2-1 各所の反応
突然の月英の逮捕という事態は、各所に多大な衝撃を与えた。
「万里、大変! 月英が連れて行かれちゃったわよ!!」
「はあっ!?」
医薬房に駆け込んできた兄の放った言葉に、万里は理解できないとばかりの声を漏らした。
「連れてかれたってどこに! 誰にだよ!?」
どういうことだと万里は、混乱に目を白黒させている春廷の身体を揺らす。
「や、薬草園にいたら月英の叫び声が聞こえて、慌てて見に行ったら、月英がたくさんの衛兵に囲まれてて引きずられるようにして連れてかれちゃったのよ!」
「衛兵!?」
万里は嫌な予感がして急ぎ香療房へと走った。
そうして目にした光景に、万里は走りながら声を上げた。
「待て! 何やってんだよ!?」
数人の官吏が、香療房から精油を持ち出しているところだった。大量の精油瓶が籠にまとめられ運ばれる。
万里は血相を変えて、持ち出そうとする官吏の腕を掴んだ。
「返せよ! それは大切な仕事道具なんだ!」
しかし官吏は首を横に振り、万里は他の官吏達に無理矢理引き剥がされる。
「大体、どこの官吏だよ! 何の理由で精油を持って行くんだよ! 太医院への業務妨害行為だぞ!」
万里が眉を怒らせ噛みつかんばかりに吠えるも、官吏達はどこ吹く風と表情すら変えない。
「御史台だ」
「御史台……だと……!?」
まさかの回答に万里は息を呑んだ。抵抗していた身体からも力が抜ける。
御史台は、官吏の風紀を監察する部省である。
つまり、この男達は御史であり、そこが動いているということは香療房が――月英が何か罪を働いたということ。
一瞬、万里の脳裏に月英の性別の秘密のことがよぎった。
「これらは証拠品として全て押収させてもらう」
しかしそれでは、精油が証拠品として扱われる意味が分からない。
とすると、何か他の理由があるはずだ。
「アイツは……月英は何で拘束されているんですか」
「捜査情報は教えられない」
「――ッアイツが何か罪を犯したんですか!」
「それを調べるのが我らの役目だ。ひとまず、その月英という者は囚人ってところだ」
「囚人……」
言葉の衝撃が強すぎて、万里はふらりと足をよろめかせた。
「これより香療房は、審議の結果が出るまで一切の香療術を使った施術を禁止する。破ればあなたも拘束対象となりますのでご注意を」
御史は精油瓶の詰まった籠を、ガチャガチャと重たそうな音をさせながら持って行ってしまった。
房の中に入れば、ありとあらゆる棚の戸が開けられ中身は空っぽだった。
「まじかよ」
辛うじて残ったのは『陽氏香療之術法』と書かれた、紺表紙の本のみ。
万里は本を手に取り、記された題字を顔を顰めて見つめた。
「――っどうなってんだよ!」
万里は本を片手に、香療房を飛び出した。
◇
「どどどどどうしましょう、亞妃さまぁ!」
両手で自分の頬を押し潰しながら、わたわたと部屋の中を駆け回る鄒鈴。まるで自分の尾を追う犬のような動きである。
「ちちち父から連絡が来たんですけど、いい今王都が、いいいい移香茶で大変なことになってるようでぇ!」
「鄒鈴、静かになさい」
「声が震えすぎて聞き取りづらいのよ」
李陶花と明敬は目を細めて、『今度はなんだ』とばかりに鄒鈴の慌てぶりにやれやれと肩を竦めていた。
「まあまあ……ほら鄒鈴、茉莉花茶でも飲んで落ち着きましょう」
鄒鈴に落ち着きがないのはいつものことだと、亞妃は慌てることなく鄒鈴に茶器を渡す。
渡された茶を、鄒鈴は慌てたまま勢いよくぐいっと飲み干す。
途端に鄒鈴は大人しくなり、ぷは、と口を開けた時にはもう顔はまろやかになっていた。
「美味しいですぅ」
「ですね」
部屋にまったりとした空気が漂う。
しかしそれも、我を取り戻した鄒鈴が再び声を上げるまで。
「――じゃなかった! 大変なんですって、亞妃さま! 月英さまが!!」
「え、月英様が!?」
月英の名が出たことで、他の三人の表情も途端に引き締まる。
「実は父から、移香茶を飲んだ人達が倒れて、移香茶の取り扱いが出来なくなったって来ましてぇ。しかも……」
鄒鈴は腰を落とすと一緒に声も潜める。
「……どうやら食あたりとかじゃなくて、茶葉に毒が混入されてたみたいで」
「えぇ!? それってもしかして月英様が移香茶に毒を入れたってこと!?」
驚きで声を大きくしてしまった明敬に鄒鈴がしーっと指を口に当てれば、明敬は慌てて自分の手で口を塞いだ。
四人の視線が、卓に置かれていた茉莉花茶に注がれていた。
「そんなわけ……ありませんわ。絶対に」
亞妃の確かな意思のある言葉に、他の三人も力強く頷く。
「大体、月英様がそのようなことをする理由がありませんからね」
「自分で言って何ですけど、あたしにも彼がそんなことをする人には見えませんでしたよ。あたし達侍女にも丁寧ですし、なにより、彼は亞妃様の心を救ってくださった方ですし」
「そうですよぅ! あんなに一生懸命茶葉の香りを考えてくださった方が、そんなことするはずないですぅ!」
亞妃は視線の注がれた茶器を手にすると、躊躇いなく口を付けた。
「あの方はご自分の香療術というものに、ひとかどの矜持をもっております。それを、毒を入れるですって……? ご自分の術を汚すような真似は決してなさらないはずですわ」
『ならば何故こんなことに』と、四人の沈痛な顔は言っていた。
「
眉間を険しくした亞妃は、椅子から立ち上がるとそのまま部屋から外へと出た。
温かな日差しが前庭に降り注ぎ、宮の外からは女官達の華やかな声が聞こえる。空を鳥が渡り、風が新緑を揺らし、池泉が静かに風紋を広げる。
ここは平和と言って差し支えないほどの世界だというのに。
亞妃は遠くに見える、王宮の表とを隔てる大きな後華殿を見つめた。
「誰かあの方を……」
壁一枚隔てた向こう側の平和を願わずにはいれなかった。
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