1-9 ウッハウハだね!
木目が良い味を出した焼き杉の板に、『茶心堂』とこれまた趣のある字が彫られている看板の店に入れば、活気のある声が迎えてくれた。
月英の顔を見るやいなや、鄒鈴の父親である茶心堂の店主――
「どうですか
「ああ、随分と評判がいいよ! 皆最初は香りが付いたお茶なんてと抵抗感を示していたが、王都一の甘味処が試しにって使ってくれてからはあっという間だったよ。そこからは客が客を呼ぶで、色々な茶屋からうちにも俺のとこにもと引く手あまたさ!」
「それは嬉しいですね」
目尻の皺を深くして笑う鄒央につられ、月英の笑みも濃くなった。
し、月英の表情はすぐに陰る。
緩やかだった眉も、申し訳なさそうに垂れ下がっていた。
「そんなに皆が飲みたいって言ってくれてる中、申し訳ないんですが今回追加で作れたのはこれだけでして……」
月英は受付台に、男の両手大の包みを出した。
「追加分で用意していただいた茶葉の半量しか作れませんでした」
鄒央が縛ってあった紐を解けば、包み紙の中から爽やかな香りの茶葉が現れる。
「せっかく茶心堂さんが移香茶を広めてくれてるのに、僕の方が足を引っ張るようなことになってしまってすみません」
しかし、鄒央は中身が少ないと怒ることもせず、茶葉の香りを「うん」と確かめただけで再び紙に包みなおしてしまった。
それどころか、受付台の向こうにい月英の頭を、跳ねるようにして撫でる。
「なぁに、わざと出し惜しみしてるわけじゃないんだ。それに、そっちのほうが希少価値が出て値も上がるってもんよ。ウッハウハだね! いやぁ、何から何までありがたいもんだね、移香茶ってやつは!」
鄒央は頭を仰け反らせて大笑していた。
実に気っ風の良いおじさんだ。
それにしてもウッハウハとは。「儲かるなあ」と愉快な声を上げている彼に、鄒鈴の姿が重なる。
間違いなく彼女と店主は親子だろう。
「というか、申し訳ないって思ってるのはこっちなんだがね。娘から聞いたが、本当にお代はいらないのかい?」
受付台から身を乗り出した鄒王は、声の大きさを一つ落として月英に問いかける。
「ええ。茶葉を茶心堂さんからいただいているので、僕の方で何か特別お金がかかることってないんですよ」
「いやしかし、茶葉にこうして香りをつけるのにも何か使っているんだろう?」
「松明花の精油を使ってますね」
「精油?」
鄒央の白髪交じりの眉が片方だけ跳ね上がった。
新しいものに興味を示すのは商売人の性なのか、彼の瞳に好奇心が浮かぶ。
「松明花の果実の皮を絞って作った油のことです。香りの成分がたくさん含まれているんですよ」
「ほう、松明花の実からこの香りができていたのかい」
確かに、と鄒王は茶葉の包みを大切そうに持ち上げ、包みの外側からスンスンと香りに鼻を鳴らす。
包み紙越しでも、ほのかに漂う周囲の空気とは違う爽やかな香り。
「言われてみれば、この爽やかさは柑橘のものだな。だが、柑橘の汁と茶を混ぜただけではできないものだし……実に不思議なもんだ」
「精油は自然のものから香りだけを抽出したものなんです。特に移香茶はその中で香りだけを茶葉に吸わせているので、味に変化はないんですよ」
鄒王は「ほうほう」と鳩のように首を揺らして、真剣に聞いてくれていた。
「娘が、この移香茶も君が使うナントカって術の一つだと言っていたんだが……」
「香療術です」
「おう、そうそう! 香療術だ」
ぱっと表情を明るくさせた鄒央は、ころころと表情が変わる鄒鈴とそっくりだ。
「いやぁ、奥が深いねぇ香療術。まるでうちの茶と同じだね」
腕組みし深く頷く姿からは、彼も自分の『茶』というものに誇りをもっていることが窺えた。
「お代のかわりに何かと言ってくれださるのであれば、この移香茶をたくさんの人に広めてください」
「そこは任せてくれよ」
「あ、それともう一つ実は――」
月英が言いかけたとき、「どーもー」と気さくな声と共に、店に青年が入ってきた。
短袍に長靴と、実に動きやすそうな格好をしている。
鄒王が青年の顔を見て「ああ」と分かったように頷いたのを見ると、どうやら見知った仲のようだ。
一旦奥へ引っ込んだ鄒王が、戻ってきたときに両手に抱えていた包みを、受付台の上に並べていく。
「こっちが
青年は受け取ると、背負った籠の中に包みを、ひょいひょいと慣れた手つきで入れていく。
その様子を月英が見つめていると、視線に気付いた鄒央がああ、と説明してくれる。
「彼は配達人さ」
「配達人ですか?」
どうやら、茶心堂のように手広く商売をやっているところは、自分の店で配達を行わず専門の業者に頼んでいるらしい。
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