第7話 ルイの選択肢

 訓練場を出、ギルド長とともに部屋に戻る。ギルド長、ミカとの戦闘で結構な時間が経っていた。あたりは暗くなり、もう夜の8時頃だろうか。しかし、ギルドに出入りする人の数が減った様子はない。依頼を受けるためというよりは、酒を飲むために来ているのだろう。昼は少し開いていたテーブルがすべて埋まっている。中には立って酒を呷っている者もいた。

 ギルド長は討伐者たちに目もくれず、討伐者たちもギルド長が通ったからといって挨拶するものは誰もいない。討伐者のほとんどはギルド長の顔すら知らないのだろう。興味がないというか、とにかく自分の金を稼げればいい。ギルドの機能が使えればいい。そういう討伐者がほとんどだということか。


「お疲れ様です」

「……」


 部屋の前にはやはりあの大男二人が仁王立ちしていた。空がまだ明るかった時と変わらない姿勢でギルド長を迎える。二人は大きな体躯を90度曲げて礼をした。空気が煽られ、微少の風が顔に当たる。

 例えば今この人たちと戦ったとして、僕は勝てるだろうか。ルイはそんなことを考えた。多少の打撃ではまず効かないだろう。今手元に武器はないし、たとえ相手の攻撃を躱し続け、当たったとしても回復してまた攻撃を躱す。隙があれば打撃を食らわせさらに逃げる――――それで?相手が疲れて倒れるまで逃げ続ける?打撃が効いてくるまでひたすら叩き続ける?そんなことで討伐者が務まるわけがない。ミカとの戦闘もたまたまミカの攻撃を躱して腕を掴めただけ。ミカが風に乗って逃げながら風を撃ってきていたら捕まえるどころの話ではなかったかもしれない。そもそもルイは二人との戦闘の中で攻撃と呼べるような手を一つも打っていない。

 僕が討伐者になるなんて考えられない。でも、二人と戦って自分の異能が特異であることも確かに理解した。ルイはひたすら自分の中で自問自答を繰り返していた。そもそも自分の異能のことをまだ完全に理解できているわけでもない。もう少しでも理解できれば迷わなくて済むのだろうか。


「お疲れ様です」


「うむ」


 ギルド長が扉を開けると、秘書であろう女性が出迎えてくれた。彼女もまた腰を折り、ルイ達を迎える。昼時と変わらない凛とした姿勢と態度。ギルド長の周りの人たちは他の討伐者に比べて纏っている空気感が明らかに違う。もしかしたら、この人たちがギルドの創設者の一員だったりするのだろうか?だとしたら、少なくとも秘書の彼女は若すぎるような気もする。

 長い茶髪を後ろで一つくくりにし、派手すぎない銀のフレームの眼鏡を掛けている。身長はルイより少し小さいだろうか。だが、女性の中では大きい。討伐者のような戦闘用の服ではない、執務用のきっちりとした服装だがその上からでもしなやかな筋肉がついているのがわかる。必要以上の肉がついていない、スリムなスタイル。

 戦えば彼女にも絶対に勝てない。ルイはそう感じていた。誰かとまともに戦うという経験が初めてだったルイは戦闘の感覚がまだ抜けきっていなかった。ルイの体はまだ戦闘態勢なのか、相手の実力を測ることばかりしてしまう。


「なんですか?」


 ギロリと秘書に睨まれてしまった。じろじろと見てしまっていたのだろう。殺意を感じられる視線を上手く受け流しながらルイは目を反らす。


「え、いえ……なんでもないです」


「左様ですか」


 秘書はルイを相手にする様子もなくお茶を注ぎにいってしまった。といっても部屋の中にはいるから背中は見えるのだが、その後ろ姿も隙がない。


「ルイ君。あれが美人なのは私も納得だがそんなにじろじろ見てやらんでくれ。あれは人見知りなんだ」


「なっ……!それは言わない約束!」


 ギルド長がカラカラと笑いながらからかうような眼を秘書に向ける。後ろ姿を見せていた彼女は振り返り、ギルド長をにらんだ。その顔は真っ赤になっていて、なんだがかわいらしくてイメージが一変してしまった。


「は、はぁ」


「ま、真に受けないでください。この人は噓つきなので」


 はっと我に返った彼女がルイに向き直り弁明。多少赤面は収まりつつあるが、耳はとても赤い。これではギルド長の言葉を信じざるを得ない。


「冗談はさておき、ルイ君座ってくれたまえ」


 ふぅと一息ついたギルド長が言いながら応接用のテーブルの席に着く。「はい」とルイはギルド長の対面に腰を下ろした。秘書はようやく落ち着いて茶を注いでいる。

 

「……さて」


 ギルド長が両膝に両肘を置き、体を前のめりに倒した。さっそく本題に入ろうといったところか。ルイはまだ答えを決めかねている。


「今回の模擬戦闘で……いやミカ君との戦闘は想定外ではあったが、今回の戦闘で私の仮説はある程度立証された。少なくとも君の異能がただ平凡になるという異能ではないということが立証できた」


「そう、ですね……」


「まずは、今回の二つの戦闘で立証された仮説と新たに立った仮説の話をしよう」


「はい」


 ギルド長がにやりと笑う。


「まずは立証された説。君の異能は『通常状態』ないし『健康体』を保とうとする働きがあるということ。例えば、傷ができれば勝手に治ってしまうし、感情が揺れ動くようなことがあれば平静に戻ってしまう」


 ルイは自然と自分の肩に触れていた。確かに切り落とされたはずの肩の肉がすっかり元に戻っている。太ももにあいたはずの穴も、どこに刀が刺さったのかもわからなくなってしまった。


「この能力こそが我々が欲し、かつルイ君に望んでいた能力だ」


「と、言うと?」


 秘書が問う。茶を二人に出しながら、ルイを一瞥した。しっかりと聞いて確認しておきなさいと言われているような気がした。


「うむ。我々の仮説では、大穴には我々には確認できない瘴気ないし障壁がある。それは人の身では突破できないものかもしれない。そして、その説を立証する手段もない。そこで健康体を保とうとするルイ君に大穴に入ってもらい、説を確かめてみたいということだ」


 ギルド長はゆっくりと、息継ぎをなんどか挟みながら丁寧に話してくれた。ギルド長はわかっているのだ。この話には切っては離せないリスクが付きまとっていて、それをルイに冒せと言っているのだということを。


「つまり、その説が正しくなかった場合。つまり、大穴に入った方々が未だ帰ってこない理由が他にあったとしたら、僕は同じように帰ってこれないかもしれないということですよね?」


 ギルド長は茶を啜った。視線を軽く下に落とし、思案している風を醸している。しかし、彼の中で答えは決まっているのだろう。確固たる意志があって、ルイをここに呼び、ギルドの目的を話し、戦闘をしたのだろう。少なくともルイにはそう思えて仕方がなかった。

 数秒して、ギルド長がルイの目をがんと見据えて口を開いた。


「そうだ。命の保証はできない」


 ギルド長の言葉は揺るぎ無かった。

 ルイは言葉を返すことができず、ただギルド長の目を見つめ返す。ギルド長の目が「はいと言え」と強く、強く訴えかけてきていた。強い意志。きっと、長いこと待っていたのだろう。大穴の仮説をたててから、検証できる日をずっと。ようやく検証することができる。そのための人材を見つけたのだ。それが今目の前に座っている。いいえと言おうものならば、無理やりにでも大穴に引きずり入れる。そんな貪欲さまで感じてしまう。

 ルイは口を開けないままでいた。ギルド長の目に釘付けになったまま、また沈黙。

 すると、熱いギルド長の目がゆっくりと瞬きをした。


「――――だが、私には君に死んでくれなど言えない。言う権利がない」


 再びギルド長が目を開くと、先までの熱さは引き、暖かい眼差しがルイを包んだ。


「確かにルイ君には大穴の仮説の検証を助けてほしい。しかしそれにはリスクがどうしても付きまとう。だから、せめて私たちができることはなんでもしよう。その第一歩が君の異能の検証だった。そして、君が望むのであれば、二歩目としてギルドが君を討伐者として雇用させてもらおう」


 ギルド長は微笑む。

 ギルドに討伐者として雇われるということは、野良の討伐者ではなく公認の討伐者になるということ。依頼をこなす報酬とは別にギルドからも給与が与えられる。しかも普通の仕事でもらえるような金額はゆうに超える金額。ノルマはあれど、お金に困ることはない好待遇だ。

 だからと言って、二つ返事で「はいわかりました」と答えられるような話ではない。

 一度、息を吸って吐く。


「僕は……死に対して恐怖を感じることは、無いんでしょう。この異能のおかげ、というか、せいというかわかりませんが。なので、リスクに関しては何とも言えません。だから――――」


 おかしなことを言っているなと、自分でも思う。自分の死に対して何の関心も抱けない。死ぬのなんて怖くない。こんなことを言っている人がいたらおかしな人だと思う。全くおかしなことを言っている。


「だから、一度家族と話をして。それから決めさせていただきたいです」


 ルイに与えられた選択肢は、ルイだけで決められるものではなかった。ルイでなければ誰だって自分で決められるのに。ルイにはどうしても決められない分からない。死という恐怖が、わからない。


「うむ。それでいいだろう」


 ギルド長は少し悲しそうに微笑んだ後、うなずいた。


「それと、もう一つ」


「なにかな?」


「もし、僕が討伐者になったとして……いえ、僕は討伐者になれるのでしょうか?僕は討伐者と名乗れるほど、その、強い……のでしょうか?」


 ルイが抱えていた懸念。ギルド長と戦った。ミカと戦った。ギルド長には惨敗だったけど、ミカには勝った。そのミカをギルド長は強いと褒めていた。確かに強かった。明らかに討伐者向きの異能に身体能力。

 勝った。果たして本当にそうか?あれを勝ちと言っていいのか?ただ隙をついて捕まえただけじゃないか。無力化しただけではないか。僕は、敵を殺すことができるのか?そんな力が僕にはあるのだろうか。

 ルイの中を様々な疑問が駆け巡る。そんなルイをギルド長は大きな声で笑い飛ばした。


「わっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!!!!!!」


「あの、なにがおかしいんでしょうか?」


「いやー君がそんなしょーもない疑問を抱えていたのかと思うとおかしくなってしまってな!」


「僕にとってはしょーもなくないというか……」


「いや、すまない。そうだよな――――」


 ギルド長の笑いが収まるまでしばらくの時間を要した。

 そんなに笑うことだろうか。


「ふぅ……よし。何がおかしかったのか説明せんとな。つまりは君は自分の能力の不平等さを全く理解しておらんかったからだ」


「はぁ……?」


「ふむ。なにから説明したものか……そうだな。まずは――――


 一つ、『通常状態』を保とうとするということだ。

 詳しく話そう。君にとって、もっと言うと君の「順応」は普段の君の健康な体に順応していると言えるのではないだろうか。つまり、ルイ君の健康体に何らかの異常が生じた際に、異能が順応している健康体に戻ろうとし、その結果として怪我が異常なスピードで治ってしまうのではないかと私は考えている。これはルイ君の傷が治ったことから、私の考えが間違っていたとしても治癒の能力自体は確定的なものだ。

 もし、君が恒常的に、半永久的に怪我を負い続ける環境に身を置き、常に体のどこかしらを傷つけられ続けたらこの治癒の能力は失われるかもしれない。加えて、傷が治らなくなることがあったら、そのときは傷を治すことすらできなくなってしまうということだ。傷を負っている状態が「通常状態」になったということだからね。

 二つ、悪状況を打開できるよう体に働きかけるということだ。

 順応とは元来、移り行く環境に対応し、生き抜くための力である。と、私は思う。いわば進化の一種である。生物は子孫を残し、長い長い時間をかけて自然に対応、順応し生き抜くために進化する。それを君は天文学的なスピードで行ってしまうのではないかと考えている。例えば、私との戦闘での最後の突撃。例えば、風に乗ったミカ君をすっぽ抜いた君の見た目からでは想像できない筋力と体幹。これらはこの進化の力が君の体に影響を及ぼしたものではなかろうか。

 

――――どうだろうか。私の考えは以上になるんだが」


 一通りギルド長の話を聞いて、ルイは先の二つの戦闘を思い出していた。

 治癒能力は確かに存在する。ギルド長の考えが正しければどんな傷も瞬時に治ってしまう。怪我の程度によって時間差はあるかもしれないが、そもそも治ってしまうことがあり得ないことでとんでもない異能だ。

 それに加えて進化。悪状況を打開する力を持つという。確かに普段の自分ではできないようなことができたのは間違いない……。


「思案顔だな」


 ギルド長が茶をするりながら、言った。

 ギルド長の中では、ギルド長の考えはほぼ確定的なものなのだろう。ただ、疑問がいくつか残る。


「あの、ちょっと疑問が」

「言ってみたまえ」

「進化……で得た力、今回で言うと筋力や体幹は『通常状態』を保とうとするというもう一つの作用ですぐ消えてしまうんじゃないかと思ったんですけど……」


 「ふむ」とギルド長は顎を撫でながら右上を眺めている。右上に何かがあるのかというと特に何もない。何かを考えているのだろう。この人本当に考えるの好きだよなと、ルイは不躾ながらに思う。

 しかし、この考えるのが好きなギルド長がいなければ自分の異能の可能性に気づくことすらできなかったと思うとありがたい限りである。ルイにとっての選択肢が増えたのは間違いがない。


「それじゃあ――――」


ダンッ!!!!!


 突然ギルド長が目の前のテーブルに肘をついた。そして、ついた方の手の平をぐっぱぐっぱと開いて閉じてしている。


「腕相撲で試してみようか」

「……」


 またあの顔だ。いたずら好きの顔というか、にやにやとルイを小馬鹿にするような顔。ただあなたが楽しみたいだけじゃないか。でも、まあ。


「やりますか……」


 試せるなら、それでいい。

 ルイもテーブルに右肘をつき、ギルド長の手を握る。感覚としては普段通りで特段力が強くなっているとは感じない。正直、負ける気しかしない。


「キャメル、合図を」


 秘書の人はキャメルという名前らしい。こんな状況じゃなく、普通に紹介してほしかった気もする。

 秘書あらためキャメルは二人の手に両手をかぶせる。ぐっと力を込めて、二人の目を交互に見た。


「よーい……始め!!!!」


 キャメルの手が離れる。と、同時に二人の腕に力が漲る。そして、勝負は一瞬にして終わった。一瞬の硬直もなにもない圧倒的な勝負。勝者は、


「私の勝ちだな」


 ギルド長だった。あっけない。なんの抵抗もできずにルイは負けた。


「力は少しも残ってなかったみたいですね」

「そうだなぁ……」


 ミカとの戦闘で生まれた爆発的な筋力。それは見る影もなく消え失せていた。いつ消えてしまったのかは定かではないが、おそらく傷が癒えるのと同等のスピードで筋力も消えたのだろう。だとしたら戦闘が終わるたびにルイは初期化され、次の戦闘ではまた初めから順応し、対応していくしかないということか。


「今の腕相撲でもう一つ仮説が立証されたぞ」

「……」


この人は本当に……。


「と、言いますと?」

「腕相撲程度では進化は発動しないということだ」

「あ……」

「やはり、トリガーは必要性ということになるのか……」


 今の腕相撲でギルド長に勝利する必要はなかった。死の危険も一切ない。つまり、進化する必要も一切ない。ということだろうか。


「異能は万能ではない」

「え?」

「異能は万能ではない。しかし、極めれば何よりも頼れる自分の力になる」


 これは父がよく口にしていた言葉だ。父は、きっとこの人の言葉をいんようしていたのだろう。よく考えなくても、こんな言葉は父よりもギルド長の方が似合う。というか、脳筋の父に似合わなさすぎるだけか。


「つまりは異能は使い方次第ってことだ」


 ギルド長が優しい顔に戻った。

 肘をテーブルから離し、背もたれにもたれる。


「さて、疑問は解消されたかな?」

「はい。おかげさまで」


 キャメルさんが、先までルイの肘が置かれていた場所に見たことがある書類を置いた。そこには「雇用契約書」と書かれていた。


「我々の考えは変わっていない。我々が君に望むことも変わっていない。家族と話して決めてもらっても構わない」


 書類を置いたキャメルがギルド長の後ろに控える。ギルド長も背もたれから背中を離し、姿勢を正す。


「もう我々から言えることはこれしかない。ルイ君、改めて頼む。我々と一緒に世界を救ってくれ」


 ルイの選択肢。

 世界を救うため、討伐者になる。

 家族のもとに戻り、今までと変わらない生活を続ける。

 正解なんてない。正解なんて、ない。

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