【②巻発売特別SS】射る女と射られる男の関係性

2巻の終章後(「外」前)のお話です

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 あれから、すっかり亞妃は月英に親しみを――いや、心酔していた。

「月英様、今日の香りは何にいたしましょうか」

「リィ様の好きな香りを言っていただければ、あったものを焚きますよ」

「では月英様の好きな香りを焚いてくださいませ」


 あれから亞妃は様々な香りを月英に所望するようになっていた。

 どうやら、百華園から自由に出入りすることが出来ない身だからと、萬華国を様々な香りから知ろうとしてくれているようだ。

 真面目な彼女らしい。


 萬華国で生きていくと覚悟を決めてからの亞妃の変わりようは、月英でも目を瞠るものがある。

 侍女達も、はきはきと物言う亞妃の方がやりやすいようで、以前と比べて距離が縮まっているように見てとれた。


 そうして日に日に表情や感情が豊かになっていく彼女に、月英も喜びを感じていたのだが……。


「うわぁ……好きなものも人任せかよ」


 そこに水を差す声。

 暖かかった室内の空気を、一瞬で氷点下まで持っていったのは、秀才と噂の新人香療師である。


 顔を引きつらせた月英がたしなめようと、彼の名を呼ぼうとした。しかし、それより早く、目の前で青筋を立てた亞妃が先に口を開く。


「まぁ……相手を思いやるということを知らない憐れな方には、そのように聞こえてしまうのですね。お気の毒に」


 全く気の毒とは思っていないであろう微笑を浮かべる亞妃。しかも、確かに笑ってはいるのだが、顔面の温度がいちじるしく低い。

 亞妃は普段、月英や侍女達には物腰柔らかく実に丁寧な振る舞いをするのだが、こと万里に関してはその対象に入っていないらしい。


「これはこれは、お気遣い痛み入りますねえ。しかし、まだオレの方が思いやりを知っていると思いますよ。鳩に向けて弓は放たないですし、ましてや下手を装って脅しの道具にしたりしませんしぃ……あっ、もしかして自分に思いやりがないから、他人のには気付けないとか……」


 対して万里も、亞妃には他の後宮妃に対するような気遣いは全くない。

 一度地面に額をつけた過去があるというのに、彼はその恐怖をもう忘れたのか。

 それとも内侍官でなくなったから、もう大丈夫だとでも思っているのか。何も大丈夫ではないはずなのだが。


 この二人の喧喧けんけんとした関係の始まりは、春万里が余計な一言を発したからだったか、それとも亞妃の丁寧な言葉に隠された棘が鋭かったからか。きっと、卵が先か鶏が先かという問題と同じで、二人が揃えば必ず問題は起こるのだろう。

 月英は触らぬ神になんとやらで、二人の火花散る視線からしれっと逃れ、香炉台を組み立てはじめた。


「まぁ、ご冗談がお上手ですわ。しかし、冗談はその存在だけにしてほしいものですね。そうは思いませんか、月英様?」

「え……」

「それにはオレも同感ですね。冗談はその存在だけにしてほしいものですよ。もういっそ里帰りでもすればと思いますね。永遠に! オマエもそう思うだろ、月英!」

「えぇ……」


 わざわざ二人の視界の外に出たというのに、どうして変化球で絡め取ってくるのか。


「ふふふ、出口はそちらですわ」

「ははは、オレも出て行けるのなら一刻も早く出て行きたいんですがね」

「…………」

「…………」

「芙蓉宮に来るのは月英様だけで良いと言ったはずですわ!」

「残念ながらオレも今は香療師なんですよねぇ! オレも来たかないんですが、これも勉強なんでしかたないんですよ、ねぇぇぇぇぇ!」


 キエェェェェェと、孔雀もびっくりな喚声を上げる二人。

 おかしいな。ここは、麗しい花々が咲き誇る百華園だった気がするのだが。

 いつから鳥類飼育場になったのだろうか。


「月英様、あの男をクビになさいませ! あのような粗雑な者に香療術は相応しくありませんわ!」

「い、いやぁ、僕、人事権とか持ってないんで」

「だはははは! やれるもんならやってみろよください! 後宮妃ならしとねで陛下におねだりしろってんだですよ! まあ、お姫様の元に陛下が来るわきゃありませんけどねえ! こんなお粗雑な妃のところになんか!」


 語尾で丁寧さを装っているが、まるで装えていないことに、彼は気付いているのだろうか。本当に春廷の弟なのか疑わしくなる。

 品はどこにいった。


「……分かりましたわ。陛下には真っ先にあなたのクビをねだりましょう。もちろん、免官という意味ではありませんわよ」

「そういうとこですよ野蛮妃!」

「や、やば……っ!? 陛下にお願いするまでもありませんね。ここでわたくしの手で射殺して差し上げましょう」

「ははっ! 出来るもんならどうぞ~」


 孔雀が二匹暴れる中、月英は避難先である部屋の隅で精油を垂らす。


種人参キャロットシード焚いときますね~」


 情緒というものは既に吹っ飛んでいそうな二人だが、無いよりかはマシだろう。

 月英の声などもはや届いていないだろう二人を端から眺め、月英は立ち上る香りを鼻孔いっぱいに吸い込んだ。


「あー……春」


 今日も萬華宮は賑やかだ。



 

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