、私にはわかりません。そして、あなたが私のことを覚えているのかどうかも。
ただ、今あなたが生きているこの一瞬一瞬が輝いているのであれば、私のことなど、どうだって良いのです。たった一年しか過ごさなかった時間でも、私はあなたのことを覚えていますから。
あなたは、私たちが四年生だったときに転校してきましたね。
背の高い大きな子だ、というのが私の印象です。けれども、ただ背が高かっただけではないのでしょう。あなたの後ろにある何か、が私にあなたを大きく見せていたのだと思います。
そして、もうひとつ。あなたが溢れんばかりの笑顔でにこにこと笑っていたことも、とても心に残っています。大きな悲しみと新しい環境のなかで、素敵な笑顔を見せていたあなたを今更のように尊敬します。
福岡から同じ時期に転校してきた子もいましたね。当時の私は、まだ日本地図をまともに全部は覚えていなくって、同じ『福』とついているだけで、場所の区別も曖昧だったのだなあ、と懐かしく思います。(もちろん、今はちゃんとわかりますよ)
あの当時、たくさんの人があなたに「大変だったね」という言葉をかけたと思います。けれども、今になって思えば、この「大変」という言葉は、なんて短くて、なんて含まれている意味が大きいのでしょう。「大変だったね」という言葉よりもずっと大きなものを、あなたはあの笑顔の下で抱えていたはずなのに。
あれから十年が経ちました。
私は色々なことを学び、様々なことを経験し、そしてたくさんのことを忘れてきました。
あなたと一緒に学んだ小学校での出来事も、もう半分くらいは覚えていません。だって、もう十年もたっていますから。
けれども、どうしてかはわかりませんけれども、あなたが不意にした言葉を覚えています。
何の授業だったのかは覚えていません。
国語だったのか、算数だったのか、はたまた図工だったのか、もしかすると給食の時だったのかもしれません。
けれども、四人くらいで机をガタガタとくっつき合わせた班に、私とあなたがいました。他のメンバーは…残念ながら、覚えていません。(筆箱をカタカタとさせていたのは覚えているので、きっと給食の時間ではありませんね。)
「じゃあ、問題です!」と突然あなたは言いましたね。メンバーすら覚えていないのですから、突然、ではなく、何かしら前置きのような話があったのでしょうけれど。けれども、私は次の質問に、小学校四年生ながら絶句しました。絶句です。文字通り、言葉を失いました。
「ここに残るのとフクシマの地元に帰るの、俺はどっちがいいでしょう?」
少しして、こっちじゃないの?と他のグループの子がおずおずと言いました。あなたはやはり笑顔のまま言いました。
「ううん。確かに、ここはめっちゃ楽しいよ。だけど、向こうでの友達もいっぱいいるし、俺は向こうで育ったからね」
「危なくても?」
「うん」
きっぱりと言い切るあなたに、そっか、と私は言いました。いえ、違います。それしか言うことができませんでした。
あなたは、これまでにも「フクシマではね〜」という話を幾度となくしてくれましたが、あの大きな悲しい出来事への思いを話していたのは、その時くらいだったのではないでしょうか。その時のあなたは相変わらず笑っていましたが、どこか寂しげな表情でした。
あの大きな悲しい出来事があった日、私たちはほんの小さな子供でした。天井はガタガタとなり、ロッカーからピアニカが一斉にごとごとと床に落ちてゆきました。放送からは「落ち着いて机の下に隠れなさい!」という焦りが少し混じった偉い先生の声が聞こえ、帰り道ではおかしな方向に傾いた電信柱にゾッとしました。多くの子が泣いていました。
あなたは、それ以上のものを体験したのでしょう。いえ、別に比べてどうこうと言いたいわけではありません。より大きなものを背負っている人がたくさん悲しんでもいいとか、そういうくだらないことを言いたいわけではないのです。
けれども、その数ヶ月後に私たちの前に笑顔で立っていたあなたにとって、あの一年間は、楽しかったという思い出のピースの一つであれば、と私は願わずにはいられません。
あなたが来てからちょうど一年後に、あなたはフクシマへ戻り、同時期に私は関西へ転校しました。新しい環境にいくということが、幼い頃の出来事や地元について共有し得る友人のいないことが、なんて難しく寂しいものなのかということを私は身をもって体感しました。
それからというものの、私は幾度となくあなたの言葉を思い出します。この文面からして、もう分かってしまったことでしょうが、私はどうも忘れっぽいようです。ひょっとすると、あと幾年かすれば、あなたの顔も名前も忘れてしまっているかもしれません。
世の中も同じなのでしょう。「あれから十年が経ちました」という報道を、この一週間でたくさんみました。世間は、忘れっぽいにも関わらず、だからなのでしょう。あの日の大きな悲しみを忘れることを許してはくれません。けれども、それは『記憶』ではなく単なる『事実』というものになってしまうのではないでしょうか。テレビで見た、建物が大きく崩れたという『事実』。高い大きな波が町を飲み込んでいったという『事実』。『事実』は覚えていても、そこには何の『思い』はありません。私は安全が確保された場所で、その映像を見ただけに過ぎないのですから。
ならば、私はあなたが話してくれた、あの『思い』を覚えておこうと思うのです。あなたとの会話で感じたこと、そしてあなたがありのままに話してくれた『思い』をきちんと覚えておこうと思います。
思ったよりも、長くなってしまいましたね。この手紙は、きっとあなたには届かないでしょうし、私がこの文面以外で話すこともないでしょう。私が覚えている、そのことだけが重要だと思うのです。
では、あなたが今日この日も周りの人を幸せにする笑顔であると信じて。 敬具
2021年3月11日
あなたとクラスメイトだった友人より
東日本大震災に寄せて(2021.3.11) 森内 環月 @kan_mori13
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