恋の予感

 改めてみるとやっぱりイケメンだ。背だってユリより高いもの。それに指が綺麗だ。ピアニストらしく長い指もシビレそう。見惚れてたら、


「ユリ、ここでお別れね」

「後は頑張りや」


 ちょっと、ちょっと、ユリを置いてく気。


「ここから神戸は余裕で帰れるで」

「コウだって今夜は神戸でしょ。ユリを頼んだわよ」


 いきなりそんなシチュエーションは困るよ。コウさんだってそうのはず。


「かしこまりました。ちゃんとエスコートさせて頂きます」


 えっ、イイの。


「じゃあね」

「子守りよろしく」


 誰の子守りじゃ。でも行っちゃった。でも困るよ。話すのは二度目だけど、どこから話し出したら良いものやら。これじゃ、まるで見合いだよ。


「あははは、あのお二人には困ったもので」

「ユリさんに残ってもらえて嬉しいです」


 ホントかな。むしろ押しつけられて迷惑じゃ。


「ここでの演奏はユリさんに捧げさせてもらいます」

「そ、そんなぁ」


 コウさんはいきなり弾き始めたんだ。これって、プロムナードだから展覧会の絵じゃない。あれはラベル編曲のオーケストラがポピュラーだけど、原曲はピアノなのは知ってるけど・・・見事だ。


 この曲はムソグルスキーが友人の画家の遺作展を見に行った時に着想したものだと言われてる。十枚の絵に対して曲を作り、プロムナードは絵と絵の間に歩いてい様子を表してるとも言われる組曲。フィナーレのキエフの大門が有名かな。


 ピアノは鍵盤を叩けば音が出る楽器だけど、演奏者によって音の響きが違うんだよ。それでね、コウさんのピアノは信じられないほどの音が出てるんだ。それこそ魂が揺さぶられる感じ。なんかだんだん人が集まってきた。


 次はピアノソナタの熱情だ。これは悲愴、月光と並ぶ三大ピアノソナタと呼ばれるぐらいの名曲中の名曲なんだ。ユリの独りよがりだと思うけど、コウさんの熱い想いが伝わってくる感じがする。


 既に縁側の先の庭には人がいっぱいいるし。板間にもビッシリじゃない。クラシックだけど、コウさんのピアノの力はこれだけの聴衆を集めちゃうんだ。次はなんだろう。それとも二曲で終わりかな・・・で、でたぁ、ラ・カンパネラだ。今から弾くって言うの。とにかく難曲として有名で、


『即興から生まれているとしか言いようがなく、右手で弾いたらなんでも無いのに左手を交差するように指示していたり、音でも視覚でも魅せるように意識して、わざと難しくなるように楽譜に書き添えていて、リストは真のヴィルトゥオーソだったと思う』


 こう言われるぐらい。ピアノの神様みたいな存在のホロビッツが演奏不可能としたぐらいの難曲中の難曲。それなのに、それなのに、なんて軽やかに弾くのよ。もううっとり聴き惚れてた。


 民俗資料館はもうすし詰め状態。そりゃ聞きたいよ。コウさんのラ・カンパネラなんてプラチナ・チケットの争奪戦に勝たない限り聴けるものじゃないもの。それをこんなところで無料で聴ける幸せは言葉になんか出来ないよ。ここでコウは立ち上がり、


「ストリート・ピアニストのコウです。今日はこんな素晴らしいところで、こんな素敵なピアノを弾かせて頂いて幸せです」


 そりゃもうの拍手喝采。そしたらねユリを呼ぶのよ。


「最後は連弾をお楽しみ下さい」


 待ってよ、待ってよ。ユリもピアノを習ってたし、それなりに弾けるけど、コウさんと連弾なんて無理に決まってる。腕が違い過ぎる。そしたらコウさんがユリの耳元で、


「心配しないで。ちゃんと合わせますから」


 覚悟を決めて弾いたんだけど、あれはなに。あんなに合わすことが出来るってウソみたい。コウさんはユリの弾く様子を見ながら完璧に合わせてくれたし、ミスしたところもフォローしてくれてる。なんかユリの腕前が何段もあがったみたいだ。弾き終わると、


「ありがとうございました。連弾をして頂いたユリさんにも拍手を」


 そりゃもうの拍手を浴びちゃったんだ。夢見心地とはまさにこのこと。それから民俗資料館を出て、川の近くの駐車場に移動。二人で神戸へのツーリングになったんだよ。何がどうなってるのかわからなくなっちゃったもの。


 バイクを走らせながら胸をドキドキさせてた。ドキドキは連弾が始まってからずっとだけど、ここまでしてくれるってもしかしたらコウさんはユリの事を・・・でも一昨日出会ったばかりだよ。


 恋は突然生まれてもおかしくないし、一目惚れって言葉もある。少しだけ冷静に考えると、あの二人組の行動もおかしい。どう見たって、今日美山でコウさんが演奏するのを知ってたはず。


 それぐらい聞き出していてもおかしくないけど、ユリをコウさんと二人にした意味はなによ。ユリがコウさんに気があるのを知ったのもあると思うけど、もしかして、もしかして、コウさんだってユリに気があるのを知ってのお膳立てにも見えて来た。


 そうじゃなければ、置き去りにされたユリへの態度がおかしいじゃない。サプライズでされたら、あんな態度を取れないはず。だってだって、そうなるのを予期していたみたいにコウさんは振舞ってるもの。


 ユリの気持ちはOKだよ。濁河温泉で初めて見た時からOKだ。コウさんならなんの文句も無い、だけど問題はそこじゃない。ユリがコウさんに釣り合っているかどうかの方がよほど心配だもの。


 途中のファミレスでランチにしたんだけど、先走った変な推測やってたから、かなり気まずい。良く考えなくてもコウさんは有名人で、ユリは無名も良いところの女子大生だものね。やっぱりコウさんはユリを頼まれただけかもしれないじゃない。


 あの二人がユリのコウさんへの気持ちを感づいたにしても、単にこういうシチュエーションでチャンスを与えただけかもしれないもの。どうしよう、どうしよう。切羽詰まって、テンパって、思わず出た言葉が、


「コウさんは白人女は嫌いじゃないですか」


 しまった。日頃のコンプレックスが出ちゃったよ。見た目は日本人に見えない生活を送り続けてるから、つい出ちゃった。


「美しい人に洋の東西は関係ありません。ユリさんが心も素敵な方なのは存じています」


 どこまでが本音で、どこからがお世辞だろう。コウさんって、誰にでもこんな言い方をするのかもしれないよ。でもこのチャンスを逃したら二度とないかもしれない。


「良かったら、お友だちにして欲しいのですが」


 さすがに彼氏になってくれは言えなかった。言いたかったけど、喉につっかえて言えなかったんだよ。


「喜んで」


 やったぁ。第一関門突破だ。ここで躓いたらすべてが終わるものね。そうだそうだ、順序が逆になっちゃったけど、


「コウさんには彼女はいないのですか?」


 コウさんは少しだけ難しそうな顔をして、


「いません。これからも作れそうにはありません」


 が~ん。いきなり終わった。やっぱりユリは対象外だ。ここまでの幸せな気分は根こそぎ吹っ飛んでいった。もうユリは真っ暗、奈落の底に叩き込まれちゃった。世の中、そんなに美味しい話なんてあるはずないよね。もう帰ろう。するとコウさんはなにか焦ったみたいに、


「ユリさんは素敵な女性です」


 もうイイよ。取って付けた慰めは余計に傷つくから。


「ボクだって愛せる人が欲しいし、結婚だってしたい」


 はいはい、ユリ以外に見つけてね。


「でも出来ないのです」


 はぁ、理想が高すぎて見つからないとか。勝手にしたらイイじゃない。ユリには関係ない話だし、


「ボクに問題があるのです」


 まさかホモだとか。いやホモだって結婚できる。そりゃ、子どもは出来ないけど、養子を取って育ててるのがいるぐらいは知ってるぞ。それとも、まさか、まさかのインポだとか。それなら仕方ないけど、


「なにか誤解されてるようですが、この話をわかってもらうには、もう少し時間が必要です。今晩は空いていますか」


 レポートの締め切りが迫ってるけど、さすがに今晩に書く気はないから、空いてるのは空いてる。お母ちゃんは夜に出かけるのにハードルがない人だよ。つか、どうして若い女が家に燻ってるんだって嫌味を言われるぐらいだ。


 でもなんの話があるって言うんだよ。まさかインポ治療の講釈とか治療の見通しじゃないだろうな。そんな話を真昼間にするものじゃないけど、夜だって相応しいとは言えないぞ。そもそも男と女が熱く語り合うものじゃないだろうが。


「それは良かった。今夜はホテル・オークラのレストランで弾きますから、その後にお時間をください」


 オークラだって、ひぇぇぇ、そんなとこ行ったことないよ。


「それはご心配なく。ちゃんと手配しておきますし、お食事も用意しておきます」


 それは有難いけど、着て行く服に困る。

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