ディナー・ショー

 美山から神戸は高速が使えたから二時間ちょっとで帰って来れた。そうそうコウさんはハーレー。1800CCもある化物みたいな大型バイク。でもコウさんが乗ると格好イイんだ。あんなに大きいのに余裕で取り回すから、その姿だけでシビレた。


 生田川ICを下りたら、いったんはお別れ。今日のコウさんの仕事は本業の方。つまりギャラが発生する方だって。別れ際に名刺の裏に何やら書いて、


「それを見せたら入れます」


 こんな字を書くのだと思ったけど、なんて書いてあるか読めないよ。これは字が汚いと言うより極度のクセ字と言うか、達筆すぎる崩し字かもしれない。こんなもんで大丈夫なんだろうか。今夜は本業の方だから、レストランへの入店はプラチナ・チケットなんだけどな。


 そこを心配しても始まらないから、まずは家に帰らないと。それにしてもこんな事になるとは思いもしなかった。タバスコ買いに行ったら、そのまま四泊五日のサスペンス・ツーリングになっちゃったもんね。


 マンションの前に来た時にさすがにドキドキした。また黒塗りのクルマがいるんじゃないかってね。もちろんいなかったから、バイクを駐輪場に置いて、


「ただいま」

「タバスコ買ってきてくれた」


 おいおい、それかよ。我が母ながら、まともじゃないよな。とりあえずシャワーを浴びて汚れを落としてお母ちゃんと服の相談。ユリが持っている服じゃ、どうにも場違い感が強いのよね。


「そういうデートか」


 まだデートじゃないけど、


「まずはどの下着にするかが基本よね」


 どこがだ。いきなりそこまで行く訳ないじゃないの。コウさんとの関係はタダの友だちだ。


「ユリはまだバージンだから、ここは清楚な白が無難か・・・」


 まだ言うか。だからヒモパンを出して来るなって。つうか、どうして持ってるんだよ。


「時間がないから急ぐよ」


 えっ、どこに行くの。それよりお母ちゃんの服を貸してよね。


「あんたはアホか。サイズが合うわけないでしょうが」


 そうだった。そこから美容院に連れて行かれて、セットとメイクと、これってイブニング・ドレスだとか。


「馬子にも衣装だわ」


 自分の娘に言う言葉か。


「女になって帰ってこい」


 だ か ら、仮にも実の母親だろうが。こんな格好でバイクになんか乗れるわけがないし、電車も無理がありそうだからタクシーでオークラへ。自慢じゃないけど初めて入るから緊張した。えっと、えっと、レストランに行くには・・・


 しっかし派手なドレスだ。ここまで胸元を開けなくてもイイじゃない。体の線だってビバシに見えるからなんとなく視線が痛い。スカートのスリットも深すぎるんじゃい。見えそうで恥しいよ。


 それより何よりピンヒールが歩きにくい。転びそうで怖いったらありゃしない。なんとかエレベーターから下りたら、ここだ。なるほど今夜はディナー・ショーになってるんだな。


「Welcome. I will look at the ticket」


 だから日本人だって。


「これは失礼いたしました」

「これを持って行くように言われたのですか」


 コウさんの名刺を渡すと、


「かしこまりました。御案内します」


 へぇ、あれが読めるんだ。読めなきゃ困ることになってたけど。さすがにみんな着飾ってるよ。いつもの服で来てたら赤っ恥をかくところだった。テーブルに案内されたけどピアノが良く見える席なのは良いけどユリ一人か。ちょっと寂しい。料理はどうなっているのかな。


「いらっしゃいませ。アミューズでございます」


 アミューズってなんだ。居酒屋の突き出しみたいなものか。そしたら違う人が来て、


「What would you like to drink」


 だ か ら日本人だって。これが噂に聞くソムリエって人かもしれない。尋ねられているのは食前酒みたいだけど、なにが良いのだろう。つうか、こういう時って何があるんだろう。参ったな、メニューぐらい持って来いよ。


「とくにご希望が無ければ、コウ様より承っているものがございますが」

「それにして下さい」


 助かった。食前酒を飲み終わった頃にコウさんが登場。そこから演奏をBGMにディナーだ。こういう時は両端からフォークとナイフを使って行くんだよな。ユリだって、それぐらいは知ってるよ。


 それとカチャカチャと音を立てないのと、ズズっと啜ったりはマナー違反だ。これはセットをしながらお母ちゃんに教えてもらった。てかだよ、お母ちゃんはあんだけ儲けてるのにユリをこういう店に連れてこないんだよ。これも聞いたことがあるけど、


「ああそれ。ああいう店って肩凝るでしょ。だから居酒屋で気楽に飲むほうが楽しいじゃない」


 それはそうかもしれないけど、こういう時に恥かくじゃない。


「だいじょうぶよ。一流の店ほど客に恥なんかかかせないから」


 コースは進むのだけど、勝手にワインが出てくるからラクチン。料理も美味しいとは思うけど、一人で食べるのは寂しいよ。なんかこんなドラマがあったよな。中年男のボッチ飯のグルメを描いたやつ。でもさぁ、こんなリッチな店でボッチ飯はいくらなんでもだよ。


 でもコウさんの演奏は素晴らしい。やっぱり天才だよ。ずっと聴いていたいとも思うけど、演奏が終わらない限りボッチ飯のままなのが恨めしい。でも今夜はどんな話になるのだろう。


 たぶんだけインポ話はないと思う。いくらなんでも、この雰囲気でインポ話が出てくるのはありえないと思うもの。だったら、交際の申し込みって言いたいのだけど、彼女は作らないって言ってたものね。


 あれやこれやと考えているうちにコースはデザートからコーヒーに。ボッチ・ディナーの完成だ。美味しかったけど。見渡してもボッチ飯なんてやっているのはユリだけだから、逆の意味で注目されてる感じすらする。


 演奏の方はアンコールも終わった。それにしても、これからどうするのかな。今からコウさんがディナーを食べるとか。それじゃ、タッグマッチ・ディナーみたいだな。そんなことを考えていたらコウさんが登場。


「お待たせしてすみません。ディナーは楽しんで頂けましたか」


 楽しんだのは楽しんだけど、ボッチ飯だったなんて他人には自慢できないな。でもご馳走してもらってるから、ここは無難に答えといた。


「ワインもどうでした」


 わかんないよ。だってあんまり飲んだことないんだもの。やっぱりビールと酎ハイ。あとは日本酒ぐらいだし。それでもソムリエ相手に問答せずに済んだのは感謝してる。


「それにしても素敵なドレスです」


 レンタルだけどね。つうか今日に言われて準備できるか。ちなみにアクセサリーもバックもお母ちゃんからの借り物。靴はさすがに買ったけど痛いよ。普段はライディング・シューズだものね。


「ここではゆっくり話せませんから、少し場所を変えます」


 そうなるか。どこ行くんだろう。

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