第13話 感情の波

 彼女はギルド長、ギル・ブライトの秘書であり、彼の妻でもある。ギルとの年齢は一回りも離れており、親子に見られることも少なくない。都合が悪くなければ勘違いされたままでもよいと考えてそれいるが、それは彼女だけのようでギルはいつもすぐに訂正してしまう。親子に見られるのを少し楽しんでいる所があるのはギルには内緒だ。

 彼女の名はキャメル・ブライト。執務室で一人書類と向き合っていた彼女は訓練所で鳴り響く爆音を聞き、飛び上がった。


「キャメルさん!」


 執務室の見張りをさせている大男のうちの一人、ビッグトムが執務室の扉を開けた。焦った様子を見せている彼がキャメルに指示を仰いでいる。


「え、えぇ。すぐに向かうわよ」


 そう言ってキャメルは常に腰に提げている刀に手を当て、走り出した。トムはキャメルが扉をくぐるのを見届けてから跡を追う。


「ボブはそこにいて」

「……んむぅ」


 もう一人の見張りをそのまま待機させ、二人は走り出す。

 爆音はギルド中に響き渡ったのだろう。ギルドがざわついている。内何人かは、音の発生源が訓練所だと気づき、走り出している。何があったのか分からない。もしかしたら敵襲かもしれない。もし敵だとしたら何者か。もしや「アダムス」?いや、周到な彼らがいきなりギルド本拠地を襲ってくるとは考えにくい。

 とにかく何かあったのなら間に合え。まとまらない思考をひたすら巡らせながらキャメルは走った。


「おい!大丈夫か!」

「意識がねぇ!」

「こっちは足がだめになっちまってる!」

「治療系の異能者は居ないの!?」


 キャメルが訓練所に着くころにはたくさんの討伐者が何やら騒いでいた。人だかりをすり抜けて中心へ向かう。中心に向かえば向かうだけ人の声が大きくなる。真剣味を帯びている声にキャメルはただ事ではないことを悟った。


「キャメルさんを呼べ!」


 誰かが叫ぶ。


「ここにいるわ」

「うおっ」


 人だかりの中心は少しの空間が出来ていて、そこにいたのはライト君とミカちゃん、そしてギルだった。ミカちゃんは泣いているがぱっと見怪我はない。残りの二人はどうやら意識を失っているようだ。ギルは全身に火傷。いや、これは体の中まで損傷しているかもしれない。さらにライト君は右足がとんでもないことになっている。

 二人とも気絶し、尋常じゃない怪我を負っている。二人とも誰かにやられたのか、しかしそれならミカちゃんだけが無事な理由が特に見当たらないし、目的もよく分からない。だとしたら相打ちか?あのギルが?

 とにかく治療だ。


「どいて」


 まずはギルから。見た目だけならギルの方が重傷だ。体全体に火傷のような跡がある。こうまで全体に火傷があるのに、それが表面だけ上手に焼かれているとは思えない。息はある。なら、大丈夫。

 ギルに声を掛けていた討伐者をどかし、ギルの前にキャメルが膝をつく。


「起きて……っ!」


 キャメルは目を閉じて、両手をギルの頬に当てた。祈るように、願うように。キャメルは涙を流す。さめざめと泣く。その様子に気付いた討伐者は皆口を閉じた。


 痛い。熱い。痛い。苦しい。息が、呼吸ができない。意識が保てない。強い。弱い。悔しい。悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい


 キャメルの中に感情が流れ込んでくる。ギルの意識は無いが、心は起きているようだ。業火の如く燃え上がる感情がキャメルを支配する。それを全て受け止め、キャメルは静かに泣く。泣きながら、感情を受け止める。涙は自然に出てくるものだ。流れ込んでくる感情が原因はなのかは分からない。ただ、どうしても出てきてしまう。

 

「う……んぅ……」


 ギルが声を漏らした。まだ苦しそうな声だ。

 キャメルに触れられてるギルの皮膚の上には極薄の光の膜のようなものが張っている。膜から出る光はだんだんとギルの体の中へ入っていっているように見える。優しく、見ているだけで暖かい光だった。


「何、それ……?」


 ミカの声がした。

 ライトの傍で泣いていたはずの彼女が近くに来ている。声はまだ泣き声だが涙は止んでいるようだ。


「君の、お父さんも、治すから。待っててね……」


 キャメルは泣き、目を瞑りながらミカに声を掛けた。


「う、うぅ……うんぅ……!」


 安心したのか、キャメルの涙をもらってしまったのか、ミカはまた泣き出す。しかし、声は出さなかった。キャメルのように静かに泣き、待つ。


「う……ああぁ……?」


 ギルの目が開いた。

 まだ意識ははっきりとはしていないようで、目の焦点が合っていない。しかしキャメルは目を開き、かざしていた手をどける。ギルの少なくとも表面の火傷はほとんど完治していた。呼吸をするにも変な咳は出ていないし、どこかを痛めているような挙動もしていない。


「ギルド長、すみません。説教はあとでしますので!!」

「……あぁ……?」


 まともに目を覚ましていないギルを置いて、キャメルはライトの元へ向かう。すぐに両手をライトの頬に当て、目を瞑る。また、涙が流れ出す。


 ミカ。すまねぇ、ミカ。ミカ。勝てなかった。ミカ。悔しい。すまねぇ。ミカ。父さん。ミカ。母さん。すまねえ。悔しい。約束。守る。ミカ。父さん母さん。父さん母さん父さん母さん父さん母さん。ミカ。ミカ。すまねぇ。父さん母さん。パパ。ママ。パパママ。パパママ。パパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママ俺が殺した


「!?!?」


 真っ黒な感情がキャメルに流れ込んできた。津波のような抗えない強い感情が。キャメルは思わず手を離してしまう。


「お姉ちゃん?」


 ミカが心配そうにキャメルを覗き込む。ミカもまた、泣いていた。ただそれ以上にキャメルの涙が止まらなかった。手はもう放しているはずなのに。

 キャメルの中を流れ込んできたライトの感情が渦巻いていた。なんだったのか。悲しみ?罪悪感?分からない。とにかく、ただ暗く深い。彼は、どんな過去を……。


「ミカちゃん」

「あい!」


 泣いているくせに元気のいい返事をするミカに笑ってしまう。

 キャメルは今のライトの感情と戦うことができない。何かで中和しない限りまともに治療ができない。ライトの感情はほとんど真っ暗だが、ミカの部分だけは明るく温かい。それと同時に冷たい感情も孕んではいるが、それだけなら耐えられる。


「お父さんにとにかく声を掛け続けてあげて……あなたの声で目を、覚ますかも」

「あい!」


 言うと、ミカは肺に空気を溜め始めた。ちょっと思っていた声の掛け方と違うかもしれないが、構わない。キャメルはもう一度治療に入る。


 パパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママパパママ


 暗い。怖い。黒い。深い。

 キャメルの呼吸が乱れる。このままではだめだ。息が、できない。


「お父ぉー---------------------!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ギルドに響き渡った爆音に負けない大声。ミカの声だ。


パパママパパママパパママパパママミカミカミカ。守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守るミカだけは守る


「う……ミ、カ……」

「お父!」


 ようやく、ライトが正気を取り戻した。

 と言っても、まだ意識は戻っていない。ただ、感情の波はどこかへ行ってしまった。キャメルは目を開け、ライトの足を確認する。

 使い物にならなくなっていた足は何とか元に戻っている。意識を取り戻せば立ち上がり、前のように歩くことも走ることもできるだろう。


「よかった……」

「お姉ちゃん!ありがとうございます!」


 ミカが笑った。なんて純粋でかわいらしい子なのかしら。キャメルは目を細めて応える。

 しかし、ライトの感情は一体何だったのだろうか。知る必要があるのか。個人の過去として片づけられることならよいのだが。


「トム!ビッグトム!」

「はい」


 キャメルの声に、トムはすぐにやってきた。討伐者の中でも群を抜く体躯。彼が走れば人だかりは避け、道ができた。


「二人を医務室へ」

「承知しました」


 トムが二人を両肩に担ぐ。その頃には討伐者はほっとした顔でギルドへと戻り始めていた。

 全く人騒がせな人だ。目を覚ましたら説教なんてもんじゃすませない。キャメルは今から何を言ってやろうかと考えていた。


「お姉ちゃん。なんだか嬉しそうだね!」

「え?」


 ミカがニコニコとキャメルの顔をしたから覗いていた。どうやらキャメルは笑っていたらしい。キャメルは照れ臭そうにミカから顔をそらし、歩き出した。


「あ、待ってよ~」


 ミカもキャメルの後ろを歩き出す。

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