第8話 父と母

 月が綺麗な夜だった。月を隠す雲はまばらで、照らされた星々がルイを見下ろしている。夜を流れていく風がルイの背中を優しく撫でる。囁く木々もルイを見守っているようだった。

 ルイは家への道を一歩一歩踏みしめる。ルイが生まれ、育った村までの道はしっかりと整備されており、ギルドから警備が24時間配備されている。朝も昼も夜も魔物に襲われる心配はおおよそない。

 「雇用契約書」を片手に、ルイは道を歩いていた。父と母になんと伝えればいいのだろう。もうそればかり考えている。父さん母さん!実は僕強かったみたい!だから討伐者になるよ!なんて、能天気に伝えたら良いのだろうか。そんなはずがない。ギルド長はああ言っていたが、欲しいのはルイの「順応」の異能そのものであり、ルイ自身ではない。そしてなにより、この契約に応じるということは大穴に挑むことを確約するということ。つまり命の保証はない。ただの怪我なら一瞬にして治ってしまうかもしれないが、大穴には何があるかわからない。もしかしたら何をするまでもなく命を落としてしまうかもしれない。そんなことを、父や母が許すだろうか。いや、そもそも討伐者になることすら間違いではないのか?正解なんてあるのか?

 ルイは悩んでいた。もう何度読んだだろうか分からない雇用契約書に再び目を落とす。契約書に書かれているルイを悩ます一文。


「毎月、ギルドから活躍に応じた金額をルイ及びその家族に与える」


 これは依頼主からの報酬とは別にということだろう。

 金。あって困るものではない。むしろあればあるだけ嬉しいものだ。今、ルイの家はガタがきている。それに、父も母も討伐者を引退してから贅沢な暮らしをしていたようには見えない。ルイがもっと良い異能に目覚めていたら、もっと早く討伐者になり、稼いだ金を家に入れれていただろう。そしたらもっと、そう、考えてしまう。

 死にたくは、ない。でも、死なないかもしれない。もしかしたら、ルイが大穴に挑む前に誰かが大穴を攻略してしまうかもしれない。でも、大穴に挑む前に死んでしまうかもしれない。

 やはり、ルイに付きまとうのは死の一文字だった。


「ただいま」


 いつの間にか家についてしまっていた。

 キィキィと鳴る玄関扉を開ける。


「おかえり~」

「おかえり」


 そこには、当たり前のことではあるけれど、普段と変わらない父と母がいた。母はいつものように忙しなく動き回っている。今は、夕飯の用意をしているのだろうか。いや、掃除をしているのか?父は反して、ゆっくりとテーブルでコーヒーを飲んでいる。一時期、父は母をなんとか手伝おうとしていたことがあったが、母が早すぎて何もできずに母についていくだけだった。最終的に母が「ありがたいけど、鬱陶しい」と言われてから無理に手伝うことはなくなった。

 

「ルイ!ごはんもうすぐできるから座ってて!」

「はーい、母さん」


 言われるままに父の正面に座る。

 一口、コーヒーを啜ってから父は口を開いた。


「どうだった?」


 父の口調はいたって平静を装っているように聞こえた。でも何かを感じ取っているのだろう、落ち着きがないようにも見える。

 何から話せばいいだろうか。ルイはただ「うん」と頷く。


「おまたせ~」


 すぐに母がご飯を持ってきた。父に何も言えず食事が始まる。とりあえず、夕飯の後でも大丈夫かな。そう思っていたら。


「で、どうだった?」


 母が席に着くなり、父はもう一度ルイに問うた。普段は優しい父だが、有無を言わせない気迫がある。装ってた平静ももう感じない。


「どうしたのよ父さん。ご飯の後でいいじゃない」

「そうだよ、ご飯が冷めちゃう」

「母さんの飯は冷めていてもうまいから大丈夫だ。ボン、今話しなさい」

「……わかったよ父さん」

「んもぅ」


 これは、父なりの優しさだろうか。父はルイが迷っているとき、無理やりにでも話させるようにいつも働きかけた。今日も、きっとそうなんだろう。ルイは覚悟を決め、ギルドで起こったことを一部始終話した。父も母も黙って聞いていた。

 ルイの力の本質。そこに気づいたギルド長の願い。雇用契約書。ルイの選択肢。すべてを話し終わった後、ルイは二人の顔を見ることができなかった。


「ボン……ルイよ、お前はどうしたい?」

「え?」


 思わず父の顔を見る。父の隣に座る母は、やさしい眼差しでルイを見つめていた。


「お前の意志だ。俺たちが知りたいのは……お前はどうしたい?何をしたい?」

「……僕は」


 何をしたいのだろうか。父と母のために討伐者になりたい……のか?世界を救いたい?討伐者になんかならず、いままでと同じ人生を過ごしたい?いつか恋人ができて、結婚して、今の父と母のように平穏に暮らす?なんて素敵な人生だろうか。

 本当にそうだろうか?ルイはずっと抱えて生きていた。周りの若い衆はみんな討伐者になっていく。ボン、ボンと馬鹿にされ特別できるわけでもない村の手伝いをして、ただ時を消費するだけの人生でいいのか。そんな思いを抱えて生きていた。そんな自分を変えられるチャンスは今、ここ、このとき。そうじゃなかろうか?今じゃなければそれはいつなのか、そんなものはない。ない。ない。ただ、今の自分に順応しているだけの自分は、もう嫌だ。

 果たして、ルイの心は決まっていた。


「父さん、母さん。僕は討伐者になるよ」


 父と母のためではない。世界のためではない。自分のためだ。自分のしたいことをする。ただそのために。ルイは一歩を踏み出す。


「ルイ。それがお前の正解だよ」


 父が微笑んだ。


「ルイ。母さんたちはいつでもここにいるからね」


 母が泣いた。


「ありがとう。父さん母さん」


 ルイの表情は。

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